正論を吐くのは気持ちがいい。
共感も得られやすい。
正義大義は自分にある。周囲も自分の味方につくだろう。
異論は認めない。
なぜなら異論だから。世間とはちょっと違うんだよ。
誰もかばってくれない。
だから正論は容赦なく異論を叩く。叩く。これでもかと叩く。
これが現実に手で叩くのなら叩いた方もこぶしを痛め血が滲み骨が折れるだろう。
でも正論で叩くとこぶしは痛まない。血も出ない。骨も折れない。
だけど叩かれた異論は。
メチャクチャ痛い。流血し、骨は突き出る。息も絶え絶え。
その倒れこんだところに正論はーーさらに蹴りを入れる。
今世間を賑わせているニュースに北海道で起きた子供の置き去り事件がある。
僕は報道でしか情報を知り得る立場にないし、正直よくわからない点もあるためこの件そのものについては今の時点では何も言えない。言う立場にない。今はただ男児が無事見つかることを祈るのみだ。
そんな中、マツコ・デラックスさん他が「5時に夢中!」でこの件について言ったことが話題となっている。まぁ彼(彼女?)の影響力を考えれば当然か。
「私たちはあの時代に生まれたから、そんなにエキセントリックという感じはしないけど、今の世の中でこれがどうかというと、行き過ぎだったのかな、とも思える。しつけって、衝動的にやったらいけないもの。『自分がされたことだからいい』ってことではないんだろうな、とこれを見て思った」
また同番組のレギュラーの若林史江さんは
「自分たちがどういう行為をすればその弱いものに対してどんな危険が及ぶのかと考えが及ばない。しつけがいけないのではなくて、いきすぎてしまうことが虐待や事件につながると思う」
とコメントしているそうだ。
僕がこれから書くことは異論かもしれない。
彼ら彼女らの言ってることは正論なんだろう。でもーー
子育てもしたことないくせに分かったふりして正論振りかざしてんじゃねー!!このクソがっ!!!と思ってしまう。
子育てしたことない人間は育児を語ってはいけないのか。当然こういう反論がある。
いや、もちろん語っていいよ。どうぞどうぞ。ただね、これは理解しておいて欲しい。説得力はないよ。微塵も。少なくとも僕の心には響かない。
育児経験のない人の(世間的には)正論(に見える)と、育児をしてる(した)人の実情を反映した(世間的には)異論(に見える)。本当はどちらが正しいのか。
僕もこのブログやらなんやらで育児って楽しいよ!的なことを書く。それはもちろん事実だ。でも今まで書いてないだけで“衝動的なしつけ”をしてしまうことはあるよ。
怒鳴ったり手を上げたり「黒い感情」が芽生えたり…みんなそういう経験はあるんじゃないだろうか。そして親自身そういう事をしてしまったり思ったりすることに驚き戸惑い傷つくこともある。自覚はするけどどうしょうもないってこと、あるでしょう?
正論を吐くのならそういう事を理解した上で吐いて欲しい。
でも残念ながら異論の気持ちを汲んで正論を言う人は少ない。
以下、後編に続く
*マツコ・デラックスさんのこの発言そのものは首肯できる。気持ちは分かるけどやり過ぎだろうというのはその通りだ。その点ではマツコ・デラックスさんは異論の気持ちが分かる数少ないコメンテーターだと思います。彼(彼女)自身が異論そのもののような存在だからだろうか。