実に卑しい人間だ。僕はネット上で蛇蝎のごとく嫌われているマナー講師にも一定の意味があると思う人間だが、離婚ガイドなる全く価値の見いだせない人間がいてウケる。マナー講師以下だな。
人間のクズって本当にいるんですねー。清々しいくらいのクズ。地球でも上位数%に入るゴミ。
納采の儀などをはじめとするいわゆる結婚式はおこなわず、婚姻届を提出した後はニューヨークで暮らすことになるとのこと。いろいろと取りざたされながらも最終的に「NYで事実婚」という結末には、疑問を感じる人も多いのではないでしょうか。
婚姻届けを提出するのであればいわゆる法律婚である。それなのに「NYで事実婚」とはどういうことであろうか?
事実婚という言葉を出せば、一般の人にはいかにも身勝手な駆け落ちをしたというイメージを与えることができるという意図があるのだろうか。しかし婚姻届けを提出するのであればそれは事実婚ではない。明らかな間違いである。それとも筆者は独自の基準で事実婚というのを定義しているのかな。
筆者はバカか悪意をもって印象操作をするクズのどちらかだろう。まてよ。バカでクズの二刀流の可能性もある。
個人的な意見ではありますが私は、今回のことは、小室さんはもっと前の段階で眞子さまとのお付き合いを辞退すべき案件だったと思っています。
それあなたの感想ですよね??
~~すべき、というやつのうさん臭さは異常である。「個人的な意見」による~~すべき、はなんの根拠もない単なる願望に過ぎないし、それをいかにも大人数の意見であるかのように装うセコイ作戦である。
一方、眞子さまとしては、おそらく、「はじめて好きになった相手と、どうしても結ばれたい」という気持ちを優先させた
おまえ、それ眞子様に直接聞いて確認したの?眞子様の初恋の相手は小室圭氏なのか?幼稚園や小学校あるいは思春期の多感な時期に恋をしてこなかったとでも?「おそらく」ってなんだよ。なんの根拠があっておそらくなんだよ。簡単に嘘つくような人間ほど信用ならないものはないよねー。
そこにあるのはもはや「愛情」ではなく、「意地」や「執着」としか思えません。
うん。だからそれはおまえの感想だよね?それに何の意味があるの?私がそう思うからそうだろう、そうに違いない、とはならないんだよ。せめて眞子様に取材くらい申し込んでから語れよ。
親が反対する恋愛や結婚には、必ず問題を含んでいるものです。
日本国憲法第24条をご存じない離婚ガイド(笑)
あと婚姻のように様々なパターンがあって一様には語れない事柄について「必ず」って断言する奴ほど嘘くさいものはない。
僕もある分野では専門家のはしくれだけど、断言できない案件のほうが多いんだよね。「それって法的には…う~ん…できないことはないと思いますよ。でも~~の条件が揃うことが必要ですねー」みたいな。簡単に「必ず」とか強い言葉で断言する人間は必ず根拠を有しているのではなく、個人の思い入れだけで語っている。でも非専門家からすると強い言葉で断言する奴のほうが頼もしく見えちゃんだよね。
子どものことを誰よりも身近で見て、理解している親には、子どもに対する愛情から「ウチの子が幸せになれない理由」を本能的に嗅ぎ取っているケースも多い
子どもといえども他人である。他人という表現が気に入らないなら別人格と言おうか。なにをもって幸せと感じるかは個人の問題だ。他人が決められることではない。筆者は根本的に人間というものを理解できていない。まるで頑張れば他人を100%理解できると信じているようだ。実におめでたい。筆者の空っぽの頭の中では、もう間もなく秋の訪れであるが、まだセミが鳴いているのかな?
たとえ我が子といえど、そのすべてを知るなんていうことは不可能である。人間にそんな能力は、ない。もしあると思っているのならそれは錯覚である。大いなる勘違い。悲しくも滑稽である。まるでなんの効果もない河原の石を、魔法の石と信じて法外な値段で買わされるようなものである。本人が満足しているのであれば特に問題はないが、困ったことに他人にも「効果があるから」としつこく絡み同じものを買うよう迫ってくる有様で、そこまでいくとはっきりと害悪な存在と周囲からは思われる。
もう一度言うが、親だろうが師匠だろうが上司だろうが夫婦だろうが他人を完璧に理解できるなんて言うのは甚だしい思い上がりである。そんなことは土台無理な話だ。だからこそ人は他者を理解しようと努めるのである。わからないからこそ知ろうとするのである。筆者は自分を下界に降りてきたゼウスか何かと勘違いしているのかもしれない。空気の良い静かなところで療養することをお勧めする。
結婚して数年たってから「想像していた結婚生活と違う……」「こんなはずじゃなかった……」という違和感が生じます。
違和感のない人生などそうないだろう。そうなにもかもうまくいく人生なんてあるのだろうか。自分自身に一切疑問を持たない成功者などいるのだろうか。本当に不思議である。たとえ離婚はしなくても日々違和感を覚えながら暮らす夫婦なんてごまんとあるだろう。乗り越えていくのか受け流すのか、そうした違和感への対処は人それぞれであるが皆が皆違和感を覚えたら即離婚というわけじゃないことくらいは僕にでもわかる。
しかしあらためて「離婚ガイド」ってなんだよ。生活保護ビジネスみたいなものか?他人の不幸が飯のタネってすごいな。卑しい人間だよ。そんな卑しい人間の書く文章はやはり卑しい。そして空虚である。
このようなさもしく卑しい人間から逃れられるという点においても眞子様と小室圭氏が生活の拠点として海外を選んだのはすこぶる賢明である、と思う。
人の不幸を願う人生を歩むのではなく、もしも誰かが不幸になったときには手を差し伸べられる人間でいたい。