ジンジャーエール

辛口エールで一杯ひっかける

武士道とは死ぬことと見つけたり(ない)

SAMURAIの精神はどこいった!と怒ってる人がいる。日本代表のパス回し問題。醜い真似して生き残ろうとするな。美しく散れ。そういう人たちがいる。

 

僕はいつも不思議に感じる。

 

なぜ彼らは太古の昔から、日本のサムライは「武士道は死ぬことと見つけたり」的な美学を持っていると考えるのだろうか、と。

彼らがイメージするサムライ像は江戸時代に確立されたものだ。戦から遠ざかり、随分平和な時代になってから武家を統治するための方便として武士道なるものが考案されたのではないか。サムライを理想の日本人、愛国のアイコンとして語る人もいるがこの武士道は大陸からきた儒教に由来するんじゃないの。朱子学とか陽明学とかそのあたりでしょ?よく知らんけど。ということは彼ら愛国者が嫌う中国が発祥で韓国を経由して入ってきたわけです。それはいいのか。どうなのか。

しかも武士道とかのサムライはせいぜい江戸時代、200〜300年前くらいに語られ始めたものにすぎないのではないでしょうか。それがなぜ古来からDNAに刻まれた日本人像みたいに言われるのか。不思議だ。しかも江戸時代の武士は人口比率でいったら全体の1割にも満たなかったという。それが日本人全体の代表になりうるのだろうか。人口比率でいえば圧倒的に多い農民の生き方考え方の方が日本人に染み付いているんじゃないの?でも農民的な考え方はだいたい否定される傾向にありますね。お上に虐げられつつも強かに隠し田んぼ作って対抗したり独自の共同体や連絡網を作ったり。そういったのはなんというかスケールの小さなセコい日本人の例として割と否定的な文脈で用いられるように感じます。武士的な潔さの対極として。

だけど全くといっていいほど生産活動を行わない武士に対し、穀物や農作業道具の改良に飽くなき探究心を発揮してきた農民的細かさとか執着のほうがかつてのものづくり大国・日本のベースのような気もしますね。僕らの祖先の大半は農民なんだからそう考える方が自然かなーと思います。

あと戦国以前の武士はどっちかっつーと主君を選ぶというか、自分の家のことが大事で主君の家のことなんか知ったこっちゃねーという人も相当数いたんじゃないのか。自分を高く評価してくれるところに移動する、そういった流動性があった。自分の領土を安堵してくれる、強い領主だからこそ仕えるのであって他国に攻め込まれて容易に蹂躙されちゃうような弱い領主はさっさと見切りをつけられた。もちろん「忠臣は二君に事えず」な忠義心に篤い武士もいたでしょう。自家が大事な武士もいれば主家を大切にする武士もいた。それでいい。そういう多様性があったから公家から武士の世になったんじゃないでしょうか。

 

つまるところ今のサムライ像は後世になって作られた人工物であって、それがいかにも日本古来のものです、みたいな主張に違和感を感じるのです。武士にしろ農民にしろあるいは町人でも本性は意外としぶといもので、生き残るためにあらゆる手段を尽くすのが賢いと言われたことはあまり語られない。実際古典とか読むとそういうしぶとい人々の生が面白おかしく書かれてないかい?武士道とは死ぬことと見つけたりとは「死ぬ気でやれってことでむしろ生きろ」なんであってとりあえず死んどけとは明確に一線を画するものであることはいうまでもない。