ジンジャーエール

辛口エールで一杯ひっかける

モンゴルへの贈り物

ワールドカップアジア2次予選で日本がモンゴルに大勝した。6-0!

さて、アジア2次予選のスタートから2連勝は良いことだけど気になることがある。

それは、モンゴル戦の大勝を受けて「アジア2次予選なんて必要なくない?」「弱いチームと予選をするからアジア全体のレベルが上がらないんだ」などということを言いだしている人が一部にいることだ。たとえば有識者の中にもこんな意見を言う人がいる。

www.soccerdigestweb.com

セルジオ越後氏が日本の少年サッカー振興に一定の功績があったのは事実だ。それへの敬意を払ったうえで言いたい。

 

ボケたのかよ?じいさん、と。

 

たしかに、日本にとって今の段階でモンゴル代表と試合をすることに意義を見出すのは「チーム強化」の観点からいえば、あまりないのかもしれない。

 

しかし、逆に考えてみて欲しい。

 

モンゴル代表にとって、日本代表と試合をすることはものすごく意義のあることではないのか。先日の試合でモンゴル代表の選手たちは感じたことだろう。スピードもパワーも戦術眼もプレーの選択の速さや展開力も自分たちが普段戦っている相手とは段違いだ、と。おそらく逆立ちしても勝てない、と考えても不思議ではない。それくらい日本代表とモンゴル代表は差があった。

 

だからこそ、この試合はモンゴル代表には勝敗を超えた貴重な学びの場だったのではないか。日本代表から少しでも多くのことを学ぶ。ほんの僅かかもしれないがレベルアップできる。

 

その積み重ねが、遠い将来のアジア全体のサッカーレベルにつながるのではないだろうか。その芽を日本は“自分たちはアジアの強豪だから”という身勝手で傲慢な自国の都合だけを押し出した理屈とも呼べないような暴論で摘んでしまって良いのだろうか。

 

日本だって、かつてはアジアでさえ勝てない弱小国だった時代があるのではないか。日本よりも先にワールドカップの舞台を踏んでいた他国に追いつけたのは日本の自助努力だけなのだろうか?なぜそんなに思い上がれるのだろうか?あの時代、アジアのサッカー先進国や南米、欧州の指導者やチームが日本の強化に一役買ってくれたのは間違いがない。決して日本は自分たちだけの力でいまのサッカー文化を創りあげたわけではない。

 

「貧乏人は近寄るな。オレの生活の質の向上に何の役にも立たん。もしオレと話したいなら貧乏人同士でやり合って、小銭を稼げたやつだけオレに話しかける資格がある」

 

ちょっと金持ちになった途端、こんなことを言いだす人間がいたら、そいつはかなり頭がおかしい。それをいまの一部のサッカーファンもどきがやっているのだ。ほんと胸くそ悪いのよ。

 

先に言ったように、セルジオ越後は実際に少年サッカー教室とか日本サッカーの強化に影響を与えたから、まぁいろいろ言いたいのはまだわかる。しかし今回モンゴル戦意味なし!2次予選意味なし!日本は最終予選からでいい!とか言ってる連中は間違いなく日本のサッカー強化に玉ねぎの皮ほども役に立ったことがない。

 

だいたいそういうやつに限って、日本代表がふがいない試合をしたら感情丸出しで「〇〇は二度と代表呼ぶな!」「××は夜遊びばかりしてサッカーに集中してないカス!」などと言い出すのである。そしてスタジアムに行ってお金を落とすでもなく、レプユニ買って盛り上げるでもなく、要するにカネは出さないが口は出すという厄介さ。マンホールの蓋が足の甲に落ちればいいのに。

 

サッカーにおいて、日本がアジアの盟主を自認するのであれば、後進国へワールドカップ予選という真剣勝負の場で胸を貸すのも、一つの大切な役割ではないかと思う。自分のことだけ、あとは知らん、というのは盟主の態度にふさわしくはないと思うのだが違うのかな?

 

たとえばいまの段階で、南米や欧州の代表チームが、アジア諸国はワールドカップに出てもどうせ勝てないんだから出場枠をゼロにしようとか、アジア予選は南米や欧州予選敗退組との最終プレイオフ出場権を賭けたものにするとかいわれても文句いわないのね。アジアのチームとやっても強化にならないからと判断されればそうなる可能性があるんだよ。もしかして日本代表だけは特別だとか思ってるのかな。名誉白人的な?そういうのもう本当にいいから。

 

日本サッカーが、世界のサッカーファミリーの一員だと胸を張りたいのであれば、モンゴルに(モンゴルから見たサッカー先進国として)真剣試合を通じて何かを伝えるというプレゼントをしたっていいじゃないか。そうすることで日本サッカーだってサッカー後進国から敬意を受けることだってできる。ゴールや勝ち点は譲れないかもしれないが、それ以外のことはたいてい譲ったっていいだろう。僕はそんなサッカーが見たい。