ジンジャーエール

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残業命令に強制力はある

田端信太郎氏がまた炎上しています。また、なのかまたまた、なのかいつもどおり、なのかそれはさておき「過労自殺は自己責任」という一連の田端氏の主張の中であきらかに誤った認識の事柄がありますので、指摘しておきたい。そしてそこに日本の労働事情に関する重要な問題点が潜んでいます。

 

残業命令に強制力はあるのか

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はい。あります。

「時間外労働および休日労働に関する協定」を適法に結び、所轄の労働基準監督署に届出る。これが適法に残業をさせる際の作法です。

そして、会社の就業規則や個別の労働契約書に「時間外労働をさせる場合がある」と記されていれば会社が社員に残業を命じる根拠になります。さらにこの命令を社員が「正当な理由なく」断った場合は業務命令違反として懲戒処分の対象にもなり得ます。もっとも解雇まではさすがにできないでしょう。処分として重すぎます。

過労死の第一義的な責任は会社にある

さて、田端氏は「過労死・過労自殺は自己責任」と主張しています(その後「会社にも責任の一端はある」と少しだけ主張を変えていますが)。

要は、過労死したり過労自殺する前に逃げるなりなんなり自分でできたはずだろー、ということです。

そんな田端氏におすすめしたいのが「労働安全衛生法」です。

第三条 事業者は、単にこの法律で定める労働災害の防止のための最低基準を守るだけでなく、快適な職場環境の実現と労働条件の改善を通じて職場における労働者の安全と健康を確保するようにしなければならない。また、事業者は、国が実施する労働災害の防止に関する施策に協力するようにしなければならない。 

 会社には、社員の健康を守るための安全配慮義務が課せられています。

つまり、例えばですが過労死ラインとされている月の残業時間が80時間を超えそうであれば、会社はその社員の心身の状態を気にかけなければなりません。表情や言動、仕事の質やスピードなど普段と変わったところがないか上司や総務人事や経営陣は注意して、「あ、ヤバそう」と思ったら無理やり休ませるとか何らかの安全確保をする必要があるのです。人を雇う、部下を持つということはそれだけの責任を負うということです。「自己責任でよろしく!」というのは、一方で上司としての、人事部(課)としての、経営者としての責任を放棄していることになるのです。自分の責任を放棄しておきながら一社員には厳格な自己責任を求めるのはいささか不条理ではないでしょうか?

過労死・過労自殺の怖さ難しさを知ってほしい

「過労死・過労自殺は自己責任」と考えている人たちにぜひ知っておいてほしいことがあります。それは過労による突然死も過労自殺も、ほんとうに「突然」起きるわけではないということです。

例えば脳血管疾患や心疾患は長時間労働によるストレスが積もりに積もって少しづつ体にダメージが蓄積された結果発症することが多いのではないでしょうか。

厚生労働省の過労死認定基準に関する通達があります。

(1)脳・心臓疾患の発症に影響を及ぼす業務による明らかな過重負荷として、長期間にわたる疲労の蓄積を考慮することとしたこと(長期間の過重業務)。

(2)(1)の評価期間を発症前おおむね6か月間としたこと。

(3)長期間にわたる業務の過重性を評価するに当たって、労働時間の評価の目安を示したこと。

(4)業務の過重性を評価するための具体的負荷要因(労働時間、不規則な勤務、交替制勤務・深夜勤務、作業環境、精神的緊張を伴う業務等)やその負荷の程度を評価する視点を示したこと。

つまり脳血管疾患/心疾患が労災として認定されるにあたって、発症前6か月間の(時間外)労働時間を一つの目安にするよ、ということです。*1

 

少し長いですが大事なとこなので引用します。

基本的な考え方

(1) 脳・心臓疾患は、血管病変等が長い年月の生活の営みの中で、形成、進行及び増悪するといった自然経過をたどり発症する。

(2) しかしながら、業務による明らかな過重負荷が加わることによって、血管病変等がその自然経過を超えて著しく増悪し、脳・心臓疾患が発症する場合がある。

(3) 脳・心臓疾患の発症に影響を及ぼす業務による明らかな過重負荷として、発症に近接した時期における負荷のほか、長期間にわたる疲労の蓄積も考慮することとした。

(4) また、業務の過重性の評価に当たっては、労働時間、勤務形態、作業環境、精神的緊張の状態等を具体的かつ客観的に把握、検討し、総合的に判断する必要がある。

2 対象疾病

 

(1) 脳血管疾患
 ア 脳内出血(脳出血) イ くも膜下出血
 ウ 脳梗塞 エ 高血圧性脳症

(2) 虚血性心疾患等

 ア 心筋梗塞 イ 狭心症
 ウ 心停止(心臓性突然死を含む。) エ 解離性大動脈瘤

3 認定要件

 次の(1)、(2)又は(3)の業務による明らかな過重負荷を受けたことにより発症した脳・心臓疾患は、労基則別表第1の2第9号に該当する疾病として取り扱う。

 

(1) 発症直前から前日までの間において、発生状態を時間的及び場所的に明確にし得る異常な出来事に遭遇したこと(異常な出来事)。

(2) 発症に近接した時期において、特に過重な業務に就労したこと(短期間の過重業務)。

(3) 発症前の長期間にわたって、著しい疲労の蓄積をもたらす特に過重な業務に就労したこと(長期間の過重業務)。

4 認定要件の運用

 

(1) 脳・心臓疾患の疾患名及び発症時期の特定について

 

ア 疾患名の特定について 
 脳・心臓疾患の発症と業務との関連性を判断する上で、発症した疾患名は重要であるので、臨床所見、解剖所見、発症前後の身体の状況等から疾患名を特定し、対象疾病に該当することを確認すること。

イ 発症時期の特定について 
 脳・心臓疾患の発症時期については、業務と発症との関連性を検討する際の起点となるものであるので、臨床所見、症状の経過等から症状が出現した日を特定し、その日をもって発症日とすること。

(2) 過重負荷について

 過重負荷とは、医学経験則に照らして、脳・心臓疾患の発症の基礎となる血管病変等をその自然経過を超えて著しく増悪させ得ることが客観的に認められる負荷をいう。

 

ア 異常な出来事について

 

(ア) 異常な出来事

 

a 極度の緊張、興奮、恐怖、驚がく等の強度の精神的負荷を引き起こす突発的又は予測困難な異常な事態

b 緊急に強度の身体的負荷を強いられる突発的又は予測困難な異常な事態

c 急激で著しい作業環境の変化

(イ) 評価期間
 発症直前から前日までの間

(ウ) 過重負荷の有無の判断
 遭遇した出来事が前記(ア)に掲げる異常な出来事に該当するか否かによって判断すること。

イ 短期間の過重業務について

 

(ア) 特に過重な業務
 特に過重な業務とは、日常業務(通常の所定労働時間内の所定業務内容をいう。)に比較して特に過重な身体的、精神的負荷を生じさせたと客観的に認められる業務をいう。

(イ) 評価期間
 発症前おおむね1週間

(ウ) 過重負荷の有無の判断
 特に過重な業務に就労したと認められるか否かについては、(1)発症直前から前日までの間について、(2)発症直前から前日までの間の業務が特に過重であると認められない場合には、発症前おおむね1週間について、業務量、業務内容、作業環境等を考慮し、同僚等にとっても、特に過重な身体的、精神的負荷と認められるか否かという観点から、客観的かつ総合的に判断すること。
 具体的な負荷要因は、次のとおりである。

 

a 労働時間
b 不規則な勤務
c 拘束時間の長い勤務
d 出張の多い業務
e 交替制勤務・深夜勤務
f 作業環境(温度環境・騒音・時差)
g 精神的緊張を伴う業務
(b~gの項目の負荷の程度を評価する視点は別紙のとおり)

 

ウ 長期間の過重業務について

 

(ア) 疲労の蓄積の考え方
 恒常的な長時間労働等の負荷が長期間にわたって作用した場合には、「疲労の蓄積」が生じ、これが血管病変等をその自然経過を超えて著しく増悪させ、その結果、脳・心臓疾患を発症させることがある。
 このことから、発症との関連性において、業務の過重性を評価するに当たっては、発症時における疲労の蓄積がどの程度であったかという観点から判断することとする。

(イ) 評価期間
 発症前おおむね6か月間

(ウ) 過重負荷の有無の判断
 著しい疲労の蓄積をもたらす特に過重な業務に就労したと認められるか否かについては、業務量、業務内容、作業環境等を考慮し、同僚等にとっても、特に過重な身体的、精神的負荷と認められるか否かという観点から、客観的かつ総合的に判断すること。
 具体的には、労働時間のほか前記イの(ウ)のb~gまでに示した負荷要因について十分検討すること。
 その際、疲労の蓄積をもたらす最も重要な要因と考えられる労働時間に着目すると、その時間が長いほど、業務の過重性が増すところであり、具体的には、発症日を起点とした1か月単位の連続した期間をみて、

 

(1) 発症前1か月間ないし6か月間にわたって、1か月当たりおおむね45時間を超える時間外労働が認められない場合は、業務と発症との関連性が弱いが、おおむね45時間を超えて時間外労働時間が長くなるほど、業務と発症との関連性が徐々に強まると評価できること

(2) 発症前1か月間におおむね100時間又は発症前2か月間ないし6か月間にわたって、1か月当たりおおむね80時間を超える時間外労働が認められる場合は、業務と発症との関連性が強いと評価できること を踏まえて判断すること。

(厚生労働省HPより *赤字は筆者による)

よく過労死/過労自殺で原因になるのが、上記の「4 認定要件の運用」の(2)過重負荷についての中の「ウ 長期間の過重業務について」です。もちろん突発的なものもあるのですが、多くの過労死/過労自殺はゆっくりと、徐々に身体または精神、あるいはその両方を蝕んでいきます。

労働時間の適性な管理は会社の責務です。労働時間管理を社員の自主性に任すのは会社としての責務を果たしていないことになります。労働時間管理は法律上、労働時間の枠組みを外されている管理監督者であっても会社は責任を持たなければなりません。以下を参照してください。

www.mhlw.go.jp

労働安全衛生法の安全や健康への配慮義務や上記の労働時間管理のガイドラインを見る限りでは、過労死/過労自殺が自己責任というのは無責任な態度に他ならないということがわかるかと思います。

社員に全く責任はないか

ただ、田端氏の主張全部が吐き気を催すものというわけでもないと感じます。長時間労働の命令に対してヤバイと感じたら全力で逃げる、というのは確かに大事なことです。

 しかし現実にはこの「逃げる」という行為を容易にできない。それが日本の労働事情の問題の根深さだともいえます。なぜ逃げることができないのか、ということについてはいくつかの原因があると考えます。

僕が思う原因は二つあります。一つは「洗脳状態」、もう一つは「情報のなさ」ではないでしょうか。

洗脳状態とは?

過労死・過労自殺は、基本的に長時間労働やパワハラなど不適切な職場環境がある程度の期間放置されることにより発生することが多いです。今日の明日ので発生することは稀でしょう。長時間労働が続くうちに思考は麻痺してしまいます。僕もかつて月に400時間くらい働いたことありますが、曜日の感覚とかなくなりますね。マジで。疲れて働いてるか寝てるかだけの生活になります。そうなるともうまともな思考が働かない。逃げようという気力すら奪われるということになります。

あと一つ洗脳といえば、上司や社長が怖い、ということもあります。ホワイトカラーな職場でもありますが、特にブルーカラー系の職場では気性の荒い人達が多く上司に逆らうと何されるかわからないという恐怖から逃げることを躊躇ってしまうこともあります。

情報がない

田端氏は主張の中で「権利の上にあぐらをかくものは救済されない〜」的なことをツイートしてました。確かにそうかもしれない。実際無知な労働者は多い。でもそれは労働者の側も不勉強という側面も確かにありますが、教育の過程でもっと民法や労働法について学ばせる必要があるのではないか?と常々感じています。僕だって新卒の頃は雇用契約書もない、残業代を支払わない、就業規則を見せないくせに会社の都合のいい時だけ「懲戒処分にするぞ」とか就業規則の該当条文だけを見せて脅してくるようなクソブラックにいました。でもそれがおかしいことだと知らなかった。大学で法学部に行けば多少は学ぶのだろうけど、それ以外の学部やそもそも高卒だったりすると、社会に出た時に本当に必要な法律的な知識を学ぶ場がない。だからブラックバイトが蔓延るのだし、労働者の無知につけ込んだ強制労働まがいの職場が存在するのではないでしょうか。

労働法規を学ぼう

労働関係各法をディープに学ぶ必要まではありません。これらを学ぶ目的は、最低限の知識を持っておけば「何かおかしいぞ?」と考えることができるようになるということです。

例えば労働時間の上限は原則1日8時間、1週間に40時間。

例えばパートやアルバイトにも有給休暇はある。

例えば解雇なのに「退職届を書け。ここにサインしろ」というのはおかしい。

例えばレジで違算があった時でも給料から勝手に差し引いてはいけない。

 

逃げていいのかどうかを判断するためには、逃げ道を知っておかなければなりません。しかし現状は逃げ道があることすら知らない人が多いのです。そして労働者の無知に付け込む経営者が多いのも事実です。

 

法律なんてよく分からない、面倒くさい、難しい。確かにそうかもしれません。しかし田端氏やその主張への賛同者が一定数以上いることを思えば身を守る鎧としての労働基準法(とその周辺の法律)を身につけておくことが今後ますます重要になってくるでしょう。

 

*1:もちろん社員の年齢や既往症の有無、生活習慣等によって認定されるかどうかが変わる場合ことがあります。