ジンジャーエール

辛口エールで一杯ひっかける

人間関係について考える

人間関係というのは大変に難しい。よくある上辺の付き合いではなく心から信頼し合える関係を築くのは多大な努力と運が必要だ。

 

俳優の伊勢谷友介氏が大麻取締法違反で逮捕された。正直な感想としては、いい俳優さんだけに残念だけどでもやっぱり僕にとっては「どうでもいいニュース」に分類される。しかしながらテレビもネットもこの事件に非常に時間を割いている。

 

そこで僕は気になったことがある。

 

「伊勢谷友介氏はかなり前から薬物使用の噂があった」「前々から当局にマークされていた」「共演した際に薬物の影響のような奇行があった」「いつか捕まると思った」というような‟情報”があちこちから上がっていることだ。スポーツ紙や週刊誌にありがちな、存在しない‟関係者”‟事情通”かもしれないし、本当に匿名の情報提供かもしれない。

 

しかし。伊勢谷友介氏についてある程度接触できる立場にあって、異変を感じていたのにこの人たちはいままで本人に何も言わなかったのだろうか。そのくせいざことが起きた時に訳知り顔で嬉々として溺れる者に石を投げる。いったいどういう神経をしているんだろうか。もちろん直接本人に苦言を呈するほど親しい間柄ではなかったのかもしれない。だとするとおかしなことになる。それほど親しい間柄に無かったにも関わらずペチャクチャとあれこれしゃべるのはいかにも下品ではないだろうか。なぜ口を閉じておかないのだろうか。

 

一方で伊勢谷友介氏自身が、そうした苦言を呈してくれる人間関係を築けていなかったのかもしれない、というのもあるだろう。あるいはだれかから大麻を辞めるよう忠告されても馬耳東風だったのかもしれない。その辺の事情が実際はどうであったか、もちろん僕は知る立場にない。ただ、苦言を呈してくれたり、苦しい時に助けてくれる人間関係こそ本当の人間関係だと思う。それを築くためには周囲にどんな人がいるかということも大事だし、自分自身に批判や苦言を受け入れる度量も求められる。

 

人はどうしても自分と似た感性の人や、自分を認めてくれる人をそばに置きたがる。特に社会的成功を収めて高い地位にあると周囲も気を遣ってしまいがちだ。結果イエスマンだらけになって正しい判断を下せないようになることはしばしばある。また苦言直言をぶつけてくる人を疎ましく感じるようになることもあるだろう。他方周囲には調子のいい時には側でおだてあげるが、ひとたび調子が悪くなると手のひらを返し有る事無い事悪し様に周囲に吹聴する人がいる。そういう人を見抜くのはなかなか難しい。

 

そう考えると人間関係を築くのが億劫になるのもわかる。“本物”を手に入れるのは非常に骨が折れるからだ。また、自分自身がそうした本物の人たちにふさわしい存在であるための努力も必要である。また自分が他者と接するときもどう振る舞うべきか一度考えてみたい。相手がおかしな行動をしていた場合に直言できるだろうか。できれば後から「やっぱりね」だの「ざまあねえな」などと嘲笑する人間となるよりは、多少疎まれても人品骨柄卑しくない紳士でありたいものである。