学校には行かなくていいのか、行くべきなのか。
別に行かんでいいよ
— KeisukeHonda(本田圭佑) (@kskgroup2017) January 14, 2019
人生は1回
時間を無駄にするな
誰かの為になることを考えろ
地球は広いぞ
宇宙は果てしなく広いぞhttps://t.co/Evcy1loStS @YahooNewsTopics
学校には通っているけど、実は苦痛でたまらない…。隠れ不登校。
そういう子供はどれくらいいるんだろうか。
本田圭佑さんがそうした悩みを抱える子供たちに対し、ツイッター上で行ったアドバイスが賛否を呼んでいるそうだ。まあ本田圭佑さんの発言は刺さるタイプのものが多い。ある種の人にとっては背中を押してくれるものになる一方で、否定的な人にとっては足の裏に刺さった画びょうのように。
上記の発言についても、称賛の声の方が全体的には 多いようではあるものの、「無責任だ」とか「事情を考慮せずに軽々しく言うことではない」というようなネガティブな反応があるようだ。
しかし本田圭佑さんだって未来永劫学校に行かなくていいと言っているわけではない。いま、苦しいのであれば無理する必要はない。僕もそう思う。一時的に離脱するのは全然おかしくない。もし自分の子供たちがそういう状況になったら同じことを言う。
行かなくてもいい、と。
学校に行くのが苦痛な理由は人それぞれだろう。人間関係、いじめ、勉強ができない。家庭環境が複雑だとか、病気とか。もしくはただ単に怠惰なだけという場合だってあるだろう。
それでもいい。どんな理由だっていい。むしろ理由なく学校に行きたくない時だってある。それを受け入れて、居場所を作ってあげるのが親をはじめとする周りの大人の役目ではないだろうか。
本田圭佑さんの言葉を部外者の無責任な発言となじるのは簡単だ。
だったら僕らはどこで責任を取るのだろうか。
大人として生きている以上、この社会の何かに責任があるはずだ。
何も言わない、何もしないのは同じく無責任な行為ではないか。
学校に行くのが苦痛な子どもがいるのなら、どうすれば苦痛でなくなるのか、そのような学校を作るには何が必要なのかを考えるのは全ての大人の責任だと僕は考える。
子どもがいようがいまいが関係ない。子どもたちはいずれ日本を背負っていくことになるんだ。彼らがだれ一人取り残されずに社会に出るための手助けをする義務を大人は背負っている。僕らが子どもの頃に、親たちやそのほかの大人たちが僕らにしてくれたように。
逃げてもいいよと教えるのも、逃げなくても大丈夫な居場所を作るのも、逃げたけど元の道に戻るにはどうすればいいのか、元の道には戻らなくても生きていける違う道の探し方とかそういうのを用意してあげるのが大人だ。
僕自身は、世界を旅したわけでもないので地球の広さはろくすっぽ知らない。ましてや宇宙の広さなど。宇宙の成り立ちすら原理が分かってない。だからせめて人生の深さについては語れるように地道に僕の立っている地面を掘り進めていきたい。石油を掘り当てる見込みはなさそうだけれど。