ジンジャーエール

辛口エールで一杯ひっかける

100日後に死ぬワニすら許せぬ世の中で

ここ3ヶ月ほどツイッター上で賑わった「100日後に死ぬワニ」。100日目を迎え無事(?)死んじまったワニ。めでたしめでたし(違うか)と思いきやすぐに怒涛の商業展開。しかも電通が絡んでるらしい、みたいな話になり随分と風向きが変わってきた。めちゃくちゃ叩かれているのだ。

100日ワニはなぜ炎上?

100日ワニの商業展開はなぜこれほどまでに批判を呼ぶのだろう?

用意周到すぎ

喪が明けぬうちに金の匂いをさせるのが、必要以上にお金儲けを嫌う国民性に刺さったのか。せめてしばらく期間を空けてからやれば良いのに、と言う声も見かけた。でもさ、別に3日後にプロモしようが100日後にプロモしようが一緒じゃないですかね。気分の問題でしょ。

死を軽く扱っている

「死」という重いテーマを扱って感動を呼んだのが100日ワニである。「死」を軽々に商業主義的に儲けに結びつけるのは良くないという主張である。んーーどうなんだろ。「死」を扱ったゴリゴリの商業作品なんて他にもたくさんありそうだけどなあ。

電通の関与?

これは一部の層の嫌悪感を非常に呼んでいるような気がする。まー、確かに電通のイメージはよくないわな。

タダほど高いものはない

そもそも100日ワニはツイッターで発表されていた。もともとタダである。作者は一気にフォロワー数が増えたそうだが、別にフォロワー数で飯が食えるわけでもない。プロの作家である以上、自分の作品でお金を得るのは至極当然である。

 

一方で、最終回からの展開に不満を抱く人はどういう気持ちなのだろう。純粋な現代のおとぎ話だと思ってたのに裏切られた?私たちのワニくんが汚された?

 

タダのコンテンツになぜそこまで熱くなれるんだろうか。タダでオモシレーもん見れてラッキーくらいのスタンスでいいんじゃなかろうか。タダのコンテンツなんて。

誰かの仕事

100日ワニについての僕のスタンスははっきりしている。「どうでもいい」のである。そこまで熱くなることでもない。感情移入もない。

 

ただグッズの制作にしろ、書籍化にしろ、映画化にしろそこで誰かの仕事に繋がっているのは事実だ。グッズを作る町工場。デザインを担当するクリエイター。書店。営業。エトセトラ。これでメシが食える人がこの街のどこかにいるのである。

 

なら、それでいいじゃない。何がダメなんだ?

 

町工場が儲かって、社長が「普段かーちゃんには女房孝行もできねーから、ひとつ温泉でも連れてってやるか」となるかもしれない。セクシーパブに行く可能性も否定できないが…。

 

グッズが売れて制作会社の社員に臨時ボーナスが出るかもしれない。うだつの上がらない中堅社員がそれで娘におもちゃの一つも買ってやれるかもしれないなんて考えるとハンカチの用意をどうぞってなものである。臨時ボーナス握りしめて大井競馬場に駆け込む線もないではないが。

 

書店だって、映画館だってそれで少しでも利益が出て一息つける可能性がある。特に新型コロナウイルスでただでさえ経済が停滞しているのだ。なら、それでいいじゃない。

 

缶コーヒーのCMではないが世界は誰かの仕事でできているのである。それはつまり世界の人は仕事によって生きているのである。仕事があって稼ぐからこそメシが食えるのだ。100日ワニは死ぬことによって誰かを生かしていると言えなくもない。だから僕はそれに対して目くじらを立てる気になれないのだ。

余裕のない社会で生きること

生きるということはとてもエネルギーのいることだ。特に商売となるとなおさらだ。

生活苦なら生活保護というセーフティネットがある。

しかし事業となると、そんなものは、ない。ある日突然即死する。

セーフティネットなんてない。虚無である。

だからみんな泥を啜っても生き残ろうとする。

決して綺麗事だけでは生きていけない世界もある。

そして、これは私見なんだけど、泥に塗れて、汗に濡れて生きてる人は割と他者に対して余裕がある。助け合い精神でも働くのだろうか。相身互いというか。

自分が好きなコンテンツが実はセルアウトバリバリで裏切られたという気持ちになるのは理解できる。しかしながらそこで激怒するのはよくわからない。セルアウトすることによって、もしかしたら誰かの生活が成り立つなら、それでいいじゃない。こんな世の中である。それくらいの余裕は持って生きたいものだ。

 

気に食わないならほっときゃいい。ところが今は「気に食わないから一発殴らせろ」という世の中になりつつある。気に食わないから殴るというのは幼児の振る舞いである。それとも「大人の事情」ってやつに無力な人らができる精一杯の反抗が幼児のように殴りつけることだというのであろうか。なんだかよくわからないが、ややこしい世の中である。