ジンジャーエール

辛口エールで一杯ひっかける

小中学生81万人学徒動員の衝撃

世の中にはこんな商品誰が喜ぶんだよ?というものがあったりする。

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これなどはその典型だろう。動員される学生とその保護者、学校、そして気のない応援風の何かを目にする選手。誰が喜ぶんだよの極みである。責任者出てこい案件。

 

問題点はいくつかある。

本当に欠席扱いにする学校が出現したらどうする?

取材を受けた東京都教育委員会(都教委)によると観戦”命令”を拒否した場合に欠席扱いとするかどうかは校長に判断が委ねられているそうだ。中学生なんかは「内申に響くかもしれない」との思いから本当は行きたくないのに行かざるを得ない状況になるかもしれない。学生に心理的圧迫を加えるような施策が正しいとは思えない。感染拡大だけでなく猛暑の中であり熱中症等の危険もある。保護者にも心理的負担が大きいのではないか。これが学校の運動会なら学生が主役だからまだよい。しかし大会を盛り上げるための演出の駒として駆り出されるにはリスクだけ大きく受益がほとんどないように見える。

現場の教師への負担が増加

欠席とするかどうかは校長の判断に任せるっていうのはどうなのか。たとえばやたら欠席の多い学校の校長は人事評価で減点されないかと不安を抱くかもしれない。そうなるととりあえず出席させれば雇われ人の、管理職としての責務は一見果たせることになる。しかし強制的に出席させることは難しい。もし校内でそんな通達を校長名で出せばいまならあっというまにSNSなどで拡散され非難を浴びるだろう。じゃあどうするかというと各教師に「わかってるね?」と忖度を促すことになる。校長は一言も強制とは言わない。現場の教師にそれを生徒に匂わさせる。しかし教師だってそんなことはしたくないだろう。でも悲しいかな組織の中では上長の命令に従わないと罰される。人事評価で減点される恐れがある。こうして教師に心理的圧迫をかけ、校長はうまく責任回避しながら半強制的な参加を実現することだって可能だ。

あいまいな責任の所在

いざ観戦となったら、炎天下のなか移動して競技場で何時間も特に興味のない競技を見なければならない。移動中の事故、熱中症などのリスクがある。何かあった場合誰が責任をとるのだろうか。組織委?都教委?校長?教師?まさか生徒の自己責任?80万人も人が動けばどこかで何らかの事件事故が起きるのは容易に想像できる。そうした場合の対応や誰がどう動いて最終的に責任を負うのかといったところはどうなっているのだろうか。組織委のでたらめさを見ると、現場に押し付けて知らんふりというのが一番可能性が高いように思える。

結論

学徒動員なんて関わる人間の99%は得をしない。もしかすると60年後、動員された生徒たちは「そんなこともありましたなあ」と数十回目の同窓会で思い出話に花を咲かせることができるかもしれない。しかしながら生徒も教師も今を生きている生身の人間なのである。身体的心理的に圧迫を受けるリスクを冒してまでやらなければならないものとはとても思えない。平時のオリンピックならそりゃあ喜ぶ生徒もいるだろう。しかしいまはコロナとの戦いの真っただ中である。こんなことに血道をあげる余裕はないはずだ。人を大事にしない組織は長続きしない。組織委はこのような愚策は撤回すべきだし五輪担当大臣は指導力を発揮するべきではないか。それができないなら大臣なんて辞めてしまえ。