佐川氏は何一つ事態解明に向けた協力をする気はない様子でした。こうした佐川氏の態度を“勤め人の苦悩”と評する評論家もいます。しかし勤め人というのであれば、公務員は国家に仕えているのであって彼らの奉仕する対象は国民なんだよなー。
はっきり言ってどれだけ権力に尽くしても、いざ都合が悪いことが起きるとポチ犬たちは重要度の低い順に切られていくもんなんですよね。
もっとも大事なのは本体。そこが生き残れば変わりはいくらでもいるんだから。今回のケースで言えば本体はご夫妻とその最側近。ここが安泰でさえあれば、あとはどうにでもなるというのが基本的なスタンスでしょうか。
佐川氏とか和田政宗とか青山繫晴とか西田昌司とか丸川珠代とか田崎史郎とかその他の御家人を見ているとつくづく思います。もしもかれらの理想とするーつまり人間の基本的な価値や自由や平等を尊重する人たちがいなくなった世界ー社会が完成した暁には彼らのような応援団はもはや無用の長物になるのになぁ、と。
彼らはいずれ自分たちにもオイシイおこぼれがあることを期待しているのだろうけど、たぶんそんなことはない。頑張っても2~3番手グループどまりだろうなー。譜代でも親藩でも旗本でも外様大名でさえないただの御家人。ある面では江戸時代に最も苦しい生き方をしたのは御家人じゃないのかな?江戸時代に詳しい人教えて下さい。
じつはこういった権力の言いなりになっておもねることの危険性については、意外に身近なところにもあります。
適当にフェイクをかましながら紹介します。
ある企業で総務人事課に配属された新入社員がいまして。会社は、食品製造業で、まぁ地方の中小企業といった感じです。従業員は200~300人規模。老舗で十数億の売上があって、堅調な業績を上げているそんな会社だと思ってください。
で、入社早々彼は上層部からある「特命」を受けました。
この会社には企業内労組があったのですが、いわゆる御用組合とは一線を画していて結構会社側と待遇面でバチバチやり合っていたんです。
そこで上層部が新入社員に命じたのが「組合潰し」です。組合員に対して人事からさまざまな嫌がらせをするんですね。この会社では管理本部の社員は組合にほとんど加入していなかったのです。経理とか総務人事とか。労組の構成員はほぼ現場社員。工場で生産に携わっている人や営業マンなどです。
もちろん彼の同期で現場に配属されて組合員になっているヤツは何人もいました。
嫌がらせは基本的にネチネチしたものです。人事評価を辛くするとか、現場から上がってきた書類の細かい点に難癖付けて何度も再提出させるとか。時には人格否定するような暴言を浴びせたり、小突いたりと、まぁ、まだパワハラが今のように問題になる前の時代の話です。それで組合を脱退するように促したり、時には上層部の意向に沿って退職するように働きかけたり。あ、もちろんこれらは不当労働行為ですよ。
彼からすると最初はよく分からずに「会社ってそういうもんなんだ」と業務命令に従っていただけなんですが、だんだんこうした行為が楽しくなってくるんですね。
組合員が、自分の顔色をうかがってオドオドしているのを見るのがおもしろい。
上司からは「よくやった」とねぎらわれる。
30歳くらいで総務課長に就任。出世も順調です。
最初は上から命令されるがまま、業務としてこなしていましたがだんだんこれは自分の天職じゃないか、と思うようになっていきました。
ところで彼は結婚して子供もいましたが、課長になる少し前から総務課の後輩の女の子とできちゃったんですね。
社内不倫。
同僚は見て見ぬふり。
同僚がどう思おうが、彼はそんなの気にしません。何しろ自分は上層部の覚えめでたい有望株。あと数年待てば総務部長。同期で工場の現場で働く連中(当然組合員だ)は平社員。だいぶ差はついてるぞ。何も怖くない。
この間までは。
どうやら社会の風向きが少しづつ変わってきたようだ。
パワハラがどーたらこ―たら言われ出した模様。上層部が少しざわついている。
会社の業績も少しづつ悪くなってきているようだ。
上司に呼ばれた。
「社内体制を見直すことになってね。君には秋から現場の工場勤務に就いてもらう」
「え…。」
「会社も今の苦境を乗り切るために今までのやり方を見直す時期に来ている。総務での経験を工場の生産管理に活かして欲しい」
「は…。」
「ほら風紀上の件(社内不倫)でも、役員会とかでいろいろ議題に上がっててねぇ」
「う…。」
で、品質管理部として工場勤務に。
かつてさんざんいじめていた連中の巣窟。着任の挨拶をしても気のない返事が返ってくるだけ。
(管理部から工場に左遷なんてパワハラやんけ!俺はいままで会社のためにやってきたのに!会社は俺を辞めさせようとしているんじゃないか?)
彼は管理職を外れ、現場社員となったので組合に加入できるようになりました。
(しかし、いまさら労組なんかに入れるか…?いや、でもこの苦境を一人で耐えられるだろうか?)
そんな時、組合長から呼ばれました。
「お前がいままで組合にしてきたことを考えると、組合に加入することは認められない。これは組合員の総意だから、理解しておけ」
退路なし。
そこで彼は労基署に相談に行きました。
会社は不当に辞めさせようとしているのではないか?会社を指導してこんなことやめさせてほしい。元の職場に戻すよう助言して欲しい。
「人事上の施策に関しては企業に一定の裁量権があります。そもそも民事のことなので行政は介入できません。どうしてもというのであれば弁護士に相談されてはどうでしょう」
まったく退路なし。
彼はしばらくして「自主的に」退職していったそうです。その後のことは知りません。
会社も業績がなかなか回復せず、規模を縮小してなんとかやっていっているようです。
彼だって、会社からあのような(労組潰し)という密命を受けていなければ、案外まともな会社員人生を歩んでいたんじゃないでしょうか。
たしかに権力におもねれば、一時的には美味しい思いができるかもしれないです。でもそれは長続きするものではない。長続きさせたければ、子分ではなく、自分自身が権力者(もしくはほとんど一体化する)になるしかないです。究極的には。でもそこは権力者の気分次第なんですよ。
じゃあどうするかというと、人から与えられたもしくは借りた権力や権威の傘の下に入るのではなく、自分で自分を支配するしかない。
笑いたいと思うから笑うのであって
泣きたいと思うから泣く
怒りたいから怒るし
生きたいと思うから生きる
自分を支配する者、自分の行動の決断をするものは自分自身であるべきでしょう。
たとえ権力者からああしろこうしろと言われても、譲れない部分を持つことがいかに大切か。
今回の一連のエクストリームな擁護者達を見ていると、まるで自分の人生をまったく他人に委ねて満足しているような得体のしれない気持ちの悪さを感じます。
もちろんそこには、権力者におもねることで良い思いをしようという打算もあると思います。しかし僕の感覚ではそういう行為はあさましい、さもしいものだとしか感じられません。
事実、籠池氏も佐川氏もかつては権力者の寵愛を受けていたわけです。
何かが少し狂えばああなるということこそ権力者におもねる際の最大のリスクです。
狡兎死して走狗烹らる。
あともう一つ。丸川珠代をはじめとする議員にとっては次回選挙の際に落選する可能性もある。これももう一つのリスクですね。
いま僕が気になっているのはただ一つ。
影響力を行使して行政をゆがめられるなら、司法だってゆがめられるんじゃね?と考える人間がいるかもしれないということです。
そこまでいくともはや後進国。
まさかね。