ジンジャーエール

辛口エールで一杯ひっかける

お疲れ様でしたっ!

日本語は難しい、とよく言われます。同じ音でいくつも単語があったり敬語だの謙譲語だのがある、と。そんな難しい日本語はちょっとした使い方に気をつけないと思わぬ炎上を招くことがあります。

不敬罪?

モデルの山田優さんが上皇陛下の退位についてSNS上で「お疲れ様でした」とコメントしたことが礼を失していると批判を受けています。皇族に対する言葉遣いとしておかしい、というわけです。

 

まずこの件に関する僕の考えを開陳しておきます。

 

馬鹿じゃねーの????

 

はい。もう馬鹿ですね。いきなりタメ口だったら馴れ馴れしーなとは思いますが、お疲れ様ですくらい別にいいじゃん。上皇陛下は人間として素晴らしく尊敬に値する人だとは思います。でも上司でも面倒な親戚のおじさんでもないし、ましてや僕らは臣民でもなんでもありません。お疲れ様ですの何がいけないの?

物事を複雑にするのが好きな人たち

僕は言語学については全くの素人です。日本語が他の言語と比べてどうだとか、機能性について語るのことはできません。ただ素人なりに考えたことなんだけど日本語を難しくしているのは、使っている人自身なんじゃないかって。日本語というシンプルとは言い難いが、やり方によっては自由にカスタマイズできる製品を運用システムにおいて、それほど必要もないのに難しくしちゃってる。そんな気がします。

 

「ご苦労様でした」は目上の人に使ってはダメだとか、上司や顧客には「了解しました」ではなく「承知しました」と言おうとか。そうしなければならない絶対的な理由なんてないんですよ。単なる慣習。みんながそうしているからなんとなく。マナー本に書いてあるからそうだと思っている。その程度です。

 

究極的には意味が伝わればいいんです。コミュニケーションなんて。「お疲れ様」も「ご苦労様」も相手を労わるという意味では同じです。誰かが勝手に上下をつけているだけ。部下にご苦労様と言われたくらいでいちいち怒るような上司を心の底から労わりたいと、いったいどれだけの部下が考えるでしょうか。皆無でしょ。

 

あんあまり言いたくないけど、物事を勝手に複雑にする人たちって絶対に頭が悪い。というかあまり頭を使ってない。意味があって複雑にしているのであればいいんですよ。それはそれで合理性がある。

 

例えば一定金額以上の決済については直属の上司、部門長、担当取締役の決済が必要としているなんていうのは責任の分担や明確化、複数の客観的な視点を持つことで問題がないかをチェックするという意味がある。合理性のある複雑化です。これに対して全ての決済を同じように何重にもチェックするのは時間の無駄です。権限の委譲やそれを可能にするにはどうすればいいかを真剣に考える必要があります。それをしないのは怠慢と言われても致し方ないでしょう。

 

丁寧にいこうとしすぎて敬語を幾重にも重ねてる方がよほどみっともないでしょ。

上皇陛下について

僕は上皇・上皇后両陛下はその人柄において尊敬すべき人たちだと思っています。被災地等での膝をついて人々と同じ目線に立つ姿は素敵です。今では当たり前のように捉えられていますが、最初の頃は天皇としてどうなのか、って言われたそうですね。

 

相手を理解しようと思ったら、自然と目線の高さを合わせようとします。子供を相手にするとよくわかります。

 

国民と理解し合うことをとても大切にしてこられた上皇陛下の意思を無視して、言葉尻を捉えて一人の人間を叩く方がよほど不敬だと思いませんか。

 

だいたい上皇陛下のこれまでの振る舞いから考えて、このようになんの罪もない人間を捕まえて大勢で袋叩きすることを嘆くのではないか。そんなことすら考えられない方がよっぽど上皇陛下に対して失礼だぞ。

言霊信仰

日本人の中には言霊教の信奉者がいます。いや別に言霊自体を否定するつもりはありません。しかしね、言霊を信奉するのであればむしろ外形的なものよりも言葉に込められた意味をきちんと酌むべきじゃあないでしょうか。

 

そうすると「おつかれさま」なのか「ご苦労様」なのかなんてどっちでもいいってことになるじゃないですか。問題はその言葉を発した心の中身ってことなんでしょ。

 

日本語を難しくする必要はない。シンプルに会話を楽しみましょう。