今日は少し過去のことを書きます。人名とか多少フェイクを入れています。といっても僕以外にはもう一人出てくるだけですが。
僕の小学校~中学校時代の同級生に野宮君(のんちゃん)という男の子がいた。
のんちゃんは少し鈍い子で極々軽度の知的障害があったんだと思う。
少しお調子者というか人の気を惹きたいからなのか机の上に立ってみたりちょっと高いところからジャンプしてみたり危なっかしいこともしてた。田舎の方の学校だったのでみんなわりあいに大らかというか、のんちゃんがやり過ぎて怪我したりしないように気にかけていた。反面ちょっとからかうというか自分たちよりも下に見ていた面があったことも否定はできない。
僕はその後高校進学にあたり都会の方に移ったのでその後のんちゃんとは没交渉になってしまった。というより存在自体を忘れていた。
高校3年のある日のこと。12月だったか。
家を新しく建てるというので引っ越しの準備をしていた。正直言ってセンター試験も近いこの時期に引っ越さなくてもいいだろうになどと考えていた。
持っていくもの/捨てるものをより分けるため押し入れの中の、もう何年も触ってない、中に何が入っているのかすら分からない段ボールをひっくり返していた。
するとある一冊の薄い冊子が出てきた。
小学校の卒業文集だ。
なつかしさに作業の手を止めて読み耽った。
卒業文集の中で“もしも一つだけ願いが叶うなら何をする?”という質問があって卒業生全員がそれぞれのしたいことを書いていた。
ちなみにそこは田舎の小学校で卒業生は3クラス80人程度しかいなかった。(実際のところ僕はこの小学校には6年生になるタイミングで転入してきており1年しか通ってない。その前は1学年8クラス、全校で1,300人くらいの小学校に通ってたから最初は落差に面食らっていた)
「F1(当時流行っていた)のパイロットになりたい」「光GENJI(これも当時流行っていた)のメンバーに会ってサインを貰いたい」には世相を感じる。「ドラえもんを家来にして大富豪になる」「お金のなる木を貰う」など子供らしいバカバカしさが窺えるものもある。あるいはオーソドックスに「野球選手になる」だの「歌手になる」だの自分の夢をストレイトに書いてる子が多かった。僕は何と書いていたのか思い出せないが、なに記憶に残らない程度にはありふれたつまらない答えだったのだろう。
ある人名が目にとまった。
野宮祐一。
(のんちゃんだ…)
久しぶりにのんちゃんのことを思い出した。深い付き合いはなかったが顔はすぐに思い出せる。のんちゃんの人なっつこそうなでもちょっと気の抜けたような顔が現れる。
(のんちゃんは“もしも一つだけ願いが叶うなら何をする?”になんて書いてるのかな。いや、そもそものんちゃんにそんな願望あるの?(笑))
相変わらずの上から目線で、面白い答え書いてたら笑っちゃおうかなーぐらいの気持ちだった。
文集に目を落とすとそこにはたった一言、こう書いてあった。
「死んだおばあちゃんにもう一度会いたい」
衝撃だった。
僕を含めたその他の全員は同じ設問に自分たちの「欲」でもって答えていた。アレがしたいコレがしたいソレが欲しい自分こそ全てだと。まぁ子どもの考えることなんてその程度の物ではあるが。
しかし、のんちゃんは違った。
彼だけは「愛」で答えていた。しかも生き返ることまでを要求せず、ただもう一度会えるだけでもいいーーと。伝え忘れたことでもあったのだろうか。それは分からない。分かっているのは僕らが束になってものんちゃん一人の愛の深さには敵わないってことだ。
のんちゃんの愛をくらった僕は気がついたら泣いていた。というより号泣していた。
こんなことってあるだろうか。僕らは勝手にのんちゃんを少しバカにしていたがバカは僕らの方だった。
僕がこの話から何かの教訓を得たのかは分からない。そもそも教訓を得なきゃならないわけでもない。
ただのんちゃんにしろ彼のおばあちゃんにしろ、どこにでもいる無名の人であって功成り名を遂げた人ではないだろう。
ただこれだけ深い愛を与えて与えられて見送られるのならばそれは、その人生はきっと生きるに値する人生なのであろうと思う。
それだけの話です。