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体操の宮川選手のパワハラ問題は解決されるのか?第三者委員会調査報告書感想文

一時期世間を賑わせた体操協会のパワハラ問題。ワイドショーでは連日のように塚原夫妻の悪行(?)を報道していた。池谷幸雄とか森末慎司とか塚原夫妻批判の急先鋒が滅多切りにしていましたね。永久追放だ!とか。

 

調査報告書

で、体操協会が第三者委員会からの調査報告書を受け取り後悔した。結果からいうと塚原夫妻の宮川選手へのパワハラは認定されなかった。

 

昨今パワハラは社会問題化しており、一般の関心も高い。その中で今回の第三者委員会のパワハラ不認定の結論に対しては批判の声も上がっている。

パワハラは難しい

パワハラ問題に普通の人よりは関わることの多い身として、今回の宮川選手へのパワハラ不認定について思うところがある。

 

結論から言うと、パワハラ認定は難しいだろうな、というものだ。決して体操協会や塚原夫妻の肩を持ちたいわけではないし、そもそも第三者委員会の調査報告書が全てだとも考えていない。ただし現時点で判断できる材料がこの調査報告書のみである以上、この調査報告書をもとに考えるしかないのだ。

 

じゃあ第三者委員会の調査方法に問題があるんじゃないのか、協会の息が掛かってるんじゃないのかっていうのはまた別の話である。ただしそれ(協会有利の不公平な調査)自体推測での話となりだいぶ苦しい。

 

行間を空想で埋めるのではなく、あくまで現時点で把握できる事実で判断するよりない。

体操協会の問題点

まず、問題がこれほどこじれてしまった責任はもちろん体操協会(と塚原夫妻)にある。それは間違いない。

 

では、何が問題であったかいうと塚原夫妻のパワハラ体質ではない。協会自体のガバナンスの欠如である。この点は調査報告書でも強調されている。

問題の出発点

宮川選手と塚原夫妻がここまでこじれた原因は宮川選手が2020東京五輪強化選手への参加をしなかったところにあると調査報告書を読んで感じた。宮川選手としては速水コーチの下で練習していればいいと考えていた。

 

塚原強化本部長としては有力選手が協会よりもコーチを優先することが面白くなかったという感情はあるだろう。それがボタンのかけ違いの出発点だと感じた。

ガバナンスの欠如

そうした中でナショナルトレセン(NTC)の利用について2020五輪強化選手参加選手が不参加選手に比べ優遇されていることが宮川選手の不満・不信につながったと調査報告書には記されている。

 

この不均衡な待遇差については体操協会の中でルールが明文化されておらず、塚原千恵子強化本部長の権限による独断であることも報告されている。

 

そしてそのような個人の独断で運用が変わるルールが問題視されている。それは当然であろう。2020五輪強化選手参加者が優遇されるのであれば、少なくとも制度上明文化しておかなければ納得は得られないだろう。そうしたルールが合理的なものかどうかは別として。

 

特にNTCは施設として素晴らしいものだと報告書にもあるので、その利用について合理的な理由なく差がつけば不当な取り扱いを受けていると選手側が考えてしまうのも致し方ない面がある。

 

NTCの施設としての性格を考えれば2020五輪強化選手の方を優先すること自体は、きちんとしたルールに則っていれば理解は得られるのではないだろうか、と個人的には思う。だが、そこを個人の権限や独断でいかようにも変えられるようにしていたのは、やはり協会の怠慢だと僕は思う。古い感覚のままなんだろうな。

引き抜き行為について

当時宮川選手が所属していたところから、塚原夫妻がかかわる朝日生命クラブへの引き抜きについてはどうだろう。

 

嫌がる相手に何度もしつこく話を持ちかけたり、不利益を与えるという脅迫的な言動があればパワハラに該当し得るだろう。

 

パワハラがセクハラと違うのは「相手が嫌と感じたらハラスメント」というわけではない点だ(これ自体も若干誤解を招くものであはあるが)。

 

何回勧誘すればしつこいという基準があるわけではない。そこは受け取り方に個人差がある。不利益というのも具体的な損害を測定するのは難しい。

速見コーチからの引き離し

速見コーチから宮川選手を引き離すことについても問題にされている。速見コーチから離れることに抵抗を示す宮川選手に対して「宗教みたい」と発言したとされる点については第三者委員会も、不適切な発言と断じている。

 

また、だれから指導を受けるかも本来は選手個人の自由であるはずだ。その点で注意は必要であったであろう。一方で、速水コーチが宮川選手に暴力行為を行っていたという点も見逃せない。未成年の選手を保護する観点から多少強引にでも引き離す必要があった、と主張されるとなるほどそうか、と受けざるをえない。

 パワハラは認定されず

このあとどのような流れになるのかは、現時点ではわからない。少なくとも体操協会的にはいろいろと問題点はあったものの、パワハラとまでは言えないという結論に達した。宮川選手サイドがこれを不服とするならあとは訴訟で、ということになるであろう。

 

これは僕個人の勝手な推測に過ぎない話だが、塚原夫妻によるパワハラ的な行為はずっとあったのではないかと思っている。宮川選手だけでなくその他の選手に対しても。要は塚原夫妻にとって当たり前のことでも、時代的にもはや許されない行為があることをきちんと理解できていないのであろう。その齟齬がパワハラを産む。自分にとっての当たり前は全ての人にとっての当たり前ではないのだ。しかしながらこれは僕が勝手にそう思っているだけの話で、事実がどうなのかはやはりわからない。推定無罪の原則から言えば塚原夫妻を(少なくとも外野が)断罪することはできない。

メディアの罪

そうした意味で体操協会の騒動についてメディアが果たした役割は大きい。役割というより罪だが。とにかく塚原夫妻=悪、有罪という前提で話が進んでいた。

 

確かに選手=弱い立場、善で塚原夫妻=権力者、悪というのは図式としてわかりやすいし視聴者に訴えかけやすいのだろう。しかしあまりに無責任な報道が多かったように思う。推定無罪という当たり前の原則が守られず、まるで犯罪者のように叩いていたのははっきり言って異常だった。

 

問題にすべきは塚原夫妻個人の人間性ではなく、体操協会の古い体質であろう。特に選手に対するコミュニケーションは丁寧さを欠き、一方的に従うのが当たり前という感覚だったのが調査報告書からも読み取れる。それが塚原夫妻の独断に繋がっていったと。当たり前の話だが、選手は協会の所有物ではない。独立した人間だ。

 

もう一つ。そもそも速水コーチが宮川選手に暴力を振るっていたことももっと問題にされるべきではなかったか。メディアは宮川選手を善とするあまり速水コーチの暴力をスルーしていたように感じた。塚原夫妻は今回パワハラ認定されなかったが、速水コーチの暴力は問答無用のパワハラである。

 

しかし速水コーチ一人を責めるのもどうだろうか。ああいう暴力的な指導は体操の世界にはいたるところにあるのではないか、という疑念もある。というかいろんなスポーツ界でまだ体罰はあるんだろう。池谷幸雄氏や森末慎二氏ももっとそこを強く非難するべきではなかったのか。塚原夫妻憎しのあまり、本当の問題に目をつぶっていなかったか。

スポーツとパワハラ

残念な話だけど、日本のスポーツ界はパワハラと親和性が高いように感じる。学生の部活や実業団などは特に上下関係がきっちりしており、下が意見を言うことなどできない雰囲気がある。体罰や罵詈雑言を強くなるための必要な指導と考えている指導者もまだいるだろう。 

 

これは勝ちを求めすぎることの弊害だ。というより負けることを恐れていると言ったほうがいいのか。ミスに不寛容な雰囲気が日本にはある。また指導者が選手を自分の所有物のように扱うのも問題だ。

 

塚原夫妻は今回はパワハラ不認定とされたけど、これまでの言動に問題なしのお墨付きを得られたわけではない。そこは今後厳しく見ていく必要があるだろう。