大相撲3月場所は白鵬の36回目の優勝で幕を閉じた。
千秋楽を迎える時点で大関・稀勢の里と豪栄道が2敗、横綱・白鵬が1敗で優勝を争っていた。多くの人は結びで白鵬が日馬富士に敗れて決定戦となることを望んでいたと思う。実際、日馬富士の土俵入りの際に「白鵬に勝てよー」という声が聞こえた。
白鵬ちょっと可哀想。この時点で僕はそう思った。
そして結果はーーー
ご存知の通り白鵬が変化して優勝したことで大荒れである。
表彰式では「恥を知れ!」「勝てば何でもいいんか!」「卑怯者!」などの野次が飛んだ。もちろんネット上でも白鵬に対する散々な罵詈雑言の嵐だ。
さて相撲は相撲道という言葉もある通り一般的なスポーツとは同列に語れない。もともとは神事だしね。さらに横綱は特別な地位で他の力士の模範とならなければならない。やはり大一番で横綱が注文相撲をするのは決して褒められたことではないと思う。ルール上は問題ないだろ、と擁護する向きもあるが前述のとおり相撲を他のスポーツのように考えるのはちょっと違うと思う。「暗黙の了解」的なものが入る余地が大きいのが特に日本的だ。
僕は子供のころ剣道をしていた。やはり武道というのは正々堂々と行うものだと教えられた。(というかどのスポーツだって基本は正々堂々だけど)
なんていうか技にも推奨順位みたいなものがあって。(これは僕がそう言われてきただけでそうじゃない道場や部活ももちろんあると思う)
例えば面>小手、胴だった。
僕は小兵剣士で技の種類やキレ、駆け引きで勝負するタイプだった(こう書くととすごい強かったみたいなみえるが大したことはないです)
特に相手に先に動かせてそれを切り返す返し面とか出小手とか得意だったけど、飛び込み面とかが得意であまりちょこまか動かず堂々としている人の方が評価されてたなぁ。
やっぱり受けて立つ、というタイプが好まれるんですなぁ。武士道のイメージの影響が大きいんでしょうね。正々堂々とって。しかも江戸時代、職業相撲が成立したころの関取も大名のお抱えだったりしたから余計堂々と勝負する風が好まれ今に至るのかも。
ただね、白鵬に武士道的な堂々さを求めるなら一方で優勝からしばらく遠ざかり、やれ衰えたやれ限界だの言われ、日本人力士の優勝を阻む敵のように扱われ、そんな中どうしても優勝したかったという白鵬の心情を理解することはできないんですかねぇ。惻隠の情とかそれこそ武士の情けってやつで。それが粋ってもんじゃないかと思う。なんか損したー、金返せーみたいな意見もあるけど。個人的にはちょっと品がないかと。
野次を飛ばしたおっさんその他白鵬に罵詈雑言飛ばした人たち。あれは決して褒められた一番ではなかったかもしれないけれど、心情を察して今回は良しとする、でいいじゃない。