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じんじゃ~え~る

明日を探して明後日の方へ行くブログ

プレミアムフライデーに何しよう。外食?小旅行?家族サービス?

今日2017年2月24日は初めてのプレミアムフライデーです。

毎月月末の金曜日はプレミアムフライデーと銘打ち仕事を早めに切り上げ余暇や消費に勤しみましょうということです。まぁ官製ワークライフバランスですね。

どの程度の効果があるのかはこれから検証されるでしょうけど、すでに「効果はない」「むしろ他の日の仕事量が増える」「飲食店の売上げ逆に落ちるんじゃね?」「定着しない」と結構ネガティブな意見が多いようです。

押し付けられた休みにはありがたみを感じない

確かに上から押し付けられた休暇というものはイマイチありがたみを感じにくいものです。

例えば年次有給休暇(以下:年休)がありますね。労働者の権利で請求すれば基本的に会社は取得を断ることはできないのですが日本では取りにくさを感じさせる環境が多いのか取得率は50%程度にとどまっています。

この年休には計画的付与という制度があります。

簡単に言うと年休のうち一定の日数については会社があらかじめ指定して強制的に取得させることができるのです。

普通に考えれば周囲の目を窺うことなく年休をしっかり取れるのだからよい事だと思います。

しかし従業員からすると年休をとっている実感が湧きにくく、そもそも自分の好きなタイミングで年休を取れないため必ずしも歓迎されるわけではありません。

プレミアムフライデーも同様で上から一方的に与えられた休暇というところにモヤモヤを感じる人が結構いるのではないでしょうか。

プレミアムフライデーを満喫するには?

ではプレミアムフライデーは全く無意味かというとそうとばかりも言えないと今のところは思っています。

結局はどう使うかでしょう。

ま、ハッキリ言うとあまり多くを期待し過ぎない方がいい、とは思います。

例えば外食産業をはじめとする各種サービス業や旅行業界などに恩恵があると行政は見込んでいるようですが、例えば普段300円の弁当を食べているサラリーマンが「よし!プレミアムフライデーだから奮発して夕食は1万円のディナーを食べに行こう」とはなりにくいでしょう。日本の企業の殆どは中小零細企業です。当然労働者もそこで働く人たちの方が大企業に勤めて高給を貰っている人たちよりもはるかに多くいます。

だからリアルに考えると、普段は晩酌で発泡酒飲んでるけど今日は「プレモル飲んじゃおっかな」くらいの効果はあるんじゃね?と見積もっておくぐらいでいいのではないかなと感じます。

でもそれで十分だと思います。あまり高望みし過ぎてもねぇ。

スウェーデンに先駆けよう

先日スウェーデンの地方議会議員が「国民が勤務時間中に自宅に戻ってパートナーとセックスするための休憩時間を取り入れるべきだ」という提案をしたといういことがニュースになっていました。

 

さすが性の先進国。さすが「オレは神になる」と公言するズラタン・イブラヒモヴィッチを輩出する国。素敵な多様性だ。

プレミアムフライデーもこれに倣って、というか先駆けて 「月末の金曜日は早く家に帰ってパートナーとセックスしよう」と打ち出してはどうでしょう。

 夫婦仲は良くなるし少子化対策にもなる。

恋人同士の場合は週末一緒に過ごす時間が増えて結婚率の増加に繋がるかもしれない。

目先の経済効果よりそっちの方が重要な課題ではないでしょうか。

外食産業やホテル業界だって恩恵に与れるし。

プレミアムフライデー用の勝負下着を売り出したり。

 

パートナーのいない独身者向けには早い時間帯からの婚活パーティーを開いて取り込んでいくとか。いくらでもやりようはあるんじゃないか。

 

あまり堅い話で「経済効果がー」といっても「そんな効果オレのところに回ってきやしねぇよ!」と突っ込まれるかもしれないし。それよりもむしろ「ホントに突っ込んで気持ち良くなりましょうよー」と提案する方が人は動くでしょう。(いきなり下品か)

 まとめ

現状のお仕着せの様な形ではプレミアムフライデーもそのうち‟なかったこと”になるんじゃないかと思ってます。

ただ、何かを変えていこうという試み自体は必要なことではあると思うのでもっと普通の人が食いつきやすい要素を押し出して欲しい。 

まさか政府が「プレフラにセックスしようぜ!」とは言わないだろうけど経済効果がどうとか働き方改革がこうだとか堅い話ばかりではなく、ちょっとバカっぽいものでもいいから分かりやすいもの、楽しいものというアピールをしましょうよ。

 悪い試みではないだけにね。

 

それでは今回も最後までお付き合い頂いた皆様にエールを!

配慮を強要する人ほど配慮がない。

先日からいまだに世間であれやこれや言われている清水富美加さんの出家騒動。超スピード出版やゲス不倫しちゃってたとかまだまだ話題に事欠きませんねー。

 

個人的には清水富美加さんを擁護する立場でもないしどうでもいいし幸福の科学もどうでもいいのだけれども、彼女に対する芸能人の方々のコメントが正直言って気持ち悪すぎてなんだかなぁと感じます。

 

そんな中、清水富美加さん批判の急先鋒・坂上忍さんが小林麻央さんを「配慮の塊のような人」と絶賛しています。清水富美加さんを「配慮がない!」と斬って捨てていたのであれかな?当てつけってやつかな?

 

坂上忍さんは番組で小林麻央さんのブログ記事を取り上げ「ツラい状況の中で発信を続けている。病で苦しんでいる人たちも励まされる。すごい事だ」と感嘆しています。

小林麻央さんといえばがんで闘病中。その状況でも明るく振る舞ってる姿勢は確かに素晴らしいのだけれども。

 

素晴らしいのだけれどもさ。

でも、闘病中の人が周囲に配慮をしなきゃならないっていうのもどうなの?

小林麻央さんはがんという‟目に見える”病気だ。

対して清水富美加さんは目に見えないこころの病を患っている可能性があった。

世間の一部には未だにこころの病のことを「ただの甘え」と考えている人がいる。

 

だからこころの病で飛んじゃった人のことを「配慮がない」「無責任」だのと言うのです。要は病気だと認識してないのですね。

目に見える病気は評価し(?)配慮するのに、目に見えない病気には一切の配慮をしない。世の中は目に見えるものが全てだと思っているのでしょうか。

 

だいたい小林麻央さんには海老蔵さんという伴侶がいて、子どももいて頼れる周囲があるのですね。生きる支えみたいなものが。

でもこころの病の人は往々にして周囲に頼れないものです。

だからこそ自死してしまう人がいるんではないでしょうか?

 

こころの病になるのは単にその人が弱いから、というだけではありません。

確かに個体側要因というか打たれ強い/弱いというのはありますが、物事はそんなに単純なものではないでしょう。

学生時代体育会系の中で揉まれ「オレ打たれ強いっすよ!!」と豪語する若者がブラック企業で1年ほどで使い潰されて病んでしまうケースなんて腐るほどあるよ。

 

僕は不思議に思うのですが他人に「配慮しろ」と迫ってくる人ほど自分自身は全然全く髪の毛ほども周囲に配慮しないのはなぜなんでしょう?

例えば小林麻央さんだって本音を言えば「わーっ!!」とか叫びたいことはあるのではないかと思います。黒林麻央(ブラッキー)さんとかね。

でもそれをしないで強く振る舞うのを「素晴らしいね」って言ってしまうのは小林麻央さんに対する配慮が欠けてるのではないかと思います。

そんなに周囲に気を遣わず本音を言っていいんだよ、くらい言うのが本当の配慮ではないでしょうか。

今回、坂上忍さんは「オレは配慮っていうものがなんなのかよくわかってるよ」という感を出していますが、実は彼が一番配慮のない人間なんじゃないだろうかと思わずにはいられません。

 

配慮なんて強要されてするものでもないし、むしろ周囲に配慮しろという過剰な‟空気読め感”がここまで日本を「その場で問題を解決せず先送りする」国にしてるんだけどなぁ。

 

それではこの記事に最後までお付き合いいただいた皆様に今後のエールを!

芸能界村って怖い。

社会

金太郎飴のようなご意見番達

女優の清水富美加さんが突然芸能界を引退すると報じられ世間に衝撃が走ってますね。特に引退後は「幸福の科学」での活動に重点を置くということで色んなことが言われています。基本的に思想信条や信教の自由があるし僕自身は「幸福の科学」のことをあまり知らないので“そっち”方面に関しては「ふーん。信者だったのね」くらいの感想しかない。

しかしこの騒動に関して芸能界からは清水さんを批判し、所属事務所を擁護する発言ばかりが聞こえることには少しばかり違和感を感じます。それとも清水さんに同情的な意見もあるけど表だっては言われてないってことなのかな?

芸能人も一般人もみんな人

清水さんを批判する意見としては

・育ててもらったのに恩知らず

・仕事に穴を開けるとか責任感なさ過ぎ

・給料安いっていうけど、若い内はみんなそう

確かに芸能界は一般の社会とは違うのかもしれません。芸能人の労働者性については確かに微妙です。なので普通のビジネスパーソンの感覚をそのまま当てはめて是非を問うことは妥当ではないのも一理あるように思えます。

ただ、芸能人にも一般人にも共通することがあります。それはどの世界にいようとも「人間」であることに変わりはない、ということです。

責任感の意味とは

確かに仕事に穴を開けるのは社会人として問題でしょう。しかし「穴を開けざるを得ない」ほど追い込まれていたとしたらどうでしょう?

僕は人としての最も重い責任は「生きる」ことだと思っています。

この世に生まれてそれ以上に責任のある“仕事”はありません。働くことの責任に押しつぶされて「生きる」という責任を放棄するなんて本末転倒でしょう。

清水さんが追い込まれたのは個人の問題なのか

それに責任と言えば若い、これからの女優をこれほどまで追い込んだ所属事務所の責任を問う声が芸能界から聞こえないのにも違和感を感じます。清水さんが逃げ出したのは彼女が弱い人間だったからでしょうか?

同じような出来事を経験しても個人ごとの強さ弱さで、例えば鬱病などの発症には差があるといいます。しかし清水さん側が発表した待遇を読むとさすがに引きますね(もちろん片方の言い分をそのまま信じるわけではないけど)。

それに一流の企業では部下が精神疾患を発症した場合、その上司の評価が下がります。芸能人は普通の労働者と比べ難いですがそれでも所属事務所の管理能力に誰も疑問を差し挟まないのは不思議です。

「特殊な世界だから」こそ逃げではないのか

芸能界はそういう世界。若い内は給料安くても仕方ない。事務所もその分レッスンだの何だのと投資してるのだから。自分たちの若い頃もそうだった。

多くの芸能人がこういうコメントをしています。

これにも凄く違和感を感じます。「特殊」な世界とは便利な言葉です。

では電通も一般企業とは違う特殊な企業だから高橋まつりさんがああなったのも彼女が弱いからなのかな?

飲食業界や運送業は長時間、重労働が当たり前になってるけどそういう業界だから甘んじなきゃいけないのかな?

介護業界は低賃金で重労働。心身のバランスを崩す人が他の業種に比べて多いと言われるけどそういう業界だと受け入れなきゃならないのかな?

ガラパゴス化する業界はいずれ衰退する

もちろん芸能界が少々特殊な業界だっていうのは理解できます。ただ清水さんに対する一連のバッシングを見ると世間とのズレがちょっと行きすぎているような感じを受けます。テレビ離れは色んな要因があるのでしょうけど、その一つに芸能人達の発言に今一つ共感できないという部分もあるのではないか。

もしも自分の子ども達が芸能界に入りたいと言ってきたら

たぶんそんなことは無いと思いますけど(笑)

でも本当にそんなこと言ってきたら反対しますね。たぶん。

20代前半の若い子が逃げ出すくらいの待遇を受けたのに、救いの手や気遣いの言葉をかけるでもなく「無責任」だの「恩知らず」だの「俺らの若い頃は」だの言いだして叩き潰そうとする世界がまともとは思えないからです。

単純に怖い、とかではなくそういう世間から隔絶された業界に発展性や未来はないなぁと思うから反対するのです。

もちろん全部が全部そういう事務所ではないでしょうし素晴らしい芸能人の方もいるでしょうけど。でも外部からは分からないしねぇ。

 

しかしそれでも憧れて芸能界に入ってくる子達は当分後を絶たないだろうし今回のように表立つことすらなく水面下でひっそりと痕跡を絶たれるケースもあるのだろうしやっぱり怖い。

 

ということで、今回も最後まで読んでくれたみなさんにエールを。

では。

バレンタインデー!チョコ貰えない男子はちょっとおいで。

日々のこと

とうとうやってきましたね、この日が。

毎年毎年飽きもせずによくやるなーと思うバレンタインデー。

モテる男子にとっては虫歯&糖尿病のリスクのある最後の晩餐。モテない男子にとっては「お前何個貰った?」のマウンティングが煩わしい地獄の季節。

こんなものお菓子メーカーがだけが儲かるシステムだろ、と斜に構えつつもちょっとだけ期待しちゃうもどかしさ。

そんなバレンタインデー。

チョコを貰えないなら作ればいいのに

マリー・アントワネット的な発想もたまには役に立ちます。

今年は奥さんが出産のため里帰り中。従って今年の僕のバレンタインデーは始まる前から終了しています。でもせっかくなら楽しんじゃおうと思いまして。自分で作ってみようと考えました。

初めてのチョコレート菓子作り

とは言えチョコレート菓子を作るのは初めて。

で、レシピとか色々見て一番簡単にできそうなものにチャレンジすることにしました。

ザックリ言うと市販のチョコを溶かしてドライフルーツを混ぜて固めるだけ

…簡単過ぎィ!

本日の材料

材料はこちらです。

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ミルクチョコ…2枚

ホワイトチョコ…2枚

ドライフルーツ…お好きなものを

材料費は600~700円くらい?かな。

作業工程①(というかほぼ全作業)

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2種類のチョコをそれぞれ70℃くらいのお湯で湯せんします。

で、溶けたらクッキングシートを引いたバットに流し込み軽く混ぜてからドライフルーツを乗せます。たったこれだけ。

暖めてから冷やすとかツンデレか

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冷凍庫に放り込みます。

待つこと1~2時間…

この間何しましょ。BGMに「チョコレートディスコ」でも流したいところですがあいにくウチにはperfumeのCDがありません。あってもかけないと思いますが。だってテレビやラジオで散々流れてるし…。

出来上がり♪

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どうでしょう?

形が汚いのは勘弁してください。

ホワイトチョコの分量が足りなかったな、と思います。もうちょっと白い方が見映えがいいのかなぁ。

肝心の味は…甘いです。チョコです。

冷やす時間を除けば10~20分でできるお気楽さ重視です。

 2月14日は何の日?

ところで2月14日と言えばもちろんバレンタインデーですが、それ以外に何の日かご存じですか?

実は「ふんどしの日」なんだそうです。

割と新しく制定されたもののようですが由来は「2・10・4」の語呂合わせだとか。いまいち語呂合わせになってないような…いやふんどし協会がつけたのだからあってるはず。ふんどし協会…。宮沢りえさんがイメージキャラでもやってるんでしょうか。

チョコとふんどし。

この組み合わせはアリな気がします(どこが?)

チョコを貰った男性はお返しに女性にふんどしを送る…とりあえず王様のブランチあたりで取り上げれば流行るかもしれません。たぶん取り上げられないけど。

 

ということで、ふんどしにエールを送ります。

では!

生誕150年!夏目漱石誕生祭!!

日々のこと

近代文学の最重要人物・夏目漱石を偲ぶ

2月9日は明治の文豪(文豪って言葉が似合う作家って誰が最後だろうか…)、夏目漱石の誕生日です。(1867年2月9日生まれ)

 

夏目と言えば雅子でもナナでも三久でもなく…漱石なんです!

と、いうわけで個人的にお薦めする夏目作品を発表します。

 坊ちゃん

恐らく夏目作品の中で最も読まれているであろう小説。

江戸っ子の「坊ちゃん」が赴任先の四国の中学校で四国の頂点(てっぺん)を取ることを宣言。なんやかんやあり長曾我部元親以来の四国統一を目前にしますが、やんごとなき事情により帰京する…というのは大嘘です。

 

近代的自我だとか難しいことはあまり考えずに読めるドタバタ劇というのも多くの人に愛されるゆえんじゃないかと思います。大衆文学的な分かりやすさがありますね。

漱石への入り口として手に取りやすい気安さがあります。

 

 三四郎

どーも!三四郎です。

ポンコツなのに根が真面目という小宮さんですが歯を入れてだいぶ印象が変わりましたね。相方さんの名前は未だに覚えられません。

そんなお笑いコンビ三四郎から名前を取った夏目漱石の小説『三四郎』

 

逆ですね。『三四郎』がコンビ名の由来だそうです。主人公・三四郎のモデルが漱石の弟子の小宮豊隆がモデルという‟小宮繋がり”です。

爽やかでほろ苦い「青春」っぽさが好きな人にお薦めです。

 

 それから

高等遊民として一見自由ながらも実は他人(例えば親)に人生の命運を預けているだけの主人公が痛々しい。最後は職探しのために家を飛び出していくがその後上手くいったともしくじったとも描かれてはいないのでどうなったのかは分からない。

主人公・代助の「それから」はどうなったのでしょうか。

個人的には高等遊民というのはニートというよりは江戸時代の旗本の次男坊のようなものなのかなぁというイメージがあります。特権的な階級だけどかなり窮屈な縛りや鬱屈した思いが時に反政府的な振る舞いに現れたり、とか。

 

 たまには古典を読むのもいいもの

こういう節目の時にしか思い出さないというのもなんですが、やはり時代を越えて残ったものには理由があるんですね。

今日ご紹介したのはいずれも僕自身、最初は学生時代に読んだものだったんですが、大人になって再読したらまた違う印象があるんですよね。

これを機に今年はもうちょっと古典と言われるものを読んでみようかなと改めて思いました。

 

ということでジンジャーから古典へのエールでした。

ベッカムが騎士号欲しさに慈善活動?イエローカードな衝撃メール

日々のこと

急に暖かくなったりしてますがまた寒くなるんだろうなぁ。この時期は体調管理も難しいですね。

どうも、ジンジャーです。

 騎士号欲しさの慈善活動?

さてなかなか破壊力のあるニュースを見ました。マンUやレアル・マドリーでも活躍した元イングランド代表のデビッド・ベッカムがユニセフなどのチャリティ活動を行っているのは騎士号欲しさのためだと吐露したメールが「フットボールリークス」によって暴露されました。母国イングランドはもとよりフランスやスペインなど各国で大きく報じられているそうです。

これが事実だとしたらかなり残念です。

そしてフットボールリークスの情報はこれまでのところかなり信憑性のあるものなんだよなぁ。。。

つまりベッカムは騎士道精神に溢れるナイスガイではなく金に魂を売ったゲス野郎ということになります。あぁ残念だ。

*下書きの途中でどうもハッカー集団にハッキングされてバラされたくなきゃ金払えと脅されて断ったらフットボールリークスに情報を渡された…との報道がありました。

 THE好青年

日本でベッカムといえばやはり2002年のワールドカップでのベッカムヘアの大ブレイクでしょうか。とにかくイケメンで妻は元スパイスガールズのビクトリア。見映えのするカップルでした。もちろんプレーヤーとしても優れていますが。

 

セレブぶりがとかく注目されていますが、実際のベッカムのプレーの特徴はというと華麗な技術よりはむしろ泥臭いガッツ溢れるプレーこそが真骨頂だと思います。ボディコンタクトを厭わず、チームのために献身的に走り回る、決して諦めない精神…ジダンやロナウジーニョのようにため息の出るようなボール扱いをするわけではありません。イングランド人らしくガッツとチームプレイこそ彼をトッププレーヤーに押し上げた要因だと思います。

挫折からの這い上がり

ベッカムはかつて代表のある試合で厳しいタックルを受け、それに対して我を忘れた報復行為を行い退場となりチームを苦境に追いやった(実際にその試合で敗れた)ことでイングランド中から猛バッシングを受けました。そこから這い上がり後にはチームをW杯予選敗退の危機から救う活躍をし国民から認められたということもありました。このような不屈の精神を僕もカッコいいと感じていました。

変わりゆく方向性と人間性

その後キャリアの晩年にはアメリカでプレーもしました。一説には引退後のハリウッド進出を考えてのことだとかも言われてました。その際に発音や発声のレッスンを受けていたとも言われています。実際、ベッカムはあのハンサムな顔立ちからはちょっと想像しない妙な鼻にかかった声なんですね。僕は英語はダメなんですがなんでも訛もかなりキツイとか。セルフブランディングのためと言えば聞こえはいいですが、このころから不屈の精神で困難を乗り越えてきたベッカムからイメージ先行の香りが漂ってきました。

公的な称号なんかなくてもあなたは十分ナイトだったのに…

やはり人間というのはお金や地位を手に入れると変わってしまうものなのでしょうか。ベッカムの師匠であるサー・ファーガソン(彼はナイトの称号を得ている!)は自著で「ビクトリアとつき合いだした頃からショービズの世界に傾倒していった」と書いていましたが“シャイな下町の少年”もいつしかいい人の振りをした成金に衣替えしてしまったのでしょうか。とても残念です。

尊敬は金で買うものではない

今回の件が事実であればベッカムは尊敬をうわべの評判や見せかけのスーツで買おうとした、と非難されても仕方がないことだと思います。

ベッカム少年がかつて憧れていたプロ選手たちはお金があったから、肩書きがあったから尊敬していたのでしょうか。

否、おそらくサッカーが上手いから尊敬し、憧れていたのではないでしょうか。

 

今のベッカムを見て子供たちが憧れるでしょうか?

もしかすると大金と引き換えにセレブ界への入場切符を手にしたかもしれませんが、それ以上に大事なものを失くしたのではないかと思います。

そのままの自分を保つことの難しさ

華やかな世界の中で、所詮サッカー選手上がりと軽んじられたくなかったのかもしれません。

学歴や家柄(出自が裕福かどうかということ)もない彼がセレブの中で肩ひじ張るには「爵位」という拠り所を欲しがったのも分からなくはありません。

 

でもベッカムはそのままの存在で十分スターだったんだよ。

以前のひたむきにボールを追っていたベッカムに戻れるようロイ・キーン兄貴にガツンと喝を入れてもらいましょうか。

あるいはファーガソンにあの有名な「ヘアドライヤー」をかましてもらうとか。

ただベッカムならこの逆境から這い上がってくれると思っています。

 その代名詞である見事な弧を描くクロスが受け手の足にピタリと収まるように。

 

ということでジンジャーからベッカムへのエールでした。

 

成長は圧力鍋で煮すぎるとかえってダメになることもある

はてな

 書きたいと思ったらとりあえず書いとけ、的な

さっきネコ師匠のエントリーを読んでふと思ったことがあるので忘れないうちに書いておこう。

ただ、思い付きで書いてるのでいろいろと不都合なことや整合性のないことがあるかも知れないけど、そういうのが嫌いな人はさっさと閉じてきっちりしたブログを読むことを推奨します。僕は今手探りです。

gattolibero.hatenablog.com

永久機関なんて夢のようなお話 

簡単に言うと「成長」って何なんだろうな、って思ったんです。

自己暗示をかけるかのように「成長!」「成長!」って唱える人いるよね?

それこそ就活生(バカみたいな言葉だけど)なんかは今からの時期いかに「成長力」をアピールするかが勝負の鍵なんだろうね。

じゃあ「成長」するってどういうことなのか?って。

 

もちろん僕も「成長」を否定するわけではない。

昨日よりも今日、今日より明日と少しずつでも成長すれば素晴らしいことだと思う。

人生を進むうえでそうでありたいと願う気持ちもある。

ただ「成長」し続けたとしてその先に何があるんだろう。*1

 成長は死を遠ざけるのか、近づけるのか

世界中の人間すべてに共通する唯一のことがいずれ訪れる「死」であることはほとんど全ての人の同意を得るところだろう。

そうすると「成長」というのは年と共に経験や知識を積んでいくことだから、別の見方をすれば「死」に近づいていっているということでもある。

では「死」から最も遠い存在は?と言われればやはり生まれたばかりの子どもということになる。

 

ネコ師匠のエントリーを読んで「成長」のことを考えた時に、実はまだなんの「成長」もしていない子ども(特に新生児)こそが最も完成された存在であって、常日頃僕らが「成長」と呼んでいるものは本当は「衰え」なんじゃないかと感じた。

 充実した人生という幻想

いやいやいや。

そんなバカな。

「成長」することで今まで知らなかったことを知り賢くなる。

熱いやかんに触ったら火傷する。それを知るからこそ(成長)、同じ間違いをしないで済む。

ほらね?

だから学びましょう。

 

経験を積んで「成長」するからこそ重要な仕事を任され、やりがいを感じ、収入も増え充実した人生を送れる。

そうだろ?

だからもうちょっと頑張れ。

 

人から好かれたい。いやもっと直截的に言えば嫌われたくないでしょ。だったらその場の雰囲気に相応しい振る舞いをする術を身に付けなよ。

できる?

もっと空気読めよ。

本当に?

 空っぽこそ最強

いろんな知恵や知識を入れることが単純に「成長」と言えるのだろうか。

むしろそういった知恵や知識が邪魔をすることもある。リスクを冒さない「でもだって」に変換されたり、周囲に溶け込めない居心地の悪さに繋がったり。

世に言う安易な「成長」によってむしろ可能性が狭められてやしまいか。

 

子どもというのは無知だ。

しかも一人では生きられない。特に新生児なんかは人(主に母親)の助けなしには3日と持たないだろう。

 

しかし、不思議なことに新生児ほど生命力を感じさせる存在もない。

 

僕は健康な成人男性を見ても「あぁこの人生きてるな!」とは思わない。

でも新生児を見ると「メッチャ生きてんな!」と思う。

一生懸命泣くし一生懸命おっぱいを飲むし一生懸命排泄する。

 

もしかして新生児こそが人間の「成長」しきった姿であって、余計な知恵や知識を入れることは一見すると「成長」しているようにみせて実は生命力という点では衰えていることになるんじゃないか。

人間というのは生まれてからゆっくりと死に向かって老いてゆくものだととすれば、その中で「成長だ!」「成長だ!」と小賢しく叫んだとしていったいどれだけの効果があるのだろうか。

 オリジナル

お釈迦様は生まれてすぐ「天上天下唯我独尊」と言ったとされる。

天上天下 唯吾獨尊

今茲而往 生分已盡

という一節が記されている。 これを訳すと

世界の中で我のみが尊い。
今ここに生まれてきたが再び生きることはない。

                           (Wikipediaより)  

よく天上天下唯我独尊って「オレ偉い」みたいな言葉と思われがちだけど、実際はお釈迦様は自分はもとより他の人間も生まれてきた時点で偉いって言ってる、という解釈があるそうです。 

世の中に自分という存在はただ一人。そう考えたら凄くない?ただ存在するだけで尊いんだぜ?ってことでしょうか。

生まれてきただけで偉いんだったら、余計な知識や知恵を付けてわざわざ人と比較したり競ったりする必要もないよね。それはむしろ人間としては衰えていることになるのではとさえ感じる。

誰かのサイズに合わせて自分を変えることはない自分を殺すことはないありのままでいいじゃないか(THE BLUE HEARTS「ロクデナシ」)

お釈迦様は「そのままでいい」って言ってるんだからそのままでいいんだ。

知恵だの財産だのを抱え込むっていうのはある面では執着であって欲を捨てきれてないということでもある。

だから「成長」圧力に押しつぶされそうになった時は何もかも一度捨ててしまってもいいんじゃないか。

それで部屋で一人ゴロゴロして「天上天下唯我独尊」とか呟いてみればいい。

いや危ない人かと(笑)

 

ただ「成長」は必ずしも万能ではないし見方によっては衰えでもあるから固執しなくてもよい、と思うだけでも少しはマシな気持ちになれるんじゃないでしょうか。

*1:個人的には成長することはとても大事だとは思ってます。説明するのは難しいけど自分なりの良い成長であって例えば「成長か、死か」みたいな話ではないということです。まぁ成長というか目標とか目的ということかな。

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