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ginger-yell

辛口エール

的場文男が7000勝というけれどその何倍も負けてるんだよな

大井競馬所属の的場文男騎手が史上2人目の地方通算7000勝を達成したそうです。的場文男騎手は現在60歳。地方競馬の最多勝利数は佐々木竹見氏の7151勝。このままいいけばトップに立つでしょう。

 

しかし7000回も勝つなんてスゴイ。

常に勝ち続けてるんでしょうな。

って思ったら案外そうでもない。的場騎手の通算勝率はおよそ1割8分。つまり10回レースをすれば8回は負けている。全部で39000騎乗ほどだから7000勝していても32000回は負けているのです。(それでも勝率1割8分はかなり高い方だ。1割を切る騎手も沢山いる)

 

しかし32000回も負けるなんてスゴイ。

そんなに負けて嫌にならないのかな。

勝った時の喜びがよほど大きいのか。とにかく馬に乗るのが好きなのか。ドМなのか。アホなのか。これだけ負けても続けられる理由ってあるのだろうか。

 

的場騎手はもちろん名手だろう。技術は確かなものがある。それでも負けが続いた時にふと「もしかしたらこの先一生勝てないかもしれない…」などと思わないんだろうか。

例えば営業マンで、何やってもどうしても売れない時がある。「俺この仕事向いてないかも…」そう思う日がある。

例えばクリエイターで、全然何のアイデアも出ない時がある。「わたし才能がないのかも…」そう思う日がある。

 

そんな時はどうすればいいのか。

そんな時は

マトバフミオを思い出せ。

 

32000回も負けた男マトバフミオ。(まぁ7000回も勝っているがww)

1番人気で負けたことだってあるだろう。それはもう地方競馬場に集う、どて煮なみに濃いおっさん達の罵詈雑言をどれだけ浴びたことか。

「テメェ金返せー!バカヤロー!!」とかなんとか。(しかし実際には地方競馬に集うおっさん達は歯が抜けているため「テフェファへファエシェ!ファファヤロー!!」と聞こえてしまい罵詈雑言と認識されてない可能性はある)

 

人生勝ちっ放しではいられない。

人間1度の失敗くらいではそう簡単には終わらない。世の中には負けるのが上手い人がいる。そしてそういう人の方が不思議とトータルでは成功していたりする。僕の周囲にも会社を1度倒産させてしまったけど再起して前以上に成功している人がいる。ユニクロの柳井氏も1勝9敗を売りにしている。

 

 負けることは死ぬことではない。終わりでもない。

僕なんかまだ人生で32000回どころか3000回も負けてないと思う。

だからまだたくさん負けていいと思っている。(しかも僕は7000勝もしようとは考えてない。そう考えると自分の人生に課したハードルはかなり低い)

 

どうしても勝ちたかったら、なんか適当に自分が勝てることを設定すればいい。

いつもより綺麗にヒゲをそれた、とか今日淹れたコーヒーはおいしかったとか。

 

7000勝はもちろんスゴイけど、32000回も負けてしかもそれを40年以上も続けてるのが本当にスゴイんだよなぁ。

苦しくなったらマトバフミオを思い出そう。

世の中には32000回も負けた偉大な男がいるのだ。

まだ通学カバンで消耗してるの?

ちょっとアレなタイトルですが。こんな記事から

rdsig.yahoo.co.jp

 

僕は以前から言ってるが、もう教科書は廃止にしてタブレットでも配ればいいのにと思うのですがどうなんでしょ。

例えば会社員が毎日10キロ(仕事に必要な書類等が入ってる)のカバン持って通勤しなきゃならないってなったら…

仕事の前に疲弊してしまうわ!どんだけ効率の悪い会社なんだ!ってなるでしょうね。

 

でも、学生だとこの苦行もなぜか「体力がつく」と不思議なプラス転化される。

嫌々やる筋トレにどれほどの効果があるっていうんだ。いったい。

ノーパソとかタブレットなら教科書もノートの要らない。メチャ楽やんけ!

テクノロジーに早い内から慣れるから将来に向けてもいいことだと思うけどなぁ。

テクノロジーの進歩に合わせた教育を

わけのわからないところに予算突っ込むくらいなら、こういうものの整備に予算をかければいいのに。どうせそんな高性能のタブレットである必要はないんだから。スペックを抑えて廉価なのでいいでしょ。教科書にかかる紙代インク代印刷代とか考えると実はそんなに変わらないんじゃないだろうか。現状教科書を請け負ってる会社からは苦情が出ると思うけど。

 

 

だいたい国だってもう紙ベースから電子に移行をするのを推進しているんだよ。所得税や法人税の確定申告も電子申請を推奨している。労働保険の確定申告もそう。社会保険や雇用保険の得喪手続なんかも電子でやれば超楽。個人事業の方は分かると思うけど確定申告用紙も以前は郵送してきたけど今は送ってこない。紙代や郵送代はだいぶ節約されている。

文科省はすごく遅れてないか。いや文科省だけの問題じゃないだろうけど。

満員電車の混雑緩和に

あと電車やバスで中高生のカバンがものすごく邪魔な時がある。

特に朝夕の時間帯で結構な乗車率の時にごっついカバンでスペースを占有される。もちろん僕もかつては誰かの邪魔になっていたわけだ。荷物が減れば荷物を巡るトラブルだって減る。

 

教科書の電子書籍化に伴い関連する産業は成長する。このようにして産業を育成したり導いたりするのも国の重要な仕事ではないだろうか。もちろん、反対に衰退する産業も出てくるだろう。が、それはある程度時代の流れというのがあるから仕方ない。自動車産業が隆盛すれば人力車は廃れる。

 

僕は以前からランドセルは要らない、廃止した方が良いと言っている。(*家庭内では奥さんの説得に失敗した模様)

 

www.ginger-yell.com

 

 

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ハッキリ言ってオリンピックに何千億も予算をつぎ込むくらいならその分未来の子どもたちのために回して欲しい。

徐々にタブレット端末の導入というのは進んでいるようだけど、自治体の数もまだまだ少ない。自治体が通信網だけ準備してタブレットは私費で用意するというのだっていい。ランドセルの平均が5万円前後。安いのでも1万円以上はする。それならタブレットの方が安くない?自分で買うから大事に扱うというのもあるし。

小中学生なんか、特に男子は教科書やノートなんて雑にしか扱わないし。

 

子どもの負担は減るし

親の負担も減るし

産業は育つし

良い事の方が多いと思うから、もう教科書で重い思いをするのはやめにしませんか?

 

それではまた!

ジンジャーでした。

数字について少しは考えたい

週刊文春の営業担当者がライバル誌の週刊新潮の中吊り広告を出版流通業者から不正に入手して事前に雑誌構成を知り得ていた、というのが問題になっている。なんでも中吊り広告は雑誌本体よりも早く刷り上がるためこの情報をもとに文春側はネットニュースで速報を流し、結果として新潮側のスクープを潰していた、というわけだ。

 

ま、このこと自体はどうでもいい。「はーん」以上の感想はない。

 

この記事をヤフーニュースで読んだとき、ヤフコメではどんな反応なのかちょっと見てみた。おおむね『文春これはアウトだろう』という感じだった。が、そこはどうでもよい。

実は記事中にそれぞれの雑誌のおおよその発行部数が書いてあったんですね。週刊文春は約42万7000部発行され、対して週刊新潮は約25万7000部の発行部数。

 

でヤフコメの中に『発行部数が約倍も違うんだな』というのがあって。

このコメントを見た時に「はーん」以上の感想を抱いた。

 

まず言っておくと僕には数字に関するセンスがない。数式を見て美しいだの美しくないだのと感じることはない。あるいは難解な定理を見て「オラ、わくわくすっぞ!」などとは決して思わない。僕から見ると数学に嬉々として取り組む人はだいたい変態だ(偏見&嫉妬)。

そんな僕でも、だ。

 

257,000部と427,000部という数字を見て

「はえ~。倍から違うな!」

とは思わない。ゼッタイに。

257,000部の倍は514,000部じゃないのかえ。そうすると427,000部とは87,000部もの開きがある。

 

このコメントをした人の中では514,000と427,000はほぼイコールなのか。

まさか。いくらなんでもどんぶりが過ぎやしませんかねぇ。

 

オフィスで女性社員がこんな会話をしていました。

 A子「わたしィ、今年でぇ25歳?になるんですよ~。先輩は?」

お局「アタクシ?アタクシは42歳よ」

A子「えぇぇ!?先輩とわたしって約倍もぉ歳が離れてるんですねぇ!キャハ」

お局「…」

 お局の政治力による裏工作により職場で孤立したA子は2か月後ひっそりと退職届を提出し去っていった…

どんぶりが過ぎると仕事を失う恐れがあります。

 

あるいはこんな場面はどうでしょう。

社長「わが社ももっと拡大路線を取りたい。そこで追加の融資を頼みたいんだよ!ガハハ!」

銀行マン「当行としても貴社の成長にお力添えができればと考えてます」

社長「わが社の前期の売上は25億。それが今期は約倍の42億なんだ!絶好調だろ?ガハハ!来期はさらに倍増で100億だ!ガハハ!」

銀行マン「…」 

 社長のどんぶり勘定に危惧を抱いた銀行マンは追加融資に応えるどころか徐々に融資枠の縮小と貸付けの早急な回収をした方がよいとにっこり笑いながら考えました。

どんぶりが過ぎると会社が傾く恐れがあります。

 

257,000と427,000を約倍違うね、と考える人はあまりに単純化のレンジが広いのではないか。物事を理解しやすくしたり把握しやすいようにとこうした単純化というのを自分の中で行うのはよくあることだと思う。身近なものに喩えたり数値化したり。

この時に喩えがあまりに緩すぎたり数値が雑だったりすると「こいつ本当は理解してやがらないな…」とかえって侮られることになるので気をつける必要がある。単純化のレンジが広いと少し複雑なことを考えたり、判断したりする能力が低いとみなされる。いやみなされるというか実際そうなんだけど。

 

数式や定理をみて美しいと思ったり面白いと感じたりするのは多分にセンスによるのかもしれない。ただ数字についていえば、ある数字を見て「ん?」と思ったりすることは訓練次第で身に付くものだ。

257,000と427,000で「約倍違うなー」と激烈な単純化してしまう人はたぶんそこで考えるのをやめる。本来は257,000と427,000はなんぼ違うんだろーと考える。そこから派生して、じゃあなんで1.6倍も違うのかとかなんとかを考え出す。

「約倍の人」は一瞬で見当はずれの暗算をして理解した気になり、また別の対象に興味を移し、そこでまた同様に一瞬で見当はずれの考察をし…というのを繰り返しているから全然成長しない。

 

特に社会に出ればどんな仕事であっても何かしらの数字と日々関わることになる。あまり細かすぎてもどうかと思うけどルーズすぎるとキツイ思いをすることになる。

じゃあ訓練方法はどうすればよいかというと、例えば決算書を読むというのがあります。別に決算書の各項目の意味は分からなくてもいいです。

できれば3期分くらいの同じ会社の決算書を見比べて数字を比較する。で、企業の数字って普通は毎年あまり大きく変わらない。その中で例えば営業利益(額でも率でも良い)が前期前々期と比べて大きく変わってたら、それはなぜかと考えてみる。

安い仕入れ先を見つけたのか、とか人件費を削減したのかとか。(もちろん逆のパターンもあるが)

税務署が調査対象を選定する際に、過去の決算書と比べて‟異常値”のある企業をマークするということもあるようです。なので決算書の比較というのも一定の訓練効果はあると思います。

 

会社員は自社の決算書を読めればいいんですが、上場企業は別にして中小企業だと社員に見せたがらない企業も多い(笑)

その場合は会社四季報だの各社のウェブサイトに掲載されているIR情報などを読めばいいです。

まちがっても257,000と427,000は約倍違うぞ!などとは言わないほうがいいでしょう。

 

それではまたね!

ジンジャーでした。

1億8千万の信者~エキゾチックじゃぱん~

今春発刊された宗教年鑑によると真宗大谷派の信者数が2015年末に、それまでの2.5倍となる約790万人となっていて話題になっている。この人口減少時代に、まして宗教に無関心な層が増えているご時世だ。いったいどんな勧誘を行ったのか。

 

2015年12月31日23時59分までに入信すると

ムムッ!ななななんと!!

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真宗大谷派~ん

 

最後のゴロが悪いのは認める。楽天カードマンに該当する言葉は日本の仏教界にはない。たぶん。

 

そもそも宗教年鑑ってなんだろう。プロ野球選手名鑑のようなものか。

教祖とか代表とかの好きな食べ物や宗教界でのニックネームとか好きな女性のタイプだのが載ってるのか。

今年はこの選手がブレークするだろうと開幕前はワクワクするが翌年になって選手名鑑見たらその選手が載ってなかったり…そんな感じで消えていく宗教団体もあるのだろうか。

 

で、宗教統計調査で各宗教の信者の総数が日本の人口を軽く超える1億8千万人になってておかしくね?って言われてるが実は別におかしくもなんともないんですよね。

だってみんな神社にも行くしお寺にも行くでしょ。何だったら結婚式はチャペルで、みたいな。

楽天カードだったら一人一枚しか作れないけど宗教は掛け持ちOKな日本。

例えば神社行ってお祓いする時に祝詞用にいろいろ書くでしょ。住所とか名前とか。そういうのでカウントされる一方で先祖代々のお寺でもカウントされたりすれば重複完了。

 

だいたい日本は八百万の神なんていうくらいだから。その辺の物など無生物に対しても神様が宿ると考えるからね。そのいい加減さとかユルさがいいと思う。むしろ1億8千万人なんて中途半端な数じゃなく『日本の信者総数は85億人でしたwww』とかやってくれないかな。地球の人口超えてんじゃねーか、と。

 

まぁ宗教なんて多少いい加減に考えてるくらいがちょうどいいのかもしれませんね。あんまりマジになるとちょっとアレなんで。

 

そういえば学生時代に道を歩いてたら「あなたの血を清めます」みたいなのに出くわした。なんか手をかざすやつですね。

よく分からなかったので「見ず知らずの他人の血を汚れてるので清めてあげます、とかいきなり言っちゃうような心の汚れてる人にそんな力はないと思うのでいらないです」と言ったらなんかすごい顔で睨まれたけどあれはなんだったのだろう。

 

僕が大学に入ったころはもう20年くらい前で、ちょうどオウム事件の頃で大学も警戒心マックスモードでした。学内のオリエンでもキャンパスで不審な宗教の勧誘があるようだけど絶対について行かないように!!何だったら教務課に通報して!!とか言われてたっけ。いまでもああいうキャンパスにもぐりこむ宗教ってあるのでしょうか。

5月病の時期で学生は引っかかりやすいので気をつけて下さいね。

 

宗教によって生きづらさを解消できる人もいれば逆に生きづらくなる人もいる。

僕なんかはどちらかというと宗教を‟ツール”みたいに考えてる節がある。例えば禅の教えとかね。五臓六腑に染みわたってるわけじゃないけど生き方のヒントにしたり。

 

宗教との距離感は人それぞれ。

多様性を考えた時に日本のややいい加減な宗教に対する距離はいい感じだと思う。だから信者総数が1億8千万だとか35億(あと5千万)とか85億とかいてもむしろいいんじゃないでしょうか。

宗教で殺ったの殺られたのというよりはよほど微笑ましいです。

なにごともほどほどに。

 

ジンジャーでした。バイバイ!

 

自転車、傘を盗んでラッキー!?幸運と不運を考えた

ツイッターで常習的な自転車泥棒の感覚についてということが話題になっている。

 

僕も自転車や傘を盗まれたことは何度もある。特に傘はどうしてあんなに気軽に盗んでいくヤツが多いのだろう。

 

以前、急な雨で慌てて500円くらいの傘を買って移動した時のこと。たしか学生の時だった。で、洋服屋さんに入って10分くらいして出て見たら店の外の傘立てに置いてた買ったばかりの傘が消えていた。ついさっき買ったばかりなのに…いや、それより外はまだ雨が降っているのに…僕濡れるんですけど?

 

つまり犯人はさっきまで同じ店の中にいたヤツ、ということになる。

まだ雨は降ってるんだからそこで傘を盗むと、盗まれた方が困る、とは考えないんだね。引用したツイートにもあるように「ちょっと借りる」感覚だったり「ラッキー」程度のものなんだろうか。

 

まず「借りる」という感覚についてはどうか。

普通の人は「リコーダー貸して?」「いいよ」

これで貸し借りが成立するという認識のはずだ。もし上記のやり取りを経ずに勝手にリコーダーをぺろぺろしていたら間違いなく変態と認定され迫害されるはずだ。だから必ず貸し借りには貸し手の同意が必要になる。リコーダーの貸し借りが一般的かどうかは措いといて。

 

本来であれば持ち主となんのコンタクトも取らずに「借りる」という行為は成立しないはずだ。なのに傘や自転車パクリの常習犯は一方的に「借りる」という通告をして(実際には通告してないが)貸し手の同意を得ずとも成立する、と考えてるのだろうか。

 

なんて幼稚なんだろう。

例えば公園に遊びに行った時。砂場遊びするじゃない?いや僕じゃなくこどもが。でその時にスコップやら遊び道具を持って行きますよね。で、他の家の子でなんの道具も持ってきてない子がいてウチの子の道具を勝手に使う。

これは全然いいんです。こっちも「みんなで遊ぼうねー」と言ってるし相手の子の親御さんとも「どうもすみません」的なやり取りがあるし。何より子どもだし。

そう、子どもなんだよね。

 

貸し借りというのは「自分」「他人」という関係を理解し「所有物」という認識があり、きちんとしたコミュニケーションのもと成立するものだと思う。ところが常習的な泥棒には「自分」しか存在せず一方的に「借りる」というコミュニケーションを押し付けてくる。

幼児ならまだわかる。しかしいい歳してそれが理解できないのであればそれは病気だろう。病院行け。もしくは刑務所に。

 

あと「ラッキー」というのもわからない。

例えば急な雨に振られた時の僕が考えるラッキーはこうだ。

 

(チッ、雨かよ。傘持ってねぇし…しょうがない。走るか!)

「あ、あの…」

振り返ると同僚のA子が立っていた。A子は職場ではあまり目立つ方ではないが実は少し気になる存在だったのだ。

「よかったらこれ使って。」スッ

A子は傘を差し出してきた。

『!?…でも、そうしたら君が濡れてしまうじゃないか。』

「わ、私はいいのッ!。」タタタッ

(ここでBUMP OF CHICKENあたりの曲を挿入)

 

「ラッキー」とはだいたいこんな感じだ。分かりますよね?

歩くの怠いなー、雨降ってきたけど傘持ってないなー、そんな時に見知らぬ誰かの傘や自転車が…これは決してラッキーではない。

ただ単にそこに見知らぬ誰かの(大切な)傘や自転車が置いてあるだけだ。

 

僕は幸運とはご褒美だと思っている。普段頑張ってるからこそ思いもよらぬ形で発現し口角が上がる。

頑張ってる者全員に幸運が訪れるとは限らない。しかし幸運が訪れた者は皆すべからく頑張っている。

どこかで聞いたようなセリフだ。はじめの一歩で鴨川会長あたりが言ってそうだ。

まぁそれはいい。要するに傘や自転車を当然のように盗んでいく人間は自分のことをラッキーと思ってるのかもしれないがそんなことはただの思い込みに過ぎない。それどころかとんでもない不運にそのうち見舞われろよと思います。

 

例えばイタリアンレストランの入り口に置いてある傘を盗んだら、たまたま来日中だったマフィアのドンの傘でしかもその傘の柄には組織の秘密を記したチップが埋め込まれてて取り返そうとするマフィアに追いかけられろ!

 

ちょっと壮大が過ぎました。

当該ツイートに関してはおおむね賛意を寄せる人ばかりだったようで、あぁまだまともな人の方が多数はであるのかなぁと少しばかり安心した次第です。

しかし油断はならないので自転車は最低鍵二つはいるでしょうね。傘は…例えばアニメキャラがブリブリにプリントされた痛傘だったら持って行かれにくいのかな?と思いつついやそれ自分が普段持ち歩くんだろさすがにそれはちょっと…ということに気づいた。

良い方法無いですかね?

【ポイ捨て】もうタバコは法律で規制するしかないのか【歩きタバコ】

5月病になるスキもないほどヒマです。

こんにちはジンジャーです。

タバコは百害あって一利なし!

身もふたもない話だけど。極論なのは認めるよ。ホントはねこちとら元喫煙者だし多少の利はあると思ってますが。。。

 

先日の話。夜帰宅途中にコンビニに寄ろうと思ったわけですよ。で、自転車を停めていたら50~60代のおっさんがタバコの煙をくゆらせながらぜんぜん颯爽とはせずに登場しました。実はそのコンビニ、以前はお店の前に灰皿を置いてたのね。でもちょっと前に灰皿を撤去したんだよね…

 

おっさん少し辺りを見回します。

(おや?前はたしか灰皿があったはず…)

そう、おっさんはちょうどコンビニ到着時に吸い終わるよう逆算してタバコに火をつけたようです。でも灰皿はない…

地球がごみ箱

おっさん少し考えます。

(灰皿ないんじゃあ仕方ないよな…)

で、足元にポーイ!ですよ。

いやポーイ!じゃねーよ!!あんたさぁ自分ちの庭先でも同じことやるの?やらないよね。ついでに言うとおっさんがタバコを捨てた地点と僕の立っている地点は目と鼻の先です。周りに人がいるのに気にせずポイ捨てするとか終わってますなあ。

 

自転車で移動中もよく遭遇する。自転車漕ぎながらタバコ吸うヤツ。100%と言っていいくらいにポイ捨て前提の喫煙スタイルだよね。この場合は火のついたままポイ捨てするから凶悪度は2倍3倍増し増し。

 

僕も以前喫煙者だった時は周りから「そろそろタバコやめれば?」みたいに言われても「むしろタバコ税払って余分に国に納税してるんですよ」的なことを言ってたがよくよく考えれば喫煙者のポイ捨てで汚染させる環境整備の方に、喫煙者が支払っているタバコ税以上の税金が投入されているんだろうなぁと思うとげんなりする。

 

まぁ大半の喫煙者はマナーを守った大人のタバコだとは思います(だよね?)。

でも若い人のみならずいい歳したおっさんなんかがポイ捨てや路上喫煙禁止区域で平然と歩きタバコしている姿を見ると日本って言うほど公共心高くないなぁと思っちゃいます。

 

そういえばカンニング竹山が新幹線の喫煙車がガラガラなのを見て「喫煙者はそんなに嫌われてるのか」的なこと言ったと思ったら実際に新幹線で喫煙車が廃止になるとかなんとかのニュースもあった。他にも厚労省が受動喫煙防止のために居酒屋を含む飲食店禁煙化についても賛否両論がある。「そこまでやらなくても…」と言う声があるのはわかる。それはよくわかるのだよ。個人の権利的な、ね。

それなら非喫煙者の立場からも言いたい。歩きタバコとかポイ捨てとか「そこまでやらなくてもいいのに」とこっちは思ってるんだよ。

なぜ喫煙所まで我慢できずに街中で火をつけるの?

仮に路上喫煙が可能な場所だとしても火をつけたのなら灰皿に捨てるか、携帯灰皿を持ち歩くか、飲み込んでしまうかのいずれかにしてもらいたい。

本来ならこういうのは非喫煙者がいうことではなくむしろ喫煙者から「おい、このままじゃますます肩身が狭くなっちまうぜ」って感じで声をあげるべきなんじゃないだろうか。

ちょっと気になったことなのでまとまりはないけど記しておきます。