ジンジャーエール

辛口エールで一杯ひっかける

蹴る勇気。

先日嬉しいニュースがありました。

アビスパ福岡に広島や磐田などで活躍した元日本代表のDF駒野友一選手が新シーズンから完全移籍で加入することが発表されたのです。もともと昨シーズンのセカンドステージはレンタル移籍で加入していましたが、今回晴れて完全移籍での加入となりました。やったぜ。

J1~3の試合に通算400試合以上に出場し2度のJ1昇格を経験している駒野選手の存在はJ2に降格し仕切り直しとなる今季のアビスパ福岡にとってはとても大きいものだと思います。何より日本代表として2度のワールドカップに出場するなど幾多の修羅場を経験している点は特に若手の選手にとっては学ぶことも多いと思います。

 クロス精度、スピード、運動量、左右をこなせる利便性。つまり日本史上有数のサイドバック

さて、一般の人にとって駒野選手という存在はどの程度認知されているのでしょうか。ポジションもサイドバックと攻撃の選手に比べて目立ちにくいこともありあまり知られていないのではないでしょうか。

 なぜだか苦労人は広島がよく似合う

実は駒野選手、かなりの苦労人なのです。

出身は和歌山県。中学生の頃関西選抜に選出された際に活躍をして複数のクラブユースや有力校から誘いを受けました。

しかし試練が彼を襲います。父の急逝です。

これにより駒野選手は多くの誘いの中からプロ入りに最も近いと考え広島ユースを選択します。広島ユースでは寮に入ることになりましたが、寮費の減免制度があるのも大きかったのでしょう。

「1日でも早くプロになり家族を支える」

そんな決意をしています。実際プロ入り後は実家への仕送りを欠かさず、また弟の大学の費用も負担するなど一家を支えていました。男だねぇ。

 怪我や病気との闘い、そして代表へ

その後2000年にサンフレッチェ広島とプロ契約を結び期待の若手として順調に成長していました。

そんな駒野選手にさらに試練が降りかかります。

2003年、左膝前十字靱帯断裂という重傷を負います。これにより長期の離脱を強いられます。しかも入院中に手術した左足をギプスで固定していたことで静脈血栓塞栓症(いわゆるエコノミー症候群)を発症。選手生命の大怪我どころか文字通り生命の危険さえあったのです。

その後もブドウ膜炎に罹患。最悪失明の恐れもあったようですがこれは幸いにして軽症で済んだようです。

 2度のW杯出場は伊達じゃない

このように怪我や病気もありましたが、サッカー選手としては順調にキャリアを積んでいきました。若手選手にとっては一つの目標となるオリンピックにもアテネ大会で出場しています。ただこの時も試合中に鎖骨を骨折して無念の途中離脱をしていますが…

そして日本代表にも安定して選ばれるようになります。

2006年ドイツW杯を闘うメンバーにも選ばれました。初戦で念願のW杯出場を果たしますが、2戦目以降はサブに降格。日本もグループリーグ敗退と思うような活躍はできませんでした。

しかしその後も継続的に代表に選ばれ続けて2010年南アフリカW杯のメンバーにも選ばれます。しかも今回はレギュラーとして全試合に先発出場します。日本代表の自国開催以外で初めてグループリーグを突破という快挙に大きく貢献しました。しかし…

 本当に強い人は試練を与えられた時ほど真価を発揮する

事件は決勝トーナメント1回戦のパラグアイ戦で起きました。

勝てば初めてのベスト8。

しかし堅守を誇るパラグアイ相手に攻め倦ね延長でも決着が付かずPK戦にもつれ込みました。

駒野選手は3番手として登場。DFの選手なのにPK?実は駒野選手PKが得意で練習でもほとんど外さないそうです。元々クラブではCKやFKのキッカーを任されることもあるほどキックの精度が高く信頼されていたのです。

しかし…またもや試練が駒野選手を襲います。

慎重に狙いを定めたシュートは無情にもクロスバーを直撃。

得意なPKを外し呆然とする駒野選手。

対してパラグアイは5人全員が決め、日本の敗退が決定します。

 号泣する駒野選手を代表のチームメートが慰める姿は印象的でした。しかし本当の試練はここからでした。なにしろ日本代表が初めてベスト8に進めるかもしれない、そんな空気感が強くありました。なぜかパラグアイは厳しい相手ではない、ラッキーという論調が一部のスポーツメディアや軽薄なファンによって作られていたのです。ふつうに考えればW杯のそれも決勝トーナメントで簡単な試合など無いと分かりそうなものだけど。日本のベスト8の夢をぶち壊した駒野選手は戦犯だーー試合後ネット上では駒野選手を罵倒する意見が結構見受けられました。

試練は誰にでも来るものじゃない。試練は人を選ぶ。乗り越えられる強さを持つ人を

そんな人達に僕は問いたかった。

ではあなたはW杯のベスト8を賭けた試合でPKを蹴ることはできますか?と。

実際海外の一流選手でもPK戦のキッカーになることを拒否する選手はいるらしいです。そんなプレッシャーのかかる、リスクの大きな責任は負いたくない、と。

僕も尻込みするだろうなぁ。

だいたいどんな気分なのか想像もつかない。ゴールの枠がメチャクチャ小さく見えるのか。GKが実際より大きく見えるのか。地面は歪んで見えやしまいか。歓声は聞こえず自分の鼓動だけが大きく響くのか。僅か1分程度の時間が永遠のものに感じられるのか。しかも120分戦った後でだ。足はもの凄く重いでしょう。

それでも蹴る勇気。

 

僕の好きな選手にロベルト・バッジョという選手がいます。たぶん90年代最高の選手です。クラブでも活躍しましたが何といってもイタリア代表での働きが印象的です。特に1994年アメリカW杯では絶望的な状況からチームを救いイタリアを決勝まで導きました。

そしてーーー

決勝の相手は王国ブラジル。猛暑の中行われた激闘は延長にもつれ込みましたが決着が付かず日本vsパラグアイ同様にPK戦になりました。バッジョもキッカーとして臨みましたが大きく枠を外してしまいました。勝ったのははブラジル。イタリアはあと一歩で優勝を逃しました。バッジョも駒野選手と同じように批判を受けたようです。しかしバッジョはこう言っています。

「PKを外すことができるのは、PKを蹴る勇気を持った者だけだ」

チャレンジしない人ほどチャレンジする人を責める不思議

まさにその通りだと思います。

自分では何もしない人間ほど他人の失敗を無自覚に批判します。自分は絶対に失敗しないという前提でいるのですがそりゃそうですね。行動しないから失敗もありません。正確に言えば彼らは「失敗すらできない」のです。逆に何もしないので成功することもありませんが。普通の人なら駒野選手が戦犯だとは考えないし、逆に慰めるというかそっとしておこうと思います。でも短絡的な“自分は何もしないけど他人の批判はする”人達はヒステリックに声を上げますからとても目立つ。結果多くの人が駒野選手が戦犯だと思っているかのように捉えられがちですがそんなことはありません。W杯後駒野選手の最初の代表の試合は同じ年の9月キリンチャレンジカップでの奇しくもパラグアイ戦(!)でした。めちゃくちゃブーイングを浴びるんじゃないか、という懸念もあったそうですが、実際はその日一番大きな歓声で「駒野コール」がありました。他のどの選手よりも声援を受けました。

 

結局、駒野選手を戦犯扱いしていたのは普段スタジアムに足を運ぶことなど無い、W杯の時だけ沸いてでる“にわか”だったのですね。自ら行動する人は駒野選手に声援を送り、他方行動しない人は駒野選手に罵詈雑言を浴びせる。なんと分かりやすい構図でしょう(笑)

 

人生うまくいくことの方が少ないかもしれません。自分の力ではどうしようもないこともあるでしょう。

それでも、僕も駒野選手のように蹴る勇気だけは持っていたいと思います。

背番号3アビスパ福岡の右サイドバック(たぶん)に注目

ということで新シーズンはレベスタに足を運ぶ回数も以前に増して増えそうです。

J2に降格したのになぜかワクワクしますね~。