ジンジャーエール

辛口エールで一杯ひっかける

アンガーマネジメントについて考える

最近気になる風潮がある。アンガーマネジメントだ。というより怒りを異様に禁忌する風潮だ。

 

書店で心理だの自己啓発だののコーナーには少なくない数のアンガーマネジメントに関する本がごく当たり前のように置いてある。まあまあ目立つ場所に。

 

社員研修でもアンガーマネジメントについて触れられる機会も多いのではないだろうか。ことにパワハラが社会問題化して、とうとうパワハラ防止法なるものができるに至った現在では職場で怒りをあらわにすることは憚られることなのだ。

 

で、僕が気になるのはやたらと起こること自体がダメなことだという主張が多いことである。

 

例えばトーンポリシングだ。最近の例でいうとたかまつななさんのnoteがこれで炎上した。一部の女性をピラニアに例えたおぎやはぎの小木さんに対してソーシャルアクティビストが怒り、討論になったことについて、その場に居合わせたたかまつななさんがソーシャルアクティビストたちに対して「言いたいことはわかるけど、もっと穏やかに話し合った方がいいやで。あれじゃイジメやで」と諭したことが、紛れもなくトーンポリシングだ、として炎上したのだ。

 

問題の clubhouseでの討論を聞いてないのでそこには触れるつもりはないのだけど、たかまつななさんのように「怒りは解決に繋がらないよ。冷静に対話しようよ」という考えの人は多いのではないだろうか。

 

その先にあるのが怒りの放棄である。んで、それをアンガーマネジメントだと考える人が結構な数いるんじゃなかろうか。そこで僕は思う。アンガーマネジメントって別に怒りそのものを放棄することではないんじゃないの?と。

 

どうも怒りという感情自体がすごく悪いもの、それを表に出すのは大人として恥ずかしいことみたいな感覚が醸成されつつある。冷静に、クールにいなすのが大人ってもんだぜ的な。

 

でも僕が考えるアンガーマネジメントっていうのは、何も怒りを放棄することではなくて火力を調節することなんだ。例えば料理していて火加減がわからない。わからないからもう料理はやめてコンロを家から撤去しましょうみたいなことはアンガーマネジメントとは思わない。強火にしようとか、ここは弱火でだとかあるいは一旦火を止めておきましょうみたいな火力を自分自身でコントロールすることがアンガーマネジメントだろう。

 

職場でも家庭でも自分の怒りの火力調節することなく怒鳴り散らすのはもちろん厳禁だ。それはパワハラであり育児なら場合によっては虐待になりうる。

 

必要な時に怒ることは大切だ。実際に怒りが何かの原動力になることもある。スポーツなんかを見ているとよくわかる。無様に三振を喫した選手がバットを叩き折る。逆転打を浴びた投手がグラブを地面に叩きつける。ゴールチャンスを逃したストライカーが怒りの雄叫びを上げる。危険なチャージに遭遇すればウェイン・グレツキーだって怒りを表明するチャンスを逃しはしないだろう。そうしてこれらの怒りはゲームをよりエキサイティングにしたり、選手が自分自身を叱責し、次のチャンスを飢えた目で狙う優秀な狩人に変えたりする。ズラタンなんか終始何かに怒っているように見える。

 

もしも怒りがなければpistolsが“God Save The Queen”を閉塞と欺瞞に満ちた社会に叩きつけることも、manicsが“little baby nothing”でポルノ的な生活で磨耗する女性たちに寄り添うこともなかっただろう。Rockに神のご加護を。

 

怒りを表明することは「それだけ私たちは本気である」と表明することだ。例えば女性蔑視の問題を見てみよう。一部の男性がニヤニヤしながら「問題なんてどこにもないぜ。火のないところにニトロを持ち込んでるのはフェミニストだろう」と冷笑しているとする。というか実際にそんな感じである。それに対して冷静に話し合いができるだろうか。少しでも声を荒げれば「女性はヒステリーを起こす。感情的になる」と揶揄されるのがオチだ。こうした男性は女性が冷静に対話をしようとした時に同じように冷静に話を聞く準備ができているだろうか。

 

冷静とは「落ち着いていて、感情に左右されないさま」という意味だ。怒ってる相手を一見冷静に「まあまあ落ち着いて」となだめている人間の内心は本当に感情に左右されていない状態を保っているのだろうか。内心「めんどくせーなー」とか「とりあえず黙れ」などと思っていた場合、それは感情に左右された状態ではないのか、という問題に当たる。

 

なぜこれほどまでに近年怒りが忌避されるようになったのだろう。僕が思うに、怒りの感情を奪うのは為政者(権力者)にとって人々を統治するための最高の手段の一つである。コミュニティに所属するもの全員が現状に満足して怒る余地がない状態。これはまあ良い統治だろう。一方で飢えて、今日明日にも枯れ果ててしまいそうな状態では怒る気力も湧かない。反乱を起こす力も出ないし、なんなら少しの食料を与えれば飼いならすことが容易である。怒りは時として何かを動かす猛烈なエネルギーになる。僕が権力を持っていて、今の地位に安閑としていたいのなら人々にそんなエネルギーは持たせたくないと考えるだろう。

 

煉獄兄さんは「心を燃やせ」と言ったが、もしも心に火種がなければ燃やすことはできない。

 

怒りは放棄するのではなく、その火力を自分で調節するのが良い。アンガーマネジメントとはつまるところ料理や材料やシチュエーションによって火力を変幻自在に操る火力の魔術師を目指すことである。決してコンロそのものを撤去する調理場の片付け師のことではないのだ。f:id:chitosemidori:20210223103521p:plain