ジンジャーエール

辛口エールで一杯ひっかける

老人と若者と僕

気になった記事から引用します。ネタが無いわけではありません。

カツシン!!(id:katsu-shin)さんのこの記事です。

www.katsushin.com

内容はよく読んでません(オイ!)

ウソです。ガッツリ読みました。

で、意図的に主語を置き換えて老害という対立構造つくって煽って炎上させてアクセス稼いでってことに関してはカツシン!!さんの方で述べられていますので僕から改めて言うことはありません(無いのかよ)。

 

僕が言いたいのはやたらと「老害」といいたがる人達についての仮説です。

テクニックとして「老害」と言ってるのに加えて彼らはホントはもの凄い世間知らずなのではないかーーというものです。

どこにいる?老害

僕自身「老害」に出くわすことはあります。

まぁ腹立つこともありますよ。

一方で老害なんてとんでもない、尊敬できる「凄い大人」にもたくさんお会いします。当たり前の話ですがある一定の年齢になると全員老害化するなんてことはありません。素敵な年の取り方をする人は思っている以上にたくさんいます。

世界が狭すぎる

ハッキリ言えば老害がー老害がーと言う人は「その程度」の大人にしか会ったことがないのではないか、ということです。彼ら自身が本物の「素敵な」大人に会えるだけのポジションにいないんじゃないか、その努力をしてないんじゃないか、と。

老害予備軍という事実

実際のところ人を勝手にカテゴライズして老害がーと叫ぶような視野の狭い人間は老害予備軍といっても差し支えないと思います。年上をその人となりを見て判断して敬えるような感覚の持ち主なら自分が年をとっても若者を尊重できると個人的には思います。一方いつの時代も時代を変えるのは若者だ!と息巻いてる人は自分が年を取った時に若さに嫉妬して邪魔をするのではないでしょうか。はい老害の出来上がり。

老害も炎上も器量の問題

例えば会社でうだつの上がらないおっさんがいたとします。経営上の重要な会議に列席することなんてなく、大局的な視点を持つ訓練も受けてません。そういう人は若手が新しい事を提案しても「あーダメダメ」としか言わない。一方で炎上狙いのブロガーも自分より優れた人間と付き合うことがないのではないでしょうか。自分と同程度かもしくは少し劣る人間とワイワイやってるだけでは器なんて広がりません。さらに自分と似たような考えの人間を選んで付き合うから多様性もなく成長力にも乏しい。

多様な価値観を飲み込む度量があって初めて持続的な成長が可能になると考えます。

今のままでは彼らは早晩「オワコン」になってしまうでしょうね。

 

アラフォーおっさんの僕が尊敬せざるを得ないスゲー50代60代もいれば逆立ちしても勝てねーと感じるとんでもない10代20代もいる。

だから人生はおもしろいんだって!