ジンジャーエール

辛口エールで一杯ひっかける

金属バットの行方

花粉症とは全く無縁で春を満喫できる体です。イエイ。

こんにちはジンジャーです。

そういえばラガーさん(とその一派)はどうなったのだろう

史上初の大阪勢対決となった春の高校野球もつつがなく終わりました。1試合も見てないのですが高校野球について語りたくなったので何か書いてみようと思います。いつも高校野球を見ていて感じるのですが、あ、実際は見てないのですが、金属バットって何なのでしょうか。プロ野球では当然木製バットです。WBCだってそうです。高校球児の中には将来プロになりたい人や社会人野球に進む人もいるはずです。そこでは木製バットが使用されます。それなのに高校時代に金属バットに慣れてしまうのはどうなのでしょう。これは夏休みのラジヲ体操に備えて振付を完璧に予習したはいいもののなぜかラジヲ体操第2から覚えてしまうようなものです。ラジヲ体操初日の朝に皆が大きく息を吸って背伸びの運動をしている時に全然見当違いの動きを披露してうことになります。恥ずかしさでいたたまれなくなり会場を後にするでしょう。そしてその夏は二度とラジヲ体操会場に姿を表すことはありませんでした。そうしてただ一度しかない夏を無駄にするのです。

金属バットの話です。実は高校野球でも必ず金属バットを使わなければいけないわけではないようです。木製も使えるんですがコスト面から耐久性に勝る金属バットが好まれているのです。やはり何にも増して経済原則が優先されるのです。ビバコスパです。木製バットだったら折れてしまいます。でも金属バットなら簡単には壊れませんからボロボロになるまで利用できます。バットさんの立場からすれば勤続バットです。なんちゃって。しかし木製バットは確かに折れやすい。例えば甲子園のグランドにもし巨大な岩があったとしてそれに向かってフルスイングしたとしましょう。金属バットなら少し歪むかもしれませんが、その後も何とか使用に耐えるでしょう。しかし木製バットだと間違いなく真っ二つに折れてしまいます。その差は歴然です。

だけど金属バットに頼ること、つまり経済的な合理性は本当にすべてに勝るのでしょうか。野球界の大スタア長嶋茂雄(ミスタア)はかつてこう言っています。

 

「そうですか。鯖は魚偏にブルゥですか」

 

違いました。「打者にとってバットは手の延長。たとえバットを折られても手の延長だと思いそのまま振り抜くのが打撃である」内容はうろ覚えですがだいたいこんな感じでした。昭和の精神論か、と思われるかもしれませんがメンタルタフネスと言い換えるとなぜだか「アリだな」と感じませんか?ただ執念というのが時に僕らの想像を超えるスーパープレイを産むのも事実です。

そう考えると木製バットだ金属バットだなんて考えるのが馬鹿らしくなってきました。これからは高校野球は素手で打席に入りましょう。そして手で打つのです。野球界のミスタアがバットは手の延長と仰ってるのです。ならばバットよりも自分自身の手の方がより自分の感覚で打撃をできるのではないか?高校野球を長年追いかけないで来たぼくが辿り着いた答えは自分自身が道具と一体化する究極のミニマル野球です。ある意味世界の最先端だと言えます。よく選手がホームランを打った時のインタビューで「感触が良かった」と言っていますが、素手で打てば今まで以上により感触を得られるはずです。しかもミートポイントが小さいためミートする技術や選球眼がより養われます。なおかつ木製バットと違いエコです。金属バットだと打高投低で投手に負担がかかりますが素手ならその心配もありません。高校時代の投げ過ぎでメジャーに行った後で肩・肘を壊す恐れもグッと減ります。これで日本の野球のレベルもより一層高まると思います。高校野球はぜひ素手で行われることを推奨します。

まとめ

21世紀枠というのは22世紀になったらどうなるのでしょう。せっかく定着してきた21世紀枠を22世紀になったという理由だけで廃止するのはしのびありません。高野連には旧21世紀枠と22世紀枠の並立を検討して頂ければと思います。

 

今回は野球界の将来を憂ういちサッカーファンからの提言というお話でした。

ではまたね!