タイトルが馬鹿過ぎてアレなんですが、呆れずにまぁお付き合いください。
先日のキリンカップ決勝での浅野選手のプレイが波紋を呼んでいますね。リードされている展開で試合終了間際に絶好機が訪れるもシュートを選択せず、パスをした結果ミスパスとなり日本代表は敗退。なんでシュートしねぇんだ!といった感じでしょうか。で、シュートを打たなかった(打てなかった)ことについて色々な議論や考察がされています。ビビっちゃったとか、周囲に気を使い過ぎたとか、チャレンジよりも失敗を恐れ安全な方を選ぶ教育の弊害とか、日本人は連帯責任が好きで裏を返せば個人が責任を負い業務を遂行することに消極的だとか。そのどれもがそれぞれ一理あると思います。
で、僕なりにどうしてなのか?を考えた結果をここに(勝手に)加えてみたいと思います。
それは「技術の不足」です。
あの場面、もし自分のシュート等の技術に絶対の自信があったら確実に打っていたと思います。エゴイストかどうか、というより「他のヤツが打つより俺がシュート打った方が決まる確率高いだろ」ってことです。それだけ自分の技術に自信と信頼があるかどうか。つまるところその自分に対する自信と信頼を身に付けるための指導を受け練習を重ねてきたかどうか、だと思います。
最近イングランドのマンチェスター・ユナイテッドの監督に就任したジョゼ・モウリーニョ。毀誉褒貶の多い人物ですが僕は好きで彼に関する本をちょくちょく読みました。彼の発言の中で僕が好きな言葉があります。
「サッカーはサッカーをやることでしか上手くならない」
彼は例としてピアニストの話をします。ピアニストがピアノの周りを走ったり、ピアノの側で腕立て伏せをしますか?しないでしょう。サッカーも同じです、と。走ったり筋トレしたりはもちろん必要ないとは言わないが基本はボールを使ったトレーニングにある。
僕がブログを始めて約4か月(もうそんなに経つのか!)
最初のころに比べれば多少は文章もマシになってきているかもしれません。それでもかなり乱文だし普段読んで頂いてる方たちには読みづらくてスミマセンと頭を下げたい気持ちは常に抱えてます(見捨てないでね)。で、文章をマシなものにするためにはやはり実際に書くことが一番だと思います。ブラインドタッチの練習したってしょうがないんですね。入力の仕事は来るかもしれないけど。いや来ないけど(どっちだよ)。
一旦身についた技術っていうのは簡単に忘れない。
でもそういう根っこの部分の教育って日本ではちょっとおざなりというか。それ以外の枝葉の部分をむしろ重点的に教えてたり。特に体育会系の部活なんかになると全体主義的だったり前時代的だったりするんですよね。どうもいいところを伸ばすよりも欠点を修正することばかりに囚われている様な気がします。
例えば期末試験。
【A君】国語100点数学20点英語75点社会70点理科30点
【B君】国語75点数学75点英語75点社会75点理科75点
どうでしょう。この場合B君の方が高い評価受けるんではないでしょうか。まぁ総得点が高いというのもありますが。A君は国語100点凄いね!よりもテメー理数系もっと勉強しろよって言われるんじゃないでしょうか。僕自身がそうだったんですが。
もっと良いところに目を向ける、多少の欠点には目を瞑るっていうのも教育上必要なのかなーと思った次第です。