ちきりん氏のツイートについて。彼女の中でどういった考えがあったのか、を考えてみたい。
一流大学の法学部で憲法を学んで、なんで「経済困窮で自殺」するかな。憲法25条とか、生活保護のこと知らなかったのかしら。勉強ってほんと役立たないな。
— ちきりん (@InsideCHIKIRIN) September 17, 2018
九州大学法学部、元院生の男性、経済的に困窮し放火で自殺か
https://t.co/38wgBmH2oL
一読すると、確かに冷たく、ひどい印象を受けます。
死者に対して鞭打つような言葉と取れる。無知ゆえに自死したのかというのは酷いでしょう。無知だけに鞭打たれるなんて。なんちゃって。いやほんとごめんなさい。
ちきりん氏もこの男性が「本当に憲法25条や生活保護のことを知らなかった」とは考えてないのかなーとは思います。要は知ってたけど「使えなかった」と。ちきりん氏の発言を読み解く上では、そこが鍵になるんじゃないかと。
ちきりん氏はなぜあのような少々過激とも思える発言をしたのか?
僕の仮説としては、
- この男性のように経済的困窮(あるいはいじめやパワハラが原因でもいいが)により自殺してしまう人を救えないことに対する苛立ち
- 高学歴であるがゆえにプライドが高くなり、生活保護を受けられなかった可能性への言及
- 成功者ならではの高慢さ
奇妙な自己責任論者がいます。なんでもかんでも「自己責任ガー」と叫ぶ連中。
特に生活保護に関しては、過去に不正受給ではないのに、ネットを中心に批判や誹謗中傷に晒された芸人の件を見ればなんとなく躊躇してしまいたくなる気持ちもわかります。確か大蔵省出身の国会議員様(皮肉)からも名指しで非難されたくらいだからね。
あるいは最低賃金との逆転現象とかね。だから生活保護を受けるな!働け!と連呼する人たちがいるわけです。生活保護=楽な生活というあまりに安易な(というかほとんど犯罪的に世間知らずな)考えに飛びついてしまう人たち。
実際に生活保護を受けざるを得ない人たちの、生活保護ライフ(ゴールは脱出ではない。人としての最低限以上の生活ができることがゴールだ)の入り口として多いのは病気や怪我で働けなくなったこと、です。誰にでも起きうることです。だからこそセーフティネットとしてきちんと機能させなきゃいけない。
例えば最賃とのバランスの悪さは、制度上の欠陥です。
それと生活保護を受けることのハードルとは本来関係のないことです。もっといえば最賃が低すぎる。一部の地方だといまでも700円台です。自殺した元九大生が住んでいた福岡県の平成30年9月18日時点での最低賃金は789円。来月には814円になりますが、それでも高いとは言えない。
生活保護といえば、かつては水際作戦なんてのもありました。今もあるのでしょうか。セーフティネットがセーフティネットとして機能せず、働いたとしても生活保護並みの賃金しか得られない可能性もある。国民を救えない社会保障制度(あるいはその機能不全)についての苛立ちから、ああいった発言になったのかもしれない。
次に高学歴であることについてです。
「勉強ってほんと役立たないな」っていうのは、実のところ多くの人が頷くところではないでしょうか。高学歴であるがゆえにプライドが高くなり、生活保護を受けられないとしたら悲劇です。もしくはプライドが邪魔して生きるために泥水をすすることができなかったら?
低賃金の単純労働で、自分より年下のチャラい正社員に小突かれたり。
そこから一発逆転するための雌伏の期間であればいいものの、日本では一度新卒入社のレールから外れると復帰は難しい単線仕様。ましてや研究職なんてのはたいがい狭き門。元院生は就職氷河期世代。研究職ではなく一般企業に勤めている人でも、同じような境遇の人は日本全国たくさんいるでしょう。
そう考えると、元院生のように生活の困窮して自殺してしまう人はまだまだこれから増えるのではないか。今はなんとかギリギリ持ちこたえていても、就職氷河期世代が50代とか60代になった時に決壊する恐れはある。
もしも経済的困窮に追い詰められた時に自分を救うものはなんだろう?
学校で勉強したことよりも「生きる技術」みたいなものではないだろうか。そう考えた時に「勉強ってほんと役立たないな」っていう感想になるのもわかる気がします。
ちきりん氏のキャリアはよく知らないけど、例えば外資系のコンサル会社(高学歴の人が目指す)とかに入ればかなりサバイバル能力が求められるんじゃないかな。論理的思考より語学より、そのベースに「生き抜く意志」みたいなものがいるんじゃないかと。もしくは適度に手を抜く「生き抜く知恵」みたいなやつとか。で、そういったのは学校ではなかなか学べない。
学歴が高いことと社会で生きる上で優秀かどうかはイコールにならない。
プライドは捨てて、すがれるものにはなんでもすがろう。
そう言いたかったのかもしれません。
そして最後に、本当に成功者ゆえの上から目線で冷笑している可能性はどうでしょうか。
もちろんその可能性もあります。
もしそうだったら、残念です。
ただ、12歳の自分にあのような発言を読ませることができるか、読ませたいかと考えた時に「どうだろう?」となります。
弱者を笑うことや切り捨てるのは人として大事な何かが欠落していることに他ならない。そうした選択をあのように頭がいい人がするでしょうか。
と、やや性善説的に高慢さからくる冷たい発言の可能性は排除しておきたい。
本当のところはちきりん氏にしかわかりません。
ただ埋もれてしまいがちな社会の一事件を、多くの人が深く考えるきっかけにはなったことは間違い無いでしょう。