ジンジャーエール

辛口エールで一杯ひっかける

自治医大の「退学して幼稚園」発言の問題点について考える

(発端)

全寮制の自治医大で入寮者へ提供される食事内容に関し、学生が「ヨーグルトや牛乳が欲しい」と訴えたところ自治医大教授より「退学して幼稚園に行ったらどうか」と返信

 

(問題点)

・「医師の覚悟」という定性的な評価についての具体的な説明が欠けている

・負荷をかけることの正当化として学費免除を上げている

 

(結論)

教授の発言は指導官であり、学生を採点する立場という優越的な地位を前提に学生に対して圧力をかけるものであり不適当。また学費免除という金銭的な”貸し借りを”理由にストレスを与えるのを正当化するのは非常に問題がある。

 

いわゆるパワハラに該当するかどうかは、最終的には裁判で争ってからの判断になるため断定はできないけど成績判定など学生に対して強い影響力と権限を持つ教授からの「余計なことを言うなら退学したら?」という発言は何らかのハラスメントと認定される可能性が高いと思う。問題が明るみになったばかりなので大学側の「人権侵害やパワハラに該当すると考えるかということについてはコメントを避けたい」というコメントは理解できるが、今後はしかるべき調査を行う必要と今回コメントを出すことを避けた問いについての結論を出すことが求められるだろう。でなければ学生もその親も、世間も納得はしないだろう。繰り返しになるが僕は「退学して幼稚園」発言は何らかのハラスメントに該当すると考える。僕が自治医大の学長とか人事課にいたら、発言をした教授への処分は避けられないと考え、何らかの懲戒処分を下す。

 

大学側は「発言は教授と学生の信頼関係の中で発生したもの」という見解を出しているがこれはどうだろう。これは企業内でセクハラ・パワハラが発生したときに加害者側がよく言う弁解の一つだ。「(普段の関係から)これくらいの発言はしても許されると思っていた」

 

これはずいぶんと虫のいい話で、要するに相手の気持ちというのは考慮しませんよと言っているのに等しいのだがなぜか好んで使われる言い訳だ。信頼関係というのは一方的にあると思い込むこむことで成立するものではなく、また永遠不変のものでもない。信頼関係というものは、たとえ以前はそれがあったとしても、ちょっとしたことがきっかけで崩れてしまうことはよくある。そしてそのきっかけがハラスメント言動なのだ。ハラスメント加害者にはこうした視点が抜けている。

 

たしかに外部からは教員と学生の信頼関係の本当のところは窺い知ることはできない。もしかすると日ごろからこのような軽口でのやり取りが存在している可能性は否定できない。しかし発言を受けた学生がSNSを通じて外部に訴えていることを考えると、少なくとも受け手は信頼関係に基づく軽口とは受け取っていないと考えるべきだろう。

 

医師という過酷な職業に就くのだから、学生のころから負荷をかけてストレスへの強度を高めておく必要がある。大学はこう主張する。医療従事者が過酷な職業であることは否定できない。たとえば時間外労働の上限に関しても医師は今のところ適用猶予になっている。一般の職業では最大でも年間720時間とか、月間でも100時間未満とか縛りがあるのに対して医師の残業時間については2024年4月1日までは青天井だ。時間だけではない。時に命に直結する仕事、患者やその家族からの思いがけないクレームなど医師が直面する負荷はたくさんある。

 

もちろんストレスへの耐性はある程度訓練することで慣れることもあるだろう。しかしこれだって個人差がある。すべての人が同じ程度のストレス耐性があるわけではない。これに耐えらない人は脱落して、医師を諦めろということだろうか?そうなると不都合が生じる。なにせ日本は世界でも有数の超高ストレス社会だ。学歴重視、同調圧力、少子高齢化で先細りする社会。karoshiという国際的に知られることになった働きすぎによる悲劇の言葉も日本発だ。

 

となると、将来このような超高ストレス社会への耐性をつけるため子供へ過度に負荷をかける子育てが肯定されることになってしまう。そして負荷に耐えられない子供は脱落しても良い、自己責任だという風潮。そのような社会はとても持続可能とは呼べないのではないか。ある程度の負荷をかけ耐性をつけることの有用性を否定するつもりはないが、物には程度というものがある。過ぎたるは猶及ばざるが如し、というではないか。ストレスに耐える、慣れる社会ではなく不要なストレスは無くしていくことがいま求められていることだし、企業でいえばそういう取り組みをしているところに優秀な人が集まり結果として業績が向上している。答えは出ているのである。

 

そもそも栄養補給のために牛乳やヨーグルトを要求することが「医師としての覚悟」にどう結びつくのか。その説明が一切ないまま覚悟がないと決めつけるのはどうなのか。医師としての覚悟ってなんなんだ、と思う。具体的にこれとこれが備わって一人前の医師だ、いえるような基準というのはあるのだろうか。僕はもちろん医師ではないのでそのあたりの基準は全くわからない。しかしこうした個人の感覚に左右される価値で物事をジャッジする上司というのは多いのではないだろうか。人事評価の際にもめる原因は評価基準が曖昧で、評価者の好みが強く出すぎることにある場合が多い。評価点自体の公開は企業によるだろうし、個人情報に当たるから公開に慎重になるのは理解できるが、評価基準について公開しないのはわからない。なにをどうすれば高評価になるのかわからないのでは混乱するし不平不満の種になるだけだ。そのような状態で評価し、フィードバックしたところで被評価者に響くわけがない。

 

大学側は自身の指導を正しいと主張するのであればもう少し具体的に、丁寧に学生に医師の覚悟や心構えについて教え諭すべきだろう。

 

自治医大というのは卒業後に9年間へき地医療などに携わることを条件に学費が免除になるということだ。学費と人生の一部を交換するというわけだ。確かに高額な学費を支払って医学部に通う人もいるからそれくらいの犠牲を払うことで公平性を保つというのは理解できなくもない。医師を志しても経済的な事情で諦める人への救いにもなるだろう。奨学金という事実上のただの借金を廃して給付金にすればよいのに、というのは重要だが別の問題であるからここでは触れない。

 

問題は大学側に「学費免除してやってるんだから、大学(教員)の言うことは絶対であって、何があっても聞き入れないといけない」という意識がないかということである。たとえば労働基準法では「賠償予定の禁止」というものがある。社員が何らかの資格取得などを行う場合に会社が費用を負担する。負担するのはいいが、一定期間働かなければ負担した費用を返しなさいという社内制度。あるいは仕事上のミスがあった場合には〇万円を罰金として支払うというような定め。これらは労働者を不当に拘束することになるため労基法で禁止されている。

 

大学の学費免除は労基法でいう賠償予定の禁止にはもちろん該当しないし、別問題であるが上記のように学費免除してやってるんだから理不尽なことを言われても学生は受け入れなければならない、という意識があるのだとしたらこれは問題だ。学生を不当に縛ることになる。大学と学生の関係というのは教育の場の提供者と学生というものであって支配被支配の関係ではないはずだ。しかし今回の自治医大のようなケースをみると上に立つ人の意識次第で容易に強権的な支配体制に堕ちてしまう恐れがある。

 

最初に述べたとおり、自治医大の「退学して幼稚園」発言はパワハラとかアカハラに該当する可能性が高い。さらに自治医大が出しているコメントを読む限り初期対応も決して褒められたものとはいえない。いくら将来医師になるための覚悟が必要な特異な身分とはいえ10代20代の若者である。ましてや新型コロナウイルスの蔓延下という異常な状況はもっと考慮して、学生の不安に寄り添った対応が必要だろう。