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牛乳石けんのCM動画が炎上している件で思ったこと

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牛乳石けん良い石けん♪

牛乳石けんがYouTubeで公開したWEBムービー「与えるもの」が燃えている。なんでも一部では不買運動にまで発展しそうなのだとか。本来顧客に良いイメージを与えるために、つまり購入を促すために行うCMが逆効果になってしまっているわけです。なにがそんなにダメなのか。動画を見てみました。

動画の内容をおさらい

動画の内容についてはあちこちで言及されていますが改めておさらい。

妻と息子の3人家族で暮らすサラリーマン(新井浩文)。出社前にゴミ出しをしバスに揺られ出勤する。この日は息子の誕生日。妻からはケーキを買ってくるように頼まれる。

職場では後輩が上司に「なんでちゃんと報告しないんだ!」と怒られている。妻からはプレゼントも買ってきて、と連絡が。休憩時間中に買いに行く男性。道すがら自分の父親のことを思い出す。どうやら男性の父親は家族を顧みることの少ない仕事人間だったようだ。

あの頃の親父とは、かけ離れた自分がいる。家族思いの優しいパパ、時代なのかもしれない。でも、それって正しいのか

仕事終わりに、昼間叱責されていた後輩を飲みに誘う男性。自分の失敗談を話し慰めていると妻からと思われる着信が。しかしそれには出ずに飲み続ける…。

帰宅すると妻からは「なんで飲みに行くのか」と詰問される。それには何も答えず「風呂入ってくる」と男性。湯船につかりながら「自分は子どもに何かを伝えられているのだろうか?」と自問する。そして石けんで顔を洗う。

風呂から上がり妻に「さっきは、ごめんね」と謝る男性。そして家族そろって子どもの誕生会を始める。

そしてまた次の日が始まりーーー

「さ、洗い流そ」のキャッチコピーが表示される。

 で、結局何がダメなのか?

動画を見てさらにこのように文字にしてみて改めて思います。

何がダメなのか?

このCMが炎上している理由というのがいまひとつわかりません。僕はよほど鈍いのでしょうか?

「不快」「意味不明」「子どもの誕生日の約束をすっぽかしておきながら風呂入って洗い流した気になるなんておかしい」「ダメおやじの典型」…。大炎上です。なかには炎上商法を疑う声もあるようです。そして顧客離れを指摘する声も。

たしかに結果的に意図する方向とは全く別の方に行ってるのだからマーケティング的には失敗かもしれません。

でもそもそもこれってそんなに意味不明なCMなんでしょうか。

「さ、洗い流そ」の意味は「許す」ということ

僕はここに理由があると思ってます。「さ、洗い流そ」というキャッチコピーが「子どもの誕生日をすっぽかしておきながら簡単に洗い流せると考えている父親の無責任さ」に掛かってると考えてる人が多いようです。しかし、この「さ、洗い流そ」というのは本当は誰が誰に言った言葉なんでしょうか?僕はこれを妻から夫に向けた言葉なんじゃないかと受け取りました(あるいは妻が自分自身に向けたもの)。

確かに男性はこれまで“いいパパ”をやってきたのに大事な時(子供の誕生日)に会社を優先するという大トチリをしてしまいました。それでも家に帰ってきたときの無表情な顔から石けんでさっぱり洗い流して申し訳なさそうに、でもはにかみながら“いい表情”で「さっきはゴメンね」と謝る夫にたいするわだかまりを「さ、洗い流そ」ということではないのかな? 職業人としての仮面を洗い流し、家庭人に戻ったその謝罪を受け入れたのです。だから「洗い流す」というのは「許し」ということなのだと思います。

この世に完璧な人間などいないしそれは人類の進歩を妨げるものでも、人類の未熟さを表すものではない。むしろ祝福すべきことでもある。なぜなら我々にはまだ進歩の余地が残されているということだからね!

これは僕の好きな言葉です。たしか19世紀ごろのプロイセンあたりの哲学者が言ったように思えなくもないですが実際のところたったいま僕が考えたものです。

このWEBムービーの妻だって完璧な人間ではありません。もし彼女が完璧な人間ならもっと前にケーキもプレゼントも用意していたことでしょう。(まぁケーキもプレゼントも準備してないのかよって部分は枝葉なのでどうでもいいですが)

人間だれしも完璧でないからこそ、他者を責める。

良く完璧主義の人は他者に厳しいというがあれは正しくありません。もし本当に完璧な人間なら他者を許すという行為も「完璧に」行えるはずです。他者の失敗を許せないのは本当は自分は完璧じゃないのを知っていて、でもそれを認めるのは怖いから他者の失敗を過剰に責めることで自分は完璧、デキる存在だと周囲に見せたいからなのです。

自分も他者も完璧じゃなくて当たり前。だから他者の失敗も許そうよ。牛乳石けんのこのCMもそういった問いかけがあるのじゃないでしょうか?無理に“いいパパ”を演じる必要はないんだよ、と。

許すからこそ許される

CMの中で男性は他者に許しを与えてますよね。そう、ミスした後輩を飲みに連れ出し「クヨクヨするなよ」と許しを与えています。だからこそ家に帰って、一風呂浴びて、ちゃんと謝って妻から許してもらえるという許しの連鎖を受けられるのではないでしょうか。一方的に自分だけ許せ、というわけではないのです。人間が社会の中で生きている以上(家族も含めて)他者とのかかわり合いは避けることはできません。特に今はメチャクチャギスギスした時代でしょ。ちょっとでも失敗しようものなら許さない風潮があります。受験に失敗したら人生終わりですか?就活に失敗したらもう望むようなキャリアは築けないのですか?これほど失敗を毛嫌いし、他者に不寛容な時代もそうそうないのではないかと思います。

このCMのような場面でもそうです。後輩がミスしたって「別に。俺関係ねーし」で済ませてもいいわけですよね。実際そうする人は多いと思います。

でもこの男性はそうしない。自分の失敗談を話し「ミスしたって取り返して上司に認めさせればいい」という許しの場を後輩に与えています。で、家に帰って妻から責められても「いやほら後輩がヘコんでたし先輩として…ね。(わかってよ?)」というような言い訳をするわけでもありません。ある意味愚直というか実直なのではないでしょうか。そんなだから妻も許せる。「洗い流せ」るんだと思います。

ま、牛乳石けん使って優しい気持ちになろってことかもしれませんね。

あと職業人として家庭ではなかなか見せられない苦悩というのは時代が変わってもあるものです。そしていつか男性の子どもも父親の苦悩を知る時がくるかもしれません。時代が違えば変わるものもあれば、時代を経ても変わらないものもある。「親子の絆」にはそういったメッセージがあるのではないでしょうか。牛乳石けんも昔からいい意味で変わらないよ、と。別に僕は牛乳石けんの回し者ではないけどね。

蛇足

あとこれは蛇足になりますが今と昔で会社の人間関係のあり方というのが大きく変わっているという点も指摘したかったです。例えば昔は会社の仲間といえば家族も同然、というほど濃密な関係が存在しました。だから自分の子どもの誕生日よりも後輩を慰めるのを優先しちゃうというのは一定の年代の人には良く理解できることではないでしょうか。そして男性はかつて仕事を優先する父親に寂しさを覚えていましたが、大人になると自分もそうなっていたと。もしかするとこのCMの製作者はそうした時代背景に一抹の寂しさを感じているのかもしれません。それが良いか悪いかは個々の価値観の問題なので判断はできませんが。

最後に

このCMが嫌いな人も好意的な人もいるでしょう。僕はどちらでもないです。ただこう感じた、というだけです。

ただ一言だけ言うなら「絶対に許せない!」という人達がいますが、世の中で絶対に許せない!ということなんてそうそうあるもんでもないよ?ってことです。

まぁ僕はウインカー出さずに車線変更するヤツとタバコのポイ捨てするヤツは絶対に許さないけどね。

 

以上、おわり