ジンジャーエール

辛口エールで一杯ひっかける

コンビニ支払い現金派は損をしているのか、どうか

イケダハヤトが燃えている。

なんでもイケハヤ氏によるとコンビニでクレカや電子マネーを利用せず、現金で支払っている人は「バカ」だそうだ。で、僕は元の記事を読んでないのだけれどもその派生記事というかファイナンシャルプランナーが書いたイケハヤ氏に賛同する記事を読んだ。そのFPもコンビニで玉子一個数十円の買い物であってもカードを使うそうだ。そして現金派はお金の管理にルーズで自分がいくら使ってるか把握できてない、と断じている。また自分の前に並んでいる人が現金で支払っているのを見るとクレカや電子マネーに付くポイント分損しているとかわいそうな気持ちになるそうだ。そのほか記事中ではイケハヤ氏に対する反論が「バカで結構」とか「だからイケハヤ好きになれない」などといった合理的というよりは感情論でしかない点もあげつらっていた。たしかにそうだ。そのうえで言わせてもらいたい。

 

だからなんだよ??

 

僕はコンビニで現金でしか支払わない。

あるいはお店独自のポイントカードなんてのももらってもいつも忘れる。

おサイフケータイ機能もない。というかガラケーだ。

そんな人間はイケハヤ氏やこのFPからみたら古くさい人間なのだろう。新しい時代に対応できず損をしている人間だと。しかし考えてみてほしい。僕はそもそもそのポイントを自分が受け取る権利のあるものと認識していない。僕の中ではそれらのポイントはもともと無いものなのだ。だからそれを受け損なっているつもりもなく従って自分が損していると思ってない。自分がもともと手に入れる気のないものについてあれこれと思い悩むことはないでしょう普通は。

いやいやその態度こそが情弱なのだ、と言われるかもしれない。が、ポイントを得ることに重きを置いてない以上その情報は僕にとってはあまり価値のないものだからこれをもって情弱とは言えないだろう。情報の価値というのはそれを欲している人がいるから価値があるのであって例えば僕が今日履いているパンツの色なんて35億どころかたぶん69億9999万人にとって価値のない情報だ。だからその情報を知らないといって彼らを情弱とは言わない。ようは情報とは何に重きを置くかの問題なのだ。世の中には自分と違う価値観の人間なんて腐るほどいる。そしてそれがウンザリするような人間関係を生み出す要因となっていたりもする。とはいえその違いこそが人間を人間たらしめているものでもある。そう考えると自分が知っている情報を他人が知らないからといってバカだ、損していると断じるのは(イケハヤ氏の場合は煽る意図で確信を持ってバカと書いてるのだろうけど)なんだか人間を否定しているようで、でもそういう人が他人よりも一段上にいる感じでものを言うあたりが一方的なコミュニケーションの時代だなぁと思わせられる。ライフハック記事なんて人気だけれどそれが世の中一般にとってそうなのかどうか、ではなく自分にとって本当に必要な情報なのかを見極めなくてはならない。

 

もちろんコンビニでカードや電子マネーの利用派に対して僕が何か思うわけではない。好きにしたらいい。僕だってもしかするとそのうちカードや電子マネーを利用し出すかもしれない。自分にとってそれが必要だと思えばね。ただそれだけのことだよ。

 

ちなみに、今日の僕のパンツの色は黒です。なんか普通でごめんね。

 

以上です。おわり。