ジンジャーエール

辛口エールで一杯ひっかける

薬物と人格の否定

俳優の伊勢谷友介氏が大麻所持で逮捕された。朝のワイドショーのオープニングは伊勢谷氏一色。その論調はうんざりするほど怠かった。

 

僕は「羽鳥慎一モーニングショー」を出がける前に数分見た程度なので全体としてどういった伝え方だったかまでは確認できていない。しかし、僕が見た数分だけでも十分ひどかった。モーニングショーは比較的リベラルな論調の番組だ。それでもコメンテーター(玉川徹氏、浜田敬子氏)は決定的な間違いを犯していた。

 

それは伊勢谷友介氏が行っていた社会活動についてのコメントだ。コメンテーターの両氏ともに非常に残念、これまでの活動は何だったのか、という主旨のコメントをしていた。伊勢谷友介氏とともに社会活動をしていた人の「裏切られた思い」というコメントも番組では紹介されていた。

 

彼らは、いったい、人間を何だと思っているのだろうか?人間は0か1か、ではない。0も1も100もなんだったら0.5とか17.33とか、いやもっと言えば漢字やひらがな、記号その他ありとあらゆるもので構成されているのが人間だ。ある一面だけを取り上げてその人のすべてを評価あるいは否定するなんてことはしてはいけない。それは神にさえ許されない傲慢さだ。

 

池波正太郎はしばしば鬼平犯科帳の作中で長谷川平蔵(鬼平)に「同じ人間が善いこともすれば悪事も働く」と言わせた。盗みを重ねる大盗賊が、一方で貧民救済のお救い小屋を運営しフリーミールを振る舞う。そのことを不思議がる部下や密偵たちに鬼平は人間の本質を説く。

 

善人と悪人が矛盾なく同居する。いやもっというなら矛盾しながら同居したって良い。そうした複雑さが人間を人間たらしめているのである。僕らはもっと人間を深く知らなければならない。子どもを見よ。天使のような優しさで物言わぬぬいぐるみを労わったかと思えば、悪魔のような凶暴さをもって捕らえた虫の羽を毟ったりもする。

 

日本では大麻を所持したり、使用したりすることはもちろん違法な行為である。それは間違いないし犯した罪は償わねばならない。しかし一方で伊勢谷友介氏がこれまでにしてきた善行が消えてしまうわけではない。それらは問題なく並立する。それなのにコメンテーターはまるで伊勢谷友介氏のこれまでの人生すべてが間違いであったかのように断罪する。僕はそれは大きな間違いだと感じてる。一つの事象が全人格を覆う、なんてことはあるはずがない。薬物に溺れる、というのももちろん人格でありそこを批判・否定するのは結構だが、それは全人格の一面に過ぎない、ということも忘れてはいけない。

 

こうした、ある一つの事柄をもってして人の全部を否定してしまう傾向が日本社会にはある。それがやり直しができにくい社会構造に繋がってるんじゃないだろうか。悪いことを行ったからといって、過去の善い行いをなかったことにするのはやはり公正公平とは言えない。そうした空気をテレビなどのマスコミが率先して作ってしまっているのは残念だ。