ジンジャーエール

辛口エールで一杯ひっかける

この世は秘書でできている

秘書というのは実に便利なものらしい。

よく政治家が不祥事を起こした際にはだいたい秘書が絡んでいる。「秘書が勝手にやった」という政治家本人のコメントはアスパラガスとベーコンくらい定番の組み合わせだ。

 

政界だけではない。先日も新型コロナウイルスのワクチン接種に関してスギ薬局の会長秘書が「勝手に」会長夫妻が優先的に、つまり割り込んでワクチン接種できるよう市に圧力をかけていたことが報じられていた。問題が報じられると秘書が会長夫妻を心配するあまりの行動だったと釈明文が流された。明治時代なら奉公人の鑑として教科書に載るくらいの美談になったであろう。

 

と、思ったら今度は高須院長である。

 

民主主義へのテロ行為であるリコール署名偽造事件で高須氏の秘書が署名偽造に深く関与していたというかばっちりと署名偽造に加担していた、と報道されている。これについて高須氏は「わしゃよく知らん」と言わんばかりに無責任なコメントに終始している。

 

「偽造署名に関わった何百人のうちの一人」「厳しくしかった」「もらい事故」などと問題を矮小化するかのような無責任ぶりを露呈している。全責任負うんじゃなかったのかよ、と突っ込みたい。

 

なぜ高須氏の秘書はこのような犯罪行為に手を染めたのだろうか?高須氏に恥をかかせないように署名数を増やしたかったのか。だとすると高須氏の心中を慮って犯罪を行うとか任侠の世界かよ。子分か。

 

そう、秘書とは子分である。よくあるでしょ。任侠映画で。ていうか現実のおヤクザ世界でも。

 

「やれ」「はい」の世界である。

 

対立する組にカチコミさせるにあたってよくあるシーン。薄暗い部屋でテーブルを囲んで男たちが難しい顔をして座っている。おもむろにテーブルの上に置かれる拳銃。ゴトリと金属の重みを感じさせる音。しかしその金属の塊は人から命の重みを奪うものでもある。拳銃を見つめる子分。ゴクリ。唾と共に自分の人生を飲み込む。死ぬかもしれないし、成功して生き残ったとしても長いオツトメが待っている。緊迫の場面。「オツトメから戻ってきたらお前も晴れて幹部だぞワッハッハー」そんな場面。

 

創作ものではこうしたシーンで親分が立ち会っているが、実際はどうなんだろうか。親分に責任を負わせないため「知らなかったこと」にするために現実の世界ではそうそう同席しないんじゃないだろうか。

 

よくリーダーシップに関する本などを読むと、リーダーの素養の一つとして最終決定に対して責任をとることが挙げられている。仮に権限を委譲していたとしても、報告を受けているのであれば周囲から「知っていた」とみなされるのは当然だ。

 

しかし上にあげたような事例では軒並み、そしてひたすら秘書の責任が問われている。しかしどのケースでも最終的には親分のイメージは悪化している。そりゃそうだ。周囲の人間はそんなに初心ではない。「秘書がやった」ということにしているのだ、ということくらい皆わかっている。秘書が独断でそんなことしないだろう、実に恐ろしきは宮仕えというのは常識だ。

 

ところが一部の権力者や企業経営者、お金持ちはまるでこの世は秘書でできているかのように振る舞う。秘書こそが実態で自分はお飾りだとでもいうつもりなのだろうか。ラスボスは秘書みたいな。

 

世の中には秘書検定なるものがあるそうだ。秘書になるために心構え的な、つまりビジネスマナーを中心に問題が構成されているのだろうか。マナー講師が喜びそうなものである。実際の問題は見たことないけど。しかしこれだけ不祥事の際に秘書のせいにされるってことは通常目にする秘書検定以外に裏秘書検定みたいなものがあるんだろう。きっと。親分のために犯罪に手を染め、自分がその罪をかぶる。そのくらいの覚悟がなければ務まらないのだろう。僕には到底無理である。ていうか、それくらいの胆力があるならつまらない人間の秘書なんぞせずに一旗揚げればそれなりに成功しそうなものであるが人の生き方というのは実に複雑怪奇なものである。