ジンジャーエール

辛口エールで一杯ひっかける

桜田論外の変

触れる気はなかった。

池江璃花子さんが白血病を公表したことについて。

18歳の女性が病気と戦うのである。そっとしておこう、遠くから治療が進むことを祈っておこう、そう思ってました。あとこれだけは言っておく。「池江選手の病名は?経歴は?家族は?」みたいなアクセス稼ぎのゴミ記事とゴミライターは全て滅びろ。

 

さて、桜田五輪担当相である。池江選手の病気のことについて問われ「本当にがっかりしている」「オリンピクが盛り下がらないか心配」などとても信じられない発言をしたとして問題になっている。一体どうしたんだ?木工ボンドの匂いを嗅ぎすぎてトリップでもしたのかい?よくもまあ一国の大臣が、こんな発言をできるものだ。大臣の資質もそうだし、人としてもダメだろう。

 

面白いことに、ここにきて政権の御用聞きを務める産経新聞や東スポなどのゴミ記事を大量生産するゴミジャーナルが桜田大臣を擁護し始めた。どっかから指示でも出たんだろうか?曰く桜田大臣の今回の発言は一部を切り取られている。全文を読めばちゃんと心配した発言をしている。曰くマスゴミが誘導尋問をしている。不用意で繊細さにかけてたかもしれないが大騒ぎするほどでもない。むしろ誘導尋問したマスゴミが悪い。そんな論調で必死さが伝わる。これだけ擁護に必死なのを見ると、いかに安倍政権にとって桜田大臣の失言がダメージになると危機感を抱いているということかがわかる。どうしてもなんでもない発言、悪意を持って一部を切り取られたというストーリーにしたいのだろう。

 

だが待ってほしい。仮にも五輪担当大臣なのだ。当然こういった質問が出ることは予期出来るはずであるし、どういう答えがふさわしいかもわかるはずだ。産経新聞は「全文を読めばちゃんと心配していると言っている」と擁護するが甚だおかしい。全文を読まなければ心配しているとわからないのは変だろう。どこを切り取られようが問題ない発言をするのが筋ではないか。ちなみに僕は全文読んだが、本当に心配しているようには読めなかった。なんというかしんぱいしている、治療に専念んして早く治してほしいという部分を何度も繰り返し紋切り型にしか見えない。一方で「がっかりしている」だの「オリンピックが盛り下がるかもしれない」などの発言をすれば、その部分を大きく取り上げられるかもしれないというのは容易に想像できるのではないか。であればそのような発言は慎むべきだという判断ができるのではないだろうか。

 

考えてみてほしい。もしオリンピックを担当する大臣が、発言の中の一部とはいえ「がっかりしている」「オリンピックが盛り下がるかもしれない」などと発言したら、当の池江さんはどう感じるだろうか。もしも「申し訳ない」などと感じてしまったら。人生は美しくあるべきだ。オリンピックの有力選手であることは美しい人生の重要な一部になるだろう。しかしそれはあくまで人生の一部に過ぎない。決して全てではない。いま池江さんは非常な落胆、恐れ、不安の中で生きているのかもしれない。弱ってる人間にそのこと自体についてもしも「申し訳ない」と思わせることがあったら、それは社会にとって敗北だ。しかし日本ではなぜか弱い方の人間が申し訳なく思うように仕向けられることがある。

 

最近だとNGT48の山口真帆さんがあげられる。暴行の被害者であるにも関わらず、公演の際にファンに対して「ご心配ご迷惑をおかけしました」と謝罪をする羽目になった。非常に醜悪じゃないか。もう一度言う。人生は美しくあるべきだ。誰であれ自尊心を傷つけられることなく生きる権利がある。小林よしのり氏が桜田五輪担当相へのバッシングについて異論を述べている。

「誰だって池江選手には同情し、心配してるんだから、同情=正義になって、失言ひとつも許すまじと全体主義になってしまうのも不健全だろう」

と語ったそうだ。何をいってるんだ。

同情=正義になっている?どこの世界で?

病気で弱っている人に対して同情するのは人間の心の働きとして当たり前のことではないか。誰も同情するのが正義だと思っていない。もちろん世の中には同情しない人間もいるかもしれない。しかしだからと言って「同情しろ」と強要されているだろうか?少なくとも僕はそんなことしない。ロクでもねーやつだなとは思うかもしれないが、同情しろテメエこのやろなどとはならないのではないか。そして今回桜田大臣が責められているのは同情しなかったからではない。大臣として明らかに不適切な発言をしたからだろう。

 

書いてるだけで気が滅入ってくるので、甚だ中途半端だけどこの辺で終わる。次はもっと明るいことについて書きたい。