サイゼリヤデートは有りか、無しか。よく燃えるテーマだ。対立軸はいくつもある。男女間、所得格差、世代間…。なぜサイゼリヤはこれほどまでに対立を生むのだろうか。
僕自身の考えを言うと、デートでサイゼリヤを利用するのは嫌である。特に初デート。これが付き合い始めてだいぶたつカップルならデートでサイゼリヤも良いだろう。たとえば同棲しているカップルが「あ~今日は何も作る気しないし、そうだ、サイゼでメシ食おう!」はほほえましく感じる。
しかしガチのデートでサイゼリヤは…。
サイゼリヤデートでやいのやいの言っている人たちにちょっと考えてほしいことがある。
付き合うかどうかを決定するとか、付き合いたてで初々しいカップルがお互いをあだ名で呼び合うかどうかもじもじしているとかそういったナイーブな局面に、どうかサイゼリヤを巻き込まないでほしい。
そんなプレッシャーをサイゼリヤにかけないでほしい。わずか300円のミラノ風ドリアが原因でカップルが破局を迎えるかもしれない…なんてドキドキをサイゼリヤに与えるべきではない。だいたいドリアとティラミスが同じ値段ってどういうことやねん。
サイゼリアほどプレッシャーという言葉が似合わない場所はない。デート相手を見定める、なんて場所では絶対にない。そんなものはホテルオークラにでも任せておけばよい。
サイゼリアというのはもっとカジュアルなもので、授業をサボった大学生が昼間から100円ワインを片手にどーでもよい話を延々としたり、深夜にホテル帰りのカップルが「あー腹減ったなー。運動しすぎたよ(笑)」「もーやめてよ(笑)」という世界一声に出したくない会話をしたりする場所なんだ。
しかしながら、あたらめて考えると本当にどうでもよい話題で2~3日持たせるなんて日本のネット空間はまことに平和です。