ジンジャーエール

辛口エールで一杯ひっかける

大塚家具が病んでいる?リストラ担当者の無念

命は燃やすためにあるもので、消すためにあるものではない

業績不振が伝えられている大塚家具でショッキングな事件が起きているそうです。人事配置業務を担当していた50代の男性社員が自死したという報道が出ています。人事配置業務とは退職させたい従業員を全然別の部署に配置するなどで“自主的に”退職するよう促すいわばリストラ担当と言えるものであったそうです。

従業員に退職を言い渡すのは本当にキツイ仕事

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仮に従業員に非があって解雇するにしてもそれを本人に言い渡すのはキツイ仕事です。以前ある会社で従業員が警察のご厄介になってこれ以上雇用できないということになりました。会社としては全然悪くない。本音を言えば経営者もさっさと去ってくれと思っていたはずです。でもいざ解雇通告の場の空気の重さったらないですよ。そして会社から今後の手続き面はジンジャーさんにお願いしてあるから何かあったら彼に聞いてねとバトンを渡された時のどんより感(笑)結構なプレッシャーですよ。

同僚同士にさせてはいけない仕事

こういうケースでも僕は基本的に外部の人間だからプレッシャーと言っても実はそんなに大したことはないです。忘れっぽいしね。でも同僚に対してこういう仕事をしなければならないのはマジでキツイでしょう。いや本当に恨まれるからね。というか何の恨みもない同僚を会社が決めた基準点を下回るからとかなんとかの理由で追い出す役目をしなきゃならないのはする側の精神が持たないって。マジで。

人事の最終決定は経営者がやるべき

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本来このようなリストラは経営陣が責任をもってやるべきことだと思います。もちろん人事課(名前は何でもいいけど)はそういう労務管理が仕事なんだけど、最後の最後、従業員を解雇する又は退職勧奨するというのは経営陣が責任を負うべきことなんです。一社員にそれを負わせちゃいけない。例えば人事考課をして退職者候補を洗い出す。その作業までは一社員が担当してもいいでしょう。でも最終決定や伝達についてはどんなに忙しくても経営陣ー社長か労務担当役員ーがきっちりと行うべきなんです。逆に言うとそれができないようでは経営者としての責任を果たしてないことになる。

一言でいえばとんでもなく経営が稚拙

人の採用や退職(自己都合退職は除く)に関しては決定するのは経営者なんです。まして経営環境が悪化しているのも元はと言えば経営者の失態によるものなんですよね。そのツケを従業員の追い出しでコストカットする。従業員の追い出しは同じ従業員にさせる。そんな手法はもう最悪なんです。だったらせめて首切りコンサルタントを使えばよかったのに。恨まれるのはコンサル会社。ただコンサル会社はそんなの気にしません。それが仕事の一つでもあるのだから(その意味では彼らはプロだしそのプロ意識は一定の敬意を受けるに値すると思ってます)。

会社というのは人があってこそ存在するもの

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会社は誰のものか、というのはよく出される命題です。経営者、株主、従業員、顧客…。これらすべてのステークホルダーがあって会社というのは存在が認められるものです。大塚家具の内情を僕はよく知る立場ではないですが、伝えられているような人事が行われているならばまさしく末期的症状ですね。こういう会社からは優秀な人が真っ先に辞めていく。後に残るのは箸にも棒にもかからない、そんな人ばかり。そのような状態で競争相手に伍していくことなんてまず無理でしょう。人をないがしろにする会社は必ずダメになります。

正しいリストラとは何か

個人的にはリストラは絶対しちゃいけないものだとは考えてません。例えば経営が苦しくなった時にどうしても能力や成績に優れないものを切り離さなきゃならないというのは仕方のないことです。それによって他の従業員が救われる面があるのも事実ですし。しかしリストラは会社もある程度の出血覚悟で行わなければなりません。全く無傷で行おうという虫の良いことを考えると今回の大塚家具のような悲劇が起こります。退職金の上乗せや補償金を支払うとか、再就職先の斡旋とか出来る限りの事をやったのでしょうか?

経営者に求められる資質

経営者は時に非情な決断をしなければなりません。非情になることを嫌がっては良い経営者にはなれないでしょう。みんなから好かれたいとかいい人だと思われたいとかそんなことを思う権利すらないと考えた方がいいでしょう。特に会社が大きくなればそれだけ敵やアンチは多くなります。外部だけでなく内部にも。嫌われる覚悟を持てるかどうかは良い経営者になれるかどうかの一つの試金石です。

同時に良い経営者となるには暖かみも必要です。これがない経営者がいる会社は一時的には良くてもいずれ衰退します。人を大事にできない経営者には絶対に人は付いてきません。

 

判断は冷徹に。

決断は情を持って。

 

今回亡くなった従業員の無念は良い経営者に仕えられなかったことが要因でしょう。人を雇うということはその人の人生を背負うということでもあります。

個人事業主はその面での心配はありませんが、割と早いうちに規模の限界がきます。自分だけが責任を負って(その分気楽といえば気楽に)小規模でやるのか、人を使って規模を大きくするのか。どちらが良いとか悪いとかという話ではありません。自分の持っている資質に合わせて選ぶという感じでしょうね。

まとめ

解雇は従業員にとって死刑を意味するとはよく言われることですが、それでも本当に死ぬわけではありません。あくまで本人次第ですがいつか取り返すことができると思います。しかし本当に死んでしまったらおしまいです。

死ぬほど大事な仕事というのは確かにあるけど、死んだ方がましな仕事なんてありません。そんな仕事はするに値しないからです。

この世の中で生きるより大事な仕事ってありますか?

 

ではまたね!