財務省の福田事務次官(もう元事務次官か)のセクハラ問題が急展開を迎えています。そのことに関してはあちこちで報道されていますので、ここでは割愛します。
今回のエントリーは今朝(4/19)の「とくダネ!」を見て感じたことを備忘的に書こうと思います。
「とくダネ!」の中でコメンテーターの社会学者・古市憲寿氏が興味深いコメントを述べていました。ちょっと聞き捨てならないコメントです。
古市氏のコメントの要旨は
メディアが政治家や官僚の取材に若くて可愛い女性記者を意図的に送り込むというのは正直あると思う。メディアのそういった手法がセクハラを生む結果になっているんじゃないか 。
ということです。要はメディアがある種色仕掛けで要人からコメントを引き出そうとしている、女性記者はその道具にされているということです。
これに対し、フジテレビの伊藤利尋アナや共同通信の柿崎明二氏は
かつてはそういったこともあったが、今はそんな時代ではない 。
と反論しました。(かつてはあったんかい!というのはさておき)
古市氏からすれば、セクハラしたかもしれない福田元事務次官も悪いが、メディアにも責任あるよね?ということなのでしょうか。この手の「どっちもそっち論」嫌いだ。
さらに古市氏は
そもそもメディアがまだ男社会なのでセクハラが起きやすい土壌がある。
という主旨のことを言ってました。
今回僕が凄く引っ掛かりを感じたのはこの「男社会なので」という部分です。
なぜ引っ掛かるのかというと、すごく単純でセクハラ(パワハラもそうだけど)をするのは基本的に個人の資質の問題だからです。古市氏に聞きたいんだけど「男社会 」の住人はみなセクハラをする、もしくはセクハラ予備軍なのだろうか?ということです。
当たり前だけど「男社会」にいてもセクハラをしない人はたくさんいる。
ましてや、世間的にセクハラはアウトで、職や家族を失う恐れがあるよ、ということはいろんな情報を通じ認識されるようになってきました。
そういった社会状況にも関わらずセクハラをするというのは、そういう人間なのですよ。
たとえば企業でセクハラ研修をする。こういった行為はセクハラになるよとかセクハラをしたらこんな罰を受けるよということを社員に教育するわけです。
なぜなら社内でセクハラが発生した際に適切な対応をとらなければ、加害者本人はもちろん、企業も使用者責任を問われるからです。だからセクハラについての研修をする必要があるのです。
実際にセクハラが起きた場合に企業として適切な対応をとったとしましょう。当事者の問題として放置するのではなく、丁寧な調査を行い、セクハラが認められれば相応の処分を科すとともに再発防止の取り組みを行うなどです。また普段からセクハラに対する理解を深めるような研修や啓もう活動を行っていたと認められたとします。
この場合会社が使用者責任を問われる可能性はグッと減ります。というかほぼ加害者単独の責任とされます。
なぜか。
いうまでもなく、ここまで研修・教育をしていたのにそれでもセクハラをするとなるとそれはもう「そういう人間」ということになるからです。完全に個人の資質の問題です。
「男社会」だからセクハラがあるわけではありません。セクハラをする人間がたまたま「男社会」の中にいただけなんです。
もちろん「男社会」だと女性を軽んずる風潮があるだろうという古市氏の予測は理解できます。環境に染まるというのも理解できなくありません。
「だからそういった感覚を変えていこう」「〇〇社会なんて古臭いよ」という提言であれば、僕も引っ掛かりを感じることはなかったのでしょうけど、古市氏の発言は財務省や福田元事務次官も悪いけど「男社会」のメディアにも責任あるよ、というニュアンスにしか聞こえないので気になるのです。
どっかの誰かの何かを擁護したいから「どっちもどっち」論を展開しているようにしか見えないんですね。なんら問題の解決になってない。
一見もっともらしい提言に見えて、じつは被害者にも落ち度があるかのようにもっていってるようであり、要するにただの詭弁ではないのかと。
もし本気で古市氏がこのように考えているのであれば社会学者としてどうかと思う。
仮にだよ、どっかのメディアが「よし、若くて可愛い記者を送り込んで政治家や官僚から特別なコメントを引き出そう」と考えたとしても、それに乗らない政治家や官僚もいるわけでしょ。その時点で古市氏の論理は破たんしていることになります。古市氏の話は「男社会」のメディアが「色仕掛け」作戦を仕掛けてそれに乗ってしまた人がいる、ということになります。原因がメディア側にあるというね。
ちょっと待て。省内でセクハラはなかったのか、とかは考えないんだろうか。その場合も古市氏の「男社会」メディアが生み出したセクハラという図式は霧散することになる。
だいたい古市氏の論で言えば、たとえばコンビニオーナーが客を呼び込むことを目的として、バイトの面接で可愛い子を優先して採用する場合に、バイトの子がセクハラを受けたらコンビニにも落ち度があるのかよ、って話になります。「ならねーよ」というのは誰でもすぐにわかると思うんですよね。古市氏はほんとうに社会学者なのだろうか?
セクハラやパワハラを撲滅するためには「〇〇社会」を変えることじゃないんですよ。セクハラをしない人を増やすんです。個人の資質を上げていく。そうして高い資質を持った集団が出来上がれば「〇〇社会」だからしょうがない、みたいな話がなくなる。個人の集まりが社会になるわけだからセクハラについての正しい教育をしていくことが望まれます。
今回財務省は「被害者は必ずしも中立とはいえない第三者に名乗り出ろ」という誤った対応をしました。ほんらい模範となるべき国の機関がこういった対応をとるのだから日本が人権後進国、女性が活躍しづらい国だとみなされるのも無理はありません。
いい加減「どっちもどっち論」から抜け出し、「セクハラ無縁社会」を作り出すための適切な教育をいつ、だれに、どう行うかを真剣に考えないとならないですね。