ジンジャーエール

辛口エールで一杯ひっかける

「年俸ではなく、時給という選択」…何かカッコいい♪(後編)

さて、現在必ずしも景気が良くなったわけでもないがその一方で「社畜」と言われるような会社に(というか仕事に?)人生を捧げます的な生き方は敬遠されるようになってきた。それが前述の多様な働きかたの増加にもつながっていると考えられる。

 

自分のことは自分で決めるという錯覚

で、「どうせ年俸制でこき使うつもりだろ?」と見透かされ年俸というワードのコピーとしての魅力がなくなってきたと考えたんじゃないか。

そこで「年俸ではなく、時給という選択」である。

一見不安定な雇用を表す「時給」というワードが一周回ってトレンドになったんだろうか。働いた時間分をきっちりとカウントする、あるいは長時間拘束のイメージを感じさせないあたりが今の労働者の気分に合致しているのかなぁ。

しかも「という選択」の表現がまたニクい。

労働者に「自分の働きかたを自分で決めた!」という気にさせる。

実際は企業が「あなたとは時給で契約します」と決めているわけで労働者側に選択肢があるわけじゃないのに、労働者に重要なことを決めさせたと錯覚させる。

しかも「年俸」と「時給」を並列し時給を選択することで何か得をすると思わせる効果もある。

 

企業は弾力的な労働力を求めている

企業からすると「時給」というのは都合がいい。

例えば年俸制の場合(月給も同様だ)、8時間勤務のうち仮に6時間で終わる仕事だったとして(極端な話)2時間ぽーっとしてても8時間分の給料は出る。

でも時給の場合、その仕事が6時間で終わるものだと企業が理解したら「その仕事」に関しては6時間分の給料しか払わない。「今日はもうあがっていいよ。お疲れさん」である。(まぁ普通はもう2時間分の仕事を申し付けるんだろうけど)

 

普通に仕事しているとどうしても手待ち時間とかその他無駄な時間がでてしまう。そういったものを一切ゴリゴリとそぎ落として徹底した効率化(作業、人件費双方の)を進めるには時給の方が圧倒的に便利だ。弾力的な「働かせ方」をし易いのである。

 

つまり「年俸ではなく、時給という選択」というコピーから窺えるのはゆるく働きたいという今の時代の気分の一方、企業としては時給という(企業にとって)効率のいい働き手が欲しいとの願望が反映されているように思える。しかも一見すると選択肢が労働者側にあり、自分でその賃金形態を望んだのであり、だから不満はないよね?と言いたい思惑が見え隠れする。

 

その選択が未来を分ける!?

非正規雇用者の時給より固定給の方が賃金が多いし安定してるんじゃないか、という思い込みを逆手にとり「と、思うじゃん。けど今の時代の働きかたとしては時給の方が実はいいよ。それを選ぶあなたは情報感度が高い」と誘導する巧妙さ。うーん上手い。

 

キャッチコピーを作る際には僕もこれを参考にしたいと思う(笑)

・消費者が自分で選んだと思わせておいて実は誘導している

・得をしたと思わせる

・分かりやすい対比

・できるだけ短く言い切る

コピーについてはド素人だけど思いつくのはこんなとこかな(詳しい人いたら教えてください)

 

前にも書いたけど別に批判をしたいわけではありません。

ただこのコピーにどういう意図があるのかを自分なりに考えてみたかったのと、僕も含めて人は日々の生活で様々なことを選択しているけど、その選択は本当に自分自身の意志で選択したのかを時には自分で検証する必要があるんじゃないかと考えた次第です。

 

全然関係ないけど今日の僕のお昼ご飯はUFOです(貧弱)

コンビニで迷いました。出した結論は「ペヤングではなく、UFOという選択」

ペヤング派の皆さんの批判は甘んじて受けるつもりです。