ジンジャーエール

辛口エールで一杯ひっかける

書店でポップは見ない、図書館の無機質さが好き

書店の店員さんが一生懸命に店内を書籍紹介などのポップで飾り付け「アマゾンには絶対に負けないと思っているだけどなぁ…(ポップを見て)本を読みたいと心を動かされないのかなぁ…」と呟いていることがちょっと話題になっている。

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僕は書店でもアマゾンなどの通販どちらも利用する。利用割合はどのくらいだろうか。半々?書店の方が多い?書店のメリットはやはり手に取って確認できることに尽きる。しかし在庫量とかいつでもその気になった時にポチれる利便性では通販に軍配が上がる。

 

あとは、個人的に知り合いかどうかも大きいかな。書店を経営している人が知り合いにいるとできるだけそこで購入しようかという気持ちになる。しかしそうしたお店はやはり小型店だからおのずと置いてある書籍も限られる。なので結局は大型店か通販で購入する。町の書店の未来は明るくない。

 

で、書店のポップ。僕はほとんど見ない。あれと通販サイトのレビューとどう違うのだろうか。どちらにしろ全く知らない人の評価じゃないか。書店のポップだから信頼できるということはないはずだ。僕も昔CDショップでアルバイトしていた時にポップを書いていたことがあるけどあんなのほぼ店員の自己満足じゃないのか。少なくとも僕はそうだった。だから好きなミュージシャンならそらですごい熱量で作れたけど、よく知らないけどそのとき売れているミュージシャンは宣材用のチラシから一文パクったりしていた。すうらすうら書けないんだわ。言葉が出てこない。だからほんと自己満足の賜物。

 

まあ別にポップに力を入れていても全然いいんだけど、ポップ自体は必ずしもホスピタリティの結晶とは思わないのね。それで僕のようにポップを見ても特段心を動かされない人間は本好きではないみたいに決めつけられるのも嫌だ。僕はむしろ図書館のような無機質な感じが好きだ。あれは裸だね。ごてごてと着飾ってない。それがいい。なんていうかポップがゴリゴリと飾ってある書店はナイトプールみたいなもんだ。僕にとってナイトプールはプールじゃない。水に入って遊ぶ場所じゃあないんだな。自分がいかにイケてるかを水辺に映しだすことに気を取られてる人達が行く場所。ちなみにナイトプールに行ったことはない。偏見です。

 

ポップ書店もなんというか「え?アマゾンで本を購入?ほんとの本好きなら書店で買うよね(笑)」みたいな、そーいうちょっと意識高い的なものを感じちゃうんですよね。全部が全部そうとは言わないけど。単に僕がねじくれているということかもしれないけど。

 

図書館は好きだ。あれは市民プールだ。いやプールですらないかも。その辺の川。ただそこに本がある。好きに選べ。読め。期限が来たら返しにこい。次の本を準備して待ってるよ。そんな感じがする。無機質で武骨で裸の本。本を並べる棚も閲覧用の椅子と机も別にオシャレなものじゃない。導線や空間のデザインなんかも凝ってない。特に古い図書館はいいね。

 

そのうち書店というものはなくなるのかもしれない。町の電気屋さん、近所の酒屋さんのように姿を消すか細々と地域の人やマニアックさを求めている人だけを相手にした商売になるかもね。でもそれはどんな産業にも言えることである。力作ポップを作ることも確かに企業努力の一つかもしれない。しかし同じようにアマゾンもまた顧客満足度のために努力していることを忘れてはならない。

 

これはアマゾンの努力は善で、書店はポップなんて作って仕事した気になるんじゃない、という話ではない。時代や社会がつまり人々がアマゾン的な努力の方向を良しとしているということである。それがいいかどうかはわからないが、適者生存ともいえる。書店が今後目指す姿がどういったものであるべきなのか僕は答えを持っているわけではないが、少なくとも自作のポップに反応しない客を嘆くことではないのは確かである。