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ginger-yell

働き方、生き方、考え方のバージョンアップを(できるだけ楽に)目指すブログ

take on me(a-ha)

THINKING

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昨日「世界一受けたい授業」を見ていたときのこと。羽田空港が世界で一番清潔な空港であり、その一翼を担っている女性従業員が講師として出演されていた。家庭でもできる清掃術を教えてくれるそうで蛇口などの掃除しづらいところにつく水垢を落とすのに太めの竹串を使うと良いと紹介された。その時BGMとしてa-haの「take on me」が流れていた。何でこの曲?としばし考えた結果竹串→take串→take on meなのかと思い至った。TV局の人も結構くだらないこと考えてんのねと妙に納得してしまった。

で、後半はアドラーの紹介もあった。巷で話題の「嫌われる勇気」をもとにアドラーの思想を知るという体だ。思うんだけど日本人って極端だよね。一つの思想が話題だとなれば猫も杓子もそこに向かう。その思想が絶対的なものとして扱われる。ドラッカーが流行った(あえて流行ったと書く)時もそうだよね。ホントにその思想や思考を理解して一段上に行こうというのではなく流行ってるから偉いものだと考えている人がいるような気がしてならない。あるいはドラッカーアドラーやらの本を読んだことや持ってることそれ自体がステータスだと思っているとか。それこそ無思想かつ無思考極まりない。

例えば昨日の番組では「怒り」についてアドラー流に言えば意味のないものという感じで伝えられていたが本当にそうなのだろうか。確かに怒りに身を任せるのは良くないということはよく言われる。感情的になって周りが見えなく、自分本位な感情というのも概ねその通りだと思う。最近ではアンガーコントロールといっていかに怒りを理性で封じ込めるかということに重きを置いたセラピーもある。

でも、と思う。怒りが何か重要なことを成し遂げるためのモチベーションとなることもあるのではないだろうか。それこそ古より臥薪嘗胆という言葉もある。怒りというのは時として爆発的なパワーを生む。ふがいない自分に対する怒りもあれば、搾取されてることに対する怒りもある。そういったパワーが新しい時代を産むことだってあるはずだ。というか人類の歴史とはそういうことの繰り返しではないだろうか。となれば怒りとはそもそも不自然な感情でもないような気がしてきた。

いや何もアドラーを否定したい訳ではない。むしろ人類史上に残る賢者だと言ってもいいと考える。ただアドラーを推すあまり、絶対視しすぎたり、それと見解の異なるものを無視したりしてしまうのは危険なことだ。日本人は特にその傾向が強いと思う。現にアドラー心理学を是とするあまりフロイトユングを否定する意見さえこの頃はある。無意味で狭量で浅学だ。

だいたいホントにアドラーを理解しているならこんな考えに陥らないはずだ。

他人を受け入れること。

take on meならぬtake on youだ。

でも今はあまりにも「僕を受け入れて」が多すぎる。

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