- 書きたいと思ったらとりあえず書いとけ、的な
- 永久機関なんて夢のようなお話
- 成長は死を遠ざけるのか、近づけるのか
- 充実した人生という幻想
- 空っぽこそ最強
- オリジナル
- 誰かのサイズに合わせて自分を変えることはない自分を殺すことはないありのままでいいじゃないか(THE BLUE HEARTS「ロクデナシ」)
書きたいと思ったらとりあえず書いとけ、的な
さっきネコ師匠のエントリーを読んでふと思ったことがあるので忘れないうちに書いておこう。
ただ、思い付きで書いてるのでいろいろと不都合なことや整合性のないことがあるかも知れないけど、そういうのが嫌いな人はさっさと閉じてきっちりしたブログを読むことを推奨します。僕は今手探りです。
永久機関なんて夢のようなお話
簡単に言うと「成長」って何なんだろうな、って思ったんです。
自己暗示をかけるかのように「成長!」「成長!」って唱える人いるよね?
それこそ就活生(バカみたいな言葉だけど)なんかは今からの時期いかに「成長力」をアピールするかが勝負の鍵なんだろうね。
じゃあ「成長」するってどういうことなのか?って。
もちろん僕も「成長」を否定するわけではない。
昨日よりも今日、今日より明日と少しずつでも成長すれば素晴らしいことだと思う。
人生を進むうえでそうでありたいと願う気持ちもある。
ただ「成長」し続けたとしてその先に何があるんだろう。*1
成長は死を遠ざけるのか、近づけるのか
世界中の人間すべてに共通する唯一のことがいずれ訪れる「死」であることはほとんど全ての人の同意を得るところだろう。
そうすると「成長」というのは年と共に経験や知識を積んでいくことだから、別の見方をすれば「死」に近づいていっているということでもある。
では「死」から最も遠い存在は?と言われればやはり生まれたばかりの子どもということになる。
ネコ師匠のエントリーを読んで「成長」のことを考えた時に、実はまだなんの「成長」もしていない子ども(特に新生児)こそが最も完成された存在であって、常日頃僕らが「成長」と呼んでいるものは本当は「衰え」なんじゃないかと感じた。
充実した人生という幻想
いやいやいや。
そんなバカな。
「成長」することで今まで知らなかったことを知り賢くなる。
熱いやかんに触ったら火傷する。それを知るからこそ(成長)、同じ間違いをしないで済む。
ほらね?
だから学びましょう。
経験を積んで「成長」するからこそ重要な仕事を任され、やりがいを感じ、収入も増え充実した人生を送れる。
そうだろ?
だからもうちょっと頑張れ。
人から好かれたい。いやもっと直截的に言えば嫌われたくないでしょ。だったらその場の雰囲気に相応しい振る舞いをする術を身に付けなよ。
できる?
もっと空気読めよ。
…
…
…
…
本当に?
空っぽこそ最強
いろんな知恵や知識を入れることが単純に「成長」と言えるのだろうか。
むしろそういった知恵や知識が邪魔をすることもある。リスクを冒さない「でもだって」に変換されたり、周囲に溶け込めない居心地の悪さに繋がったり。
世に言う安易な「成長」によってむしろ可能性が狭められてやしまいか。
子どもというのは無知だ。
しかも一人では生きられない。特に新生児なんかは人(主に母親)の助けなしには3日と持たないだろう。
しかし、不思議なことに新生児ほど生命力を感じさせる存在もない。
僕は健康な成人男性を見ても「あぁこの人生きてるな!」とは思わない。
でも新生児を見ると「メッチャ生きてんな!」と思う。
一生懸命泣くし一生懸命おっぱいを飲むし一生懸命排泄する。
もしかして新生児こそが人間の「成長」しきった姿であって、余計な知恵や知識を入れることは一見すると「成長」しているようにみせて実は生命力という点では衰えていることになるんじゃないか。
人間というのは生まれてからゆっくりと死に向かって老いてゆくものだととすれば、その中で「成長だ!」「成長だ!」と小賢しく叫んだとしていったいどれだけの効果があるのだろうか。
オリジナル
お釈迦様は生まれてすぐ「天上天下唯我独尊」と言ったとされる。
天上天下 唯吾獨尊
今茲而往 生分已盡
という一節が記されている。 これを訳すと
- 世界の中で我のみが尊い。
- 今ここに生まれてきたが再び生きることはない。
(Wikipediaより)
よく天上天下唯我独尊って「オレ偉い」みたいな言葉と思われがちだけど、実際はお釈迦様は自分はもとより他の人間も生まれてきた時点で偉いって言ってる、という解釈があるそうです。
世の中に自分という存在はただ一人。そう考えたら凄くない?ただ存在するだけで尊いんだぜ?ってことでしょうか。
生まれてきただけで偉いんだったら、余計な知識や知恵を付けてわざわざ人と比較したり競ったりする必要もないよね。それはむしろ人間としては衰えていることになるのではとさえ感じる。
誰かのサイズに合わせて自分を変えることはない自分を殺すことはないありのままでいいじゃないか(THE BLUE HEARTS「ロクデナシ」)
お釈迦様は「そのままでいい」って言ってるんだからそのままでいいんだ。
知恵だの財産だのを抱え込むっていうのはある面では執着であって欲を捨てきれてないということでもある。
だから「成長」圧力に押しつぶされそうになった時は何もかも一度捨ててしまってもいいんじゃないか。
それで部屋で一人ゴロゴロして「天上天下唯我独尊」とか呟いてみればいい。
いや危ない人かと(笑)
ただ「成長」は必ずしも万能ではないし見方によっては衰えでもあるから固執しなくてもよい、と思うだけでも少しはマシな気持ちになれるんじゃないでしょうか。
*1:個人的には成長することはとても大事だとは思ってます。説明するのは難しいけど自分なりの良い成長であって例えば「成長か、死か」みたいな話ではないということです。まぁ成長というか目標とか目的ということかな。