ジンジャーエール

辛口エールで一杯ひっかける

AERAの藤浪ディスり、大谷持ち上げ記事がひどかった

これがジャーナリズムか。

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僕にはゴシップ以下の三流タブロイド紙のゴミ記事にしか見えない。AERAというのはずいぶんと格調高いゴミ箱である。さすが朝日新聞出版である。スノッブで、上から目線でモノ申す態度にかけては超一流のやり方を心得ている。

憑依系記事

記事では大谷選手が絶賛されている。野球に取り組みストイックな姿勢。ファンへの気さくな対応。周囲に流されない確固たる自己管理。対して藤浪選手は…。という論調である。

気になるのは、記者は大谷選手本人ではないことだ。もっといえば記者自身が大谷選手のようにストイックなジャーナリストで、飲み歩くこともせず、周囲に対して気さくで、時間を大事にして自分の人生を過ごしているかどうか全く分からない。それなのにまるで自分はストイックなエリートで”大谷選手側”であるかのような目線で藤浪選手の自己管理不足をこき下ろしている。

成功者に憑依して自分まで偉くなったように感じるタイプの記者なんだろうか?客観的観測よりも主観でゴリゴリ記事を量産する。さすが一流出版社のストイックなエリートジャーナリストは一味違う。一見すると三流ゴシップ記事のようなアプローチ法を巧みに取り入れるとは恐れ入る。

あえて結論を出さない記事

記事はこのように結ばれている。

さらなるアメリカンドリームをつかむために、大谷は今後も進み続けるだろう。そして藤浪がどのような道を歩むかにも注目したい。まだ20代半ばであり再び輝くだけの時間と可能性は残っている。本人の覚悟ひとつで状況も激変すると思うのだが……。 

 この「注目したい」と一見エールを送るような分には、裏に「もっと転落してゴシップネタを寄こせ」という願望が見え隠れするさすがはAERA。ゲスい本性など見せてはならない。あくまで大人の読み物であらんとする精神は実に気高い。

そして結びの「状況も激変すると思うのだが…。」が実に憎い表現である。これだけ記事中で藤浪選手をクソミソにけなしてはいるが、万が一藤浪選手が復活した際のことを慮って「思うのだが…。」と濁している。見事な予防線である。

そもそも藤浪選手をくさすための記事だと思われるが、かといって記事中でそのことを結論だてるわけにはいかない。だから最後の「…。」で、あとは読者のご想像にお任せ致します、と記者としての最低限の責任を放り投げるという高等テクニック。さすがです。

人生に比較も優劣もない

これを書いた記者は一人っ子だろうか?

中流以上の家庭で育ったのだろうか?

高学歴なのか?

結婚しているのか?子どもはいるのか?

どのような子供時代を過ごしたのか?学生生活は?

どんな本を好むのか?

 

いろいろ考察してみたいことがある。残念ながら僕はプロファイリングマスターではないので全く分からないが。

しかし僕なりに一つ思うところがあるとすれば、このゴミをまき散らした記者は、間違いなく人間を尊重しない者だということである。そしてそれは僕の中ではクズに分類される。

誰だって自分の人生を歩む権利がある。covid-19にり患しようが、コンパに出かけようが週刊誌に写真を撮られようが、ストライクが入らなかろうが、それはそれで藤浪選手にしか生きることのできない藤浪晋太郎の人生である。

何も知らない人間が(記者はそもそも藤浪選手に直接取材したことがあるのだろうか?僕は無いとみている)、勝手に別の人間(この場合大谷選手)と比較して「ほら、こいつはダメだろう?」と失格の烙印を押すのは、いったい何の権利があってのことだろうか。

あまりにも人間という存在を軽んじた愚かな振る舞いである。人生に対する理解が足りない。

比較は優劣ではなく、違いを見つけるためにおこなうもの

藤浪選手の悪い点を指摘したいのであれば、投球フォームがどうとか、自己管理がどうとか藤浪選手自身の行いに焦点を当てるべきではないだろうか。

大谷選手と比較して「ほら高校~プロ入り直後までは藤浪選手が目立ってたけど、あっという間に追い越されたね~もう追いつけないね~残念ですね~悔しいですかぁ」と言わんばかりのこの記事から僕が学ぶことは何一つない。だからゴミなのである。

こういう記事を書く人間とは実生活でのお付き合いは是非とも勘弁したいものである。君子危うきに近寄らず。

大谷選手が素晴らしい野球選手であることは言うまでもないだろう。だけどそれは藤浪選手と比較して完結するものではない。というか二刀流という唯一無二ともいえるものを武器にしている大谷選手を他の選手と比較している時点で、この記者は大谷選手をもよく知らずに尊重もせずに、ただただ藤浪選手を貶めるためだけに書いたのではないか疑惑すらある。

 

記事を真似て「この記者が今後どのような道を歩むのか注目したい。このようなゴミ記事しか書けない無能でも本人の覚悟一つで状況も激変すると思うのだが…」と結ぼうと思ったけど、署名のない記事では誰が書いたかすら計り知れない。一介のブロガーならまだしもジャーナリストが自分の存在も明らかにせず、遠くから石つぶてを放り投げる。ゴミ記事を生産する能力と覚悟の無さはこういうところに表れているのだと思う。