せきをしてもひとり
そう詠んだのは尾崎放哉。
普通は咳でもすれば「大丈夫?風邪?」などと気にかけてくれる人の一人でもいるものだ。しかし自分は咳をしたところで唯自分一人である。
寂寥と諦念と妙なおかしみを感じます。
そもそも咳などというものは誰かに聞かせるためにするものではない。
痰が喉に絡んだのか、風邪でも引いたのかはわからないが無意識のうちに咳き込んで「あぁ、おれは今もこれからも一人なんだなぁ」と気づかされるということでしょうか。
もしかするとこれからの時代たとえ一人暮らしでも咳をすれば、スマートスピーカーが「ダイジョウブデスカ?」と気にしてくれるかもしれない。
そうすると孤独死を防ぐ人工知能付きの家がたくさん売れる時代になるのかな、などと考えたりもします。
僕などは、家族がいるんだけどもしかしたらそのうち「オヤジいらねー」って捨てられたらどうしようとか思います。
いま孤独でなくても、将来どうなるかなんてわかりません。
もっと言えば、いまは家庭だとか仕事だとかで人と会う機会が多い。毎日誰かと会い何らかのコミュニケーションをとってます。
しかし、そうなると人間勝手なもので「あ~一人になりたい〜」などと思ってしまうものです。
ほんと時々人間関係リセットしちゃろうか、と不意に何だかよく分からない焦りを感じることもあります。
孤独に苛まれる人が多い、というのはイギリスに限らず先進国が抱える問題なんでしょうね。もちろん日本も。
孤独が悪いことかどうかは人にもよるのでなんとも言えません。まぁ僕は孤独に耐えられるほどは強くはないので一人になりたいと感じる時がある反面、無性に誰かと話したい時もあります。
SNSをはじめコミュニケーションツールは間違いなく昔よりも充実しています。
しかし何人SNS上で友達やフォロワーがいようとも、ほんとうに言いたいことを言い合えたりできる関係の人間は何人いるのだろうか。
日本にニートや引きこもりの人がどれだけいるのか僕は知りません。あるいは独居老人の潜在的な数とか。
経済政策ももちろん大事なんだろうけど、こうした人たちを救う敬愛政策ももう少し充実すればいいのに、と思う今日この頃です。