わずか53秒の出来事だった。西ドイツの選手たちはただの一度もボールに触れることができなかった。様々にポジションを変えながらボールを次々と運んでいく。まるで「ボールは俺たちの物。ボールが俺たちの物である以上試合も俺たちの物」と言わんばかりのプレーだ。そして―
PK
あっという間の先制点だ。ヨハン・クライフがキックオフし14本ものパスを繋ぎPA内でクライフが倒されて得たPKをニースケンスが冷静に決める。
しかし、リネカーがかつて言ったように「最後に勝つのはいつもドイツ」
前半のうちに逆転に成功した西ドイツはオランダの反撃を凌ぎ2-1で勝利する。
1974年ワールドカップ西ドイツ大会は開催国の優勝で終わった。
それでもこの大会でオランダ代表が見せたサッカーはトータルフットボールと呼ばれ絶賛された。
その後バルセロナで1978年に一度引退。が、復帰し最終的に1984年に選手引退。
そして1985年から古巣アヤックスで監督業をスタート。バルセロナでドリームチームと呼ばれるチームを率い結果と内容を両立した。またユースチームを整備し下部組織の若手を抜擢・重用するなど現在のバルセロナの哲学の下地を作った。
結局1996年を最後に監督業を離れ半引退生活に入る。(2009-2013カタルーニャ選抜を率いる)
それからはアヤックスのアドバイザーをしたりバルサの名誉会長を務めたり(バルサに名誉会長の規定がないためすぐ辞職。なんだそりゃ。)、またサッカーについての様々なコメントで存在感を発揮していた。
と、ここまでざっくりとクライフの略歴的なものを書いたがほとんど受け売りだ。
W杯西ドイツ大会の時は僕はまだ産まれてないし、現役時代のプレーは大人になってその断片を名プレー集みたいなやつで見ただけだし。監督としてもドリームチームのことはほとんど知らない。残念ながら。海外サッカーに興味を持ち始めたころはもうドリームチームがほぼ終わるころだしその頃は何よりイタリアサッカーが全盛のころだったと思う。なので入ってくる情報も最強ミランとかユーベのおしゃれな2トップとかインテルのずっこけぶりとかそんなのが多かった。
なので僕にとってのクライフは隠居生活中に時折メディアに登場し現代サッカーについて時に辛辣で皮肉めいた、あるいは愛情に満ちた、いずれにしろ刺激的で哲学的なご意見番、という感じだ。
例えばカテナチオで1-0で勝つくらいなら4-5で負けた方がいいとか。
もちろんすべての主張に共感したわけではないけど、自分の信念に基づいて堂々と意見を表明する様はカッコよかった。
そのクライフが亡くなった。
昨年肺がんであることを公表して闘病中だった。経過は良好とも伝えられていたが…
選手としてのクライフが引退し世界は喪失感に包まれたことだろう。
しかし指導者として還ってきて引き続き世界のサッカーをけん引し革命を起こし続けた。そして監督業からの引退。2度目の喪失だ。
だけどその後もサッカーをより良くするために発言を続けていた。
我々にはクライフがいるーそう思っていたが。世界がクライフを喪うのは3度目だ。そして今回の別れは永遠のものだ。
彼のプレー映像や言葉は今後も残っていくだろう。
しかし彼はもういない。
あの刺激的で示唆に富んだ言葉はもう聞けない。残念だ。
でも彼に影響を受けた指導者や選手はたくさんいる。
❝クライフイズム❞は形を変えながら今後もピッチ上に見られるだろう。
そしていつか新しいクライフが、あるいは彼を超える存在が現れるのを楽しみに待っていようと思う。
Jesus Cruijff Superstar