ジンジャーエール

辛口エールで一杯ひっかける

障がい者になりたくない!

だってそうでしょ?考えても見てよ。障がいを持っているというだけで十分身体的・精神的にハンデなのにさらに社会生活を送るうえでさまざまな不便が待っている。

 

で、それをどうにかしようとしてアクションを起こすと「上級弱者!」なんて下劣すぎる造語で非難される始末。

 

ハード過ぎない?伊是名夏子さんの件をみるとつくづく思う。なんていうか障がい者に対して弱くあれ、文句言うな、感謝しろみたいな空気あるよねっていうかそれを堂々と発言する人いるでしょ。あれが気持ち悪い。

 

たとえば今回のJRに乗車拒否された、という一件で駅員さんに感謝の気持ちを持つべきという人がいる。アイドルグループ仮面女子のメンバーで事故によって車いすユーザーとなった猪狩ともかさんも「まずは対応してくれたことに対する感謝の気持ちが大事」と述べている。もちろん他者への感謝は大事だ。とても大事。会社や学校、家庭などを円満に保つためには感謝の気持ちを持つことが大事だというのはよくわかります。

 

しかし障がい者は障がい者というだけで、他人に感謝して当たり前の存在とみなされてないだろうか。障がい者は他人の介添えがないと満足に社会生活を送れないんだからってい気持ちが透けてやしないか。

 

僕は問いたい。「え?君らってもしかして自分を一人で生きていけてると勘違いしてるの?」と。自己評価高すぎないか。どんな人間であれ他人の協力なしには社会生活を送ることは不可能だろう。健常者と障がい者が必要とする介添えの質量なんていうのはこの広い宇宙の営みの中では誤差のようなものだろうに。

 

先日バスに乗っていた時のことだ。乗客を乗せるためある停留所で停まった。乗り込んできたのは2人。年配(80代かな)の女性と3~40代の男性。女性はカートのようなものを杖代わりにしていた。腰はほぼ90度に曲がりカートなしでは歩けないんじゃないか、と思えるほどだった。

 

バスに乗り込むときにカートを持ち上げられず、同じバス停で乗り込む男性に手伝ってくれませんか?とお願いをしていた。男性も断らずに乗車を手伝っていた。この事例からわかることは別に障がい者じゃなくても、いずれ歳を取ったときには誰かの介添えが必要になる可能性は高いってことだ。

 

障がい者に家に閉じこもってろ、あるいは公共交通機関利用するなら事前に連絡しろ、タクシーを使えばいいだろと言っている人達だっていずれ老人になる。そのとき自分自身に同じことが言えるのだろうか。はなはだ疑問である。

 

いまのようにちょっと障がい者が強めに「困ってるんですけど?」と声を上げると炎上してしまい、果てには人格否定までされる社会状況では僕は絶対に障がい者になりたくない。困難に直面しても助けてもらえそうにないし、ちょっとなにか主張すると排撃されそうだからだ。

 

今回の件だってバリアフリー化することがベターな解決方法だけど「予算がないだろ」「ほかに優先することがある」と何のかの理由をつけて見えないふりをされる。なんて障がい者にとって住みにくい世の中なんだろうか。

 

結局のところほとんどの人間にとって障がい者のことはどうでもいいのだろう。なんかもう24時間テレビとかパラリンピックとかそういう時にだけ健常者に感動を提供してくれる存在でいいよ、でも彼らが暮らしやすい社会になるための手助けは後回しにするけどねというのが透けて見えるんだよね。

 

でもそのツケは確実にそのうち自分に回ってくるよ。先述したように老いれば他者の介添えが必要になる。そして人は誰でも老いる。自分が老いたときに「日本はなんて住みづらい社会なんだ」と気づいてももう遅いのである。