ジンジャーエール

辛口エールで一杯ひっかける

配慮を強要する人ほど配慮がない。

先日からいまだに世間であれやこれや言われている清水富美加さんの出家騒動。超スピード出版やゲス不倫しちゃってたとかまだまだ話題に事欠きませんねー。

 

個人的には清水富美加さんを擁護する立場でもないしどうでもいいし幸福の科学もどうでもいいのだけれども、彼女に対する芸能人の方々のコメントが正直言って気持ち悪すぎてなんだかなぁと感じます。

 

そんな中、清水富美加さん批判の急先鋒・坂上忍さんが小林麻央さんを「配慮の塊のような人」と絶賛しています。清水富美加さんを「配慮がない!」と斬って捨てていたのであれかな?当てつけってやつかな?

 

坂上忍さんは番組で小林麻央さんのブログ記事を取り上げ「ツラい状況の中で発信を続けている。病で苦しんでいる人たちも励まされる。すごい事だ」と感嘆しています。

小林麻央さんといえばがんで闘病中。その状況でも明るく振る舞ってる姿勢は確かに素晴らしいのだけれども。

 

素晴らしいのだけれどもさ。

でも、闘病中の人が周囲に配慮をしなきゃならないっていうのもどうなの?

小林麻央さんはがんという‟目に見える”病気だ。

対して清水富美加さんは目に見えないこころの病を患っている可能性があった。

世間の一部には未だにこころの病のことを「ただの甘え」と考えている人がいる。

 

だからこころの病で飛んじゃった人のことを「配慮がない」「無責任」だのと言うのです。要は病気だと認識してないのですね。

目に見える病気は評価し(?)配慮するのに、目に見えない病気には一切の配慮をしない。世の中は目に見えるものが全てだと思っているのでしょうか。

 

だいたい小林麻央さんには海老蔵さんという伴侶がいて、子どももいて頼れる周囲があるのですね。生きる支えみたいなものが。

でもこころの病の人は往々にして周囲に頼れないものです。

だからこそ自死してしまう人がいるんではないでしょうか?

 

こころの病になるのは単にその人が弱いから、というだけではありません。

確かに個体側要因というか打たれ強い/弱いというのはありますが、物事はそんなに単純なものではないでしょう。

学生時代体育会系の中で揉まれ「オレ打たれ強いっすよ!!」と豪語する若者がブラック企業で1年ほどで使い潰されて病んでしまうケースなんて腐るほどあるよ。

 

僕は不思議に思うのですが他人に「配慮しろ」と迫ってくる人ほど自分自身は全然全く髪の毛ほども周囲に配慮しないのはなぜなんでしょう?

例えば小林麻央さんだって本音を言えば「わーっ!!」とか叫びたいことはあるのではないかと思います。黒林麻央(ブラッキー)さんとかね。

でもそれをしないで強く振る舞うのを「素晴らしいね」って言ってしまうのは小林麻央さんに対する配慮が欠けてるのではないかと思います。

そんなに周囲に気を遣わず本音を言っていいんだよ、くらい言うのが本当の配慮ではないでしょうか。

今回、坂上忍さんは「オレは配慮っていうものがなんなのかよくわかってるよ」という感を出していますが、実は彼が一番配慮のない人間なんじゃないだろうかと思わずにはいられません。

 

配慮なんて強要されてするものでもないし、むしろ周囲に配慮しろという過剰な‟空気読め感”がここまで日本を「その場で問題を解決せず先送りする」国にしてるんだけどなぁ。

 

それではこの記事に最後までお付き合いいただいた皆様に今後のエールを!