石野卓球が面白い。
ピエール瀧がやっちまった件で、石野卓球が"芸能界の通例"を覆し全く謝罪や反省の弁を述べないどころか、それを強要してくるワイドショーを小馬鹿にしまくっている。面白い。
実際フジテレビの「バイキング」では東国原英夫氏が石野卓球に向かって「電気グルーヴを知らない人が見たら『この人、社会人として大丈夫なのか』と思われるんじゃないか」という主旨の発言をしている。なんだそれ。
こうした発言がネットで物議を醸していると見るや後日「番組では説明しきれなかった真意を述べたい」とツイッターにめっちゃ早口っぽく連投。いや「バイキング」が“自由な討論番組”だというならその場で発言の意図まで言えや、と思いますが。生放送だし。後から「実はこうなんです〜」ってダッサ。
で、そのツイートで明らかにした真意(笑)というと…。
① 昨日(5日)のCX「バイキング」の生OA中の僕の発言(石野卓球氏に対する)がネットニュースになっているようなので、ここで少々補足的説明をさせて頂きます。昨日「バイキング」で石野卓球氏のツィートが記事として取り上げられ、コメントを求められた。
— 東国原英夫 (@higashi_kokuba) 2019年4月6日
② 基本・原則、「バイキング」は飽くまで自由討議であり、言論統制等はされない。石野卓球氏のツィートに対して、僕は、「親友・同志・相方のピエール瀧氏が反社会的行為に及んだ今回の事件・事実に対し、何らかの謝罪の言葉があって良いのでは無いか」また
— 東国原英夫 (@higashi_kokuba) 2019年4月6日
③ 「自分が近くに居て、ピエール瀧氏の反社会的行為に気付いてやれなかった。防止する事が出来なかった事への反省の弁」また「今後、ピエール瀧氏の更生や社会復帰を支援する」等のコメントがあって然るべきではないかという立場である。これは、飽くまで、
— 東国原英夫 (@higashi_kokuba) 2019年4月6日
④ 僕個人の意見・感想である。「バイキング」では毎回、様々な事件・事故・社会問題等が取り上げられ、それに対して出演者に感想や意見が求められる。出演者は、それぞれ各々の知見・世界観・思想哲学等に基づいて意見や感想を述べる。飽くまで、自由討議・
— 東国原英夫 (@higashi_kokuba) 2019年4月6日
⑤ 言論の自由の範囲内である。僕の意見・感想・主張対して、様々な異論や反論も当然あろう。大いに歓迎である。石野卓球氏の「TVはバカか老人しか誘導出来ない」という意見・主張も一つの意見・主張として尊重されなければならない。放送上の不適切発言や
— 東国原英夫 (@higashi_kokuba) 2019年4月6日
⑥ 名誉毀損等に当たらない限り、原則、言論の自由である。石野卓球氏の「TVはバカか老人しか誘導出来ない」等の主張に仮に本格的に反論するなら、「バカ」の定義を明確にし、視聴層のデータ、誘導調査等を明示し論陣を張る必要があろう。
— 東国原英夫 (@higashi_kokuba) 2019年4月6日
⑦ また、石野卓球氏は「あちら(ワイドショー)が騒ぐと焼け太る」「ワイドショーで取り上げられる度に新規のファンや仕事が増える」等とワイドショーの放送が石野卓球氏の仕事に一定の効果を齎している事を吐露している。ワイドショーが石野卓球氏に対して
— 東国原英夫 (@higashi_kokuba) 2019年4月6日
⑧ 一定の利益誘導をしている事も事実らしい。「バカか老人しか誘導出来ない」に些か矛盾する。まぁ、恐らくそれらを当然想定・期待しての一連の氏の行動である事は容易に想像出来る。また、こちら側(TV側)もそれらの果実・非果実に対して十分想定していて
— 東国原英夫 (@higashi_kokuba) 2019年4月6日
⑨ 「暗黙の了解」的雰囲気が存する事も感じ取れる。
— 東国原英夫 (@higashi_kokuba) 2019年4月6日
さて、東国原英夫氏の主張をもとにすると会社で同僚であり親友で、時には一緒にプロジェクトを成功に導いた人間が会社の金を横領して捕まった時に謝罪し、近くにいたのに気づかなかったバカな自分についての反省を表明しなければならないことになる。そんなアホな。共犯でもないのに?なんの罪で謝罪するのだ。
上司であれば監督責任も出てくるかもしれない。しかし先の例は業務上横領など多少なりとも仕事に関わりのある非行だ。仕事と全然関わりのないことでの非行だったらどうだろうか。プライベートで飲みに行って酔っ払い、そこで他の客と口論になり、喧嘩してポカリとやってしまい捕まった。それでも同僚や上司であれば謝罪や反省しないといけないの?
「自分の同僚が人を殴ってしまいごめんなさい」「彼の酒癖の悪さに気づかなかったのは私の不徳の致すところ」「彼が酒を断てるように支援します」
東国原英夫氏はこれとほぼ同じようなことを言っているわけだけど頭大丈夫なのだろうか。いい年をした社会人が奇妙な連帯責任を負わされることに違和感を抱かないのだろうか。だいたい連帯責任ってなんだ。責任がないことに責任を負うのが責任なのかい?
本当に責任を負うべき場面で責任を負わず、責任がないところで責任を負わす。日本人は責任感が強い、とはよく言われるが本当にそうなのだろうか。高校スポーツなんかの1人の部員による不祥事→はい、連帯責任!甲子園出場権取り上げーみたいなのが当たり前になるわけだ。
さらに東国原英夫氏は石野卓球の「テレビはバカと老人しか誘導できない」という意見に噛み付いている。「バカ」の定義はなんなのか、と。いやそれをいうならあなたのいう「社会人」の定義はなんなんだ、という話になる。
「社会人」というのを自説を補強するための都合の良いものとして扱うんじゃないよ。大の大人が自分の責任で起こした犯罪行為に対して無関係な人間が謝罪・反省をするのが模範的な社会人なのか。それでいうならピエール瀧を今まで起用してきたテレビや映画や音楽関係者はみんな謝罪し、反省しなければならなくなる。
ピエール瀧は20代の頃から薬物に手を出していたっていうじゃないか。それならポンキッキーズに出演させていたフジテレビはどうなのか。アウトレイジに起用した東国原英夫氏の師匠の北野武氏はどうなのか。
相手が強大だと知らんふりをするのは社会人しぐさなのか。そっちの方が社会人としてどうなのかと思うんだけど。
自分が不祥事を起こした時に謝罪や反省をしなければならないのは当然だ。また未成年が問題を起こしたのであれば保護者にも監督責任が問われるのも理解できる。しかしいい年をした大人が問題を起こした時に、直接的な責任のない人間まで連座させられる風潮はもう古い。社会人としての責任というのは自分がしたことに、することに対して負うものであって他人がしたことに対するものではないはずだ。