ジンジャーエール

辛口エールで一杯ひっかける

外国人のお墓問題について考える

先日のクローズアップ現代で外国人のお墓問題を取り上げていた。僕は恥ずかしながらそういう問題があることをこれまでまったく意識してこなかった。でもちょっと考えれば確かに国や宗教によって弔い方というのは異なるのは十分あり得る話なんですよね。

 

放送の中では、外国人のお墓問題を解決するにあたっての障壁として「言語・情報の壁」「文化(埋葬方法)の違い」「偏見」が挙げられていた。

 

日本で暮らし、この国に骨をうずめる外国人の方は年々増えているし、今後も増え続けるだろう。言語や情報の壁に関しては行政を中心に本気で取り組めば早期に解消されることが期待できる。ていうか解決しないといけないだろう。それくらいできなかったら日本は外国人を受け入れる資格がない国ということになる。

 

問題は偏見と埋葬方法の違いだろう。特にキリスト教は土葬が基本だと聞くし、イスラム教に至っては土葬がマストだ。が、日本の法律では特に土葬が禁止されているわけではないので別に土葬しても良いだろう、と思う。将来的な土地の確保はどうするんだろうとか思ったりもするが、まあ日本は少子化で人口も減る一択なので土地も余りだすでしょ。

 

番組では大分県日出町のケースが取り上げられていた。イスラム教徒用の墓地建設が計画され、計画立案をしたイスラム教の方たちが地域住民に丁寧に説明しているところが映されていた。しかし住民の2/3程度が反対し、建設許可が下りないのだとか。

 

地域住民が反対した主な理由は水質が汚染されないか、それによる農作物、畜産物への風評被害が出ないかという懸念によるものだった。僕は思う。で、それはどんなデータによるものなの?と。

 

先述のとおりキリスト教やイスラム教など土葬は世界中で行われている。世界のそこかしこに死者が土葬された墓地がある。その近辺は水質が汚染されているのか。風評被害により地価が下がったりした事実があるのか。地域住民はきちんと提示すべきだ。もちろんできないだろう。ほとんどそれは心情的なものだからだ。「よくわからないから怖い。受け入れたくない」それが本音だろう。

 

偏見。それは人間にとってほとんど病的なオプションだ。対して墓地計画を説明するイスラムの人たちはとても理知的な印象を受けた。もちろんテレビの短い時間で映し出されたものがすべてではないと思うが。

 

さて日出町の人たちは土葬により水質が汚染されたり自分たちが育てている牛や米が風評被害により売れなくなるということを心配しているが、もっと別な方向の風評被害を心配したほうが良いのではないだろうか、と感じる。

 

思い込みと偏見で共生を拒む人たちが作る牛や米を僕は食べたいとはあまり思わない。科学的なデータに基づかずに変なエサや薬を使ってるかもしれない。偏見に満ちた人々に利益をもたらしたくない。そう思う人が今後増えるかもしれない。そうすると日出町産の牛や米はエシカルではない商品として消費者に忌避されることもあり得る。

 

逆に多文化共生のもと育った牛や米だよ~と宣伝すれば、より強いブランドを獲得できるかもしれない。長い目で見れば、そして社会の変化の行く先を見据えればそのほうが良いように思えるんだよね。

 

目先の利益や偏見では長続きしない。多文化を受け入れることは外国人にとって利益になるだけではなく、元からそこにいる地域住民にとっても利益になる道がある。そういう思考の転換が必要なのではないだろうか。