社員を会社組織に対していかにコミットさせるか、は人事の重要な課題の一つです。成長している会社は経営者と社員が理念を共有して、同じ方向に進んでいます。しかし、組織に強く依存しすぎるのは問題です。
労働時間の管理は会社の責務
上記記事を読んで考えさせられました。残業代を適正に支払おうとしない学校側の態度はもちろんアウトです。私立学校の教師は一般企業に勤める労働者と同様の扱いになります。学校側は教師の労働時間について適切に記録・管理をする必要があります。
このガイドラインは法律上の義務ではありませんが、だからといって何もしなくていいということにはなりません。もし社員が長時間労働による過労で倒れたりしたら、労働時間をちゃんと管理していなかった会社の責任が問われます。
労基法上、労働時間規制の枠から外されるのは管理監督者など一定のものだけです。
第四十一条 この章、第六章及び第六章の二で定める労働時間、休憩及び休日に関する規定は、次の各号の一に該当する労働者については適用しない。一 別表第一第六号(林業を除く。)又は第七号に掲げる事業に従事する者二 事業の種類にかかわらず監督若しくは管理の地位にある者又は機密の事務を取り扱う者三 監視又は断続的労働に従事する者で、使用者が行政官庁の許可を受けたもの
(e-GOV「労働基準法」より引用)
*労基法第41条1項の別表第1第6号、7号とは農業、畜産、水産業。同条2項の管理監督者は単に管理職ではなく、経営に深く関与する立場のものをいう。機密の事項を取り扱う者は例えば秘書など。同条3項は宿日直などが該当。
私立高校の一般教師は上記に当てはまらないので、法定労働時間を超えたらちゃんと残業代を支払わなければなりません。
背中を撃つ同僚たち
学校側の態度も問題ですが、注目すべきは残業代を請求した教師に対する一部の同僚たちの態度です。記事から引用します。
加えて、同僚からは「時間管理しないで自由にやらせてくれ」「職場を分断させる行為」「自分がいる学校を痛めつけることはすべきではない」などと言われた。
いったい何なんだ、と思いますね。みんなのためを思い職場環境の改善に立ち上がったら後ろから撃ちやがった!みたいな。
こういうのなんていうんだっけ?肉屋を支持する豚?
時間管理しないで自由にやらせてくれ
マジメか。いや本当に、こういう考えの人いますね。職人気質な感じです。マジメで善良そうに見えますが実はダラダラやっているだけという可能性もあります。勤務している時間にかかる経費は何も人件費だけではありません。水道光熱費とか何だとかかかります。会社に無駄な経費を使わせている場合があるんですよね。そういうのを何も考えず「こんなに職務に熱中している私って偉い」と自己陶酔しているフシがあります。
厄介度☆
職場を分断させる行為
会社にとって一番怖いのは何でしょう?
それは社員が一致団結して会社と対等な力関係を持つことです。労働契約は労使が対等な関係において結ぶべきだ、とされていますが実際は力関係では会社の方が強いものですよね。となると公平な交渉をするためには数で臨むしかない。プロ野球だって組合があるんですよ。
そこで会社として最も良い施策は社員同士を敵対させることですね。そういえばboketeという大喜利を投稿するアプリで昔大笑いしたものがあります。ボクシングのインターバル中の写真でボケるのですが、セコンドがボクサーに対して「いいか、落ち着いて聞け。お前が殴っているのはレフリーだ」と諭すというのがありました。んー文字にすると全然伝わらない(笑)
こういうのは、要は変革を好まない感情からくるのでしょう。余計なことをしないでくれ、と。その人にとっては「いま」が居心地がいいのかもしれない。今よりもっと居心地が良くなる可能性を考えることができない。しかしその居心地のいい「いま」って永遠に続くものなんですかね?
厄介度☆☆
自分がいる学校を痛めつけることはすべきではない
組織と自分を同一化してしまう人がいます。それ自体は別段悪いことではありません。冒頭に述べたように組織への参加という意味ではむしろ理想でしょう。
しかし無条件・無批判に組織を受け入れるのはいただけませんね。というか自分と組織を同一視するからこそ積極的に「ここはダメだ」「ここを変えよう」と思わなければならないでしょう。
会社に(正当な)批判をする者を異端として排除する防衛機能ほど人や組織をダメにするものはありません。
この手のタイプに一つ忠告するなら、組織はあなたが愛しているほどあなたのことを愛してくれてはないよ、ということです。
組織は組織愛なんてものを忖度しません。必要か不要か。それだけです。で、こうしたタイプが切り捨てられたら普通の人の倍、いや3倍あるいはもっと恨みを増幅させます。依存していた分、裏切られたという思いが強くなるんですね。
厄介度☆☆☆
組織の中で独立する
たとえ組織に所属していても、独立した思考を持つことはとても大事です。組織に依存するというのは自分の存在を消してしまうことに他なりません。依存とは他に頼ることで存在することです。会社人間が定年後ふにゃふにゃになるのはその典型でしょう。
会社の看板をやたら自慢する人も同様です。組織の力を自分の力と勘違いしているので独立すると大抵は失敗します。
組織に過度に依存し、変化を好まない姿勢は長い目で見ると自分のためになりません。会社がおかしなことをやっていたら「それはおかしい」と声をあげるのが本当の愛社精神です。何でもかんでも「はいはい」ということを聞くのが愛社精神ではありません。
故事にも狡兎死して走狗煮らる、とある。煮られるか、噛み付くか、脱走するかは自分次第です。
このまま今の会社にいていいのか?と一度でも思ったら読む 転職の思考法