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ろくでなし子はヘイトスピーチ容認派なのか考えてみた

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どうすればいいのか。

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まぁ炎上しやすいテーマばかりを扱っているのはわかります。

で、今回はヘイトスピーチを野放しにしているツイッター社前で抗議活動している人たちに対する自称芸術家のろくでなし子の発言を問題視しています。

ツイートの要旨は「ツイッターなんてするもしないも自由なんだからそんなに罵詈雑言浴びせられるのが嫌ならしなきゃいいじゃん」ということです。

ろくでなし子はそのほかツイートで自分はそういった罵詈雑言を日常的に浴びてる、でも自分の意思で芸術をやってるのだから発進することをやめない、自分の意思は自分で決定しているという趣旨のツイートもしています。

 

ここにろくでなし子の大いなる勘違いがある。

ツイッターをするもしないも確かに自由だよ?

ただ、問題は出自など自分に責任のないことでもって誹謗中傷を受けることです。ろくでなし子は自分の芸術作品について誰から批判されてもやめないよ、といってますが別にそれは普通やん。自分でそれをやることを選んでいるわけだから。そのことをドヤ顔で私強いのよ、と言われてもこちらは困惑するだけです。

 

ヘイトスピーチの問題点は本人が選んだわけでも、本人の資質とも直接関係のない、つまり自分ではどうすることもできない属性について一方的に存在を否定されることにある。

芸術家を自称しておきながらその辺りのことが理解できないのだとしたら相当やばい。もう一度言うがどんな芸術をするかどうかは本人が決められることです。

でもどこで生まれたとか、肌の色だとかそういったものは本人には一切責任がない。ヘイトスピーチはそのような本人に責任がないことについて「間違ってるから責任を負え」と一方的に決めつけて排除する行為です。

 

全然違うでしょ?

 

仕事ができない奴に「お前の仕事のここがダメ、こうした方が良い」というのは業務上の指導に当たる。対して「お前は〇〇という地域の出身だから、〇〇人だから、母子家庭だから」などのような言動で迫ることはパワハラに該当します。理屈はそれと同じでしょ。

 

それにツイッターなんてやるもやらないも自由なんだから、嫌ならやらなきゃいいじゃんというのも自称芸術家としてはどうかと思うよ。ツイッターをやる自由を奪われているということに思い至らないのかな?自分はケーサツに逮捕されても芸術をやる自由はあるとかなんとかいったわけでしょ?他人の行動を一方的に制限するよう強制することに対して本来、芸術家というものが一番敏感であるべきではないのでしょうか。

 

ろくでなし子のような意見が容認されるのが表現の自由が保障された社会だ、という論調がありますが、それも全然違います。理由は先に述べたように本人にはどうすることもできないことで人格否定するのがパワハラです。ろくでなし子容認派は会社にパワハラする上司がいたとして、まぁ会社ってそういうもんだよな、と受け入れるタイプなのでしょうか。僕は少なくともパワハラ上司がのさばる会社は労務管理上の問題・リスクを随分抱えてるな、としか思いません。そしてそれは早急に手当をするべきだと考えます。具体的に言えばパワハラ上司に対してその指導法は間違っていることを指摘し、必要な教育を行います。それでも改めなければ警告します。警告を数度行っても改善されなければ残念ですがパワハラ上司は組織から出ていってもらわなければなりません。なぜなら放置すると組織が崩壊するからです。企業にとって深刻なモラールハザードを起こしかねない存在を放置することほどのリスクはありません。

 

ろくでなし子のように嫌なら出て行け式の考え方はとても危険です。パワハラ上司と同様放置すると社会のモラールハザードを引き起こします。分断・孤立が当たり前の世の中なんてゾッとしませんか。その時の多数派の気分で特定の属性の人が本人にはなんの落ち度も責任もないのに罵詈雑言を浴びて嫌なら出て行けと唱和される。どう考えてもおかしな話でしょう。自分で行なった行為の結果、一定の排除を受けるのはやむを得ない部分があるのは認めます。例えば幼児に対する性犯罪を犯した人間がコミュニティから排除されたりとかは住民側の心情も理解できなくありません。

でも今回のケースは全く違います。

もしろくでなし子の発言が表現の自由だからOKと考えている人がいるのならその考えは非常に危険だから改めた方がいいですよ。

 

以上です。おわり。