ジンジャーエール

辛口エールで一杯ひっかける

土俵に女性が上がれないのはまったくもってナンセンスだという話

大相撲の巡業中に、土俵の上で倒れた多々見良三舞鶴市長を救護しようとした女性に対し行事が「土俵から降りてください」とアナウンスしたことが問題になってます。相撲では土俵は女人禁制というしきたりがあって、それが改めてクローズアップされることになりました。

女性=穢れ?

1990年には森山真弓官房長官が海部総理の代理として内閣総理大臣杯を渡そうと打診したが、土俵には上がらないでほしいと相撲協会に返答され断念したこともあります。また2000年には当時大阪府知事だった太田房江氏が府知事賞の授与を希望したが、これも相撲協会に断られています。もっと言えば子ども相撲で女子が地方予選を勝ち抜いても国技館で行われる全国大会には出られないそうです。それもこれもすべては土俵は神聖なもので女人禁制の伝統があるからだそうです。

月経の持つ意味

女人禁制の伝統を支持する人からすると「女性=穢れ」という図式になるそうです。そうするとこうした主張をしている人たちも含めて我々は母親の胎内で育ち、生まれたわけだから全人類が穢れているという理解で良いのでしょうか?だとすると我々は生まれもって穢れを内包した存在であり、誰が穢れているとか彼は穢れてないなどとは言えないと思うんですが。

あるいは、女性を穢れていると考える由来は生理で血が出るからということなのでしょうか。血=穢れ。生理とはいうまでもなく女性が子どもを生む準備、大人の体になる段階で始まるものです。人間の目的の一つが子孫を残すことだと考えると、月経による血はむしろ子孫を残すためのサインだし、豊饒の証ではないでしょうか。子だくさん=弟子が増えて部屋が繁栄する、あるいは親方から弟子へ部屋が継承するように部屋が絶えない、という意味ではむしろ女性を土俵に上げることは相撲には合うと思うんだけどなぁ。

相撲は神事?

そもそも相撲における女人禁制の根拠として「相撲は神事」というのがよく言われますが、本当にそうなのでしょうか。かつてはそうした側面もあったのは事実でしょう。ほんと古代とか中世の日本ではね。でも少なくとも現代の相撲を見て「あぁ神事だなぁ」と感じている人はほとんどいないのではないでしょうか。

だいたい神事と言いながら全国を巡業という興行で回りお金を稼いでいます。親方株を高額で取引するなどもそうですね。到底神事とは思えないようなことをしておいて随分虫のいい言い草だなぁ。もっと言えば、いまはどうか知らないけどかつては力士と暴力団の親密な交際なんてのもありましたね。神事を行う力士たちが反社会勢力と付き合っていいのかよ(゚∀゚)

相撲賭博とか数々の暴行事件とか八百長とか好き勝手放題やっておいて神事です(`・∀・´)とか言われてもねぇ…。

神は人の創造物

だいたい神様なんてほとんどは人間自身が作ったものじゃないでしょうか。だから後からいくらでも都合の良いように設定を変えることだってできます。キン肉マンや魁!!男塾の世界なら後付けでの設定の変更もネタとして楽しめますが、こと差別につながることは到底許容しがたい。だいたい過去には女性天皇だって何人もいます。ほとんどは奈良時代以前ですが、相撲が単なる神事から興行として形を作っていった江戸時代にもいます。天皇なんて日本で神事を司る最大の代表者じゃないですか。女性の天皇は肯定して、相撲では不可というのは整合性がつきません。

そういえば女人禁制に一定の理解を示した意見の中に、神事としての相撲が祀るのは豊穣の神でその神様は女性。そこで土俵に女性をあげると神様が嫉妬するから、というのを見ましたが失笑ものです。もう一度言いますが、その神様というのは人間が勝手に作ったものです。神様が男か女かも人間の都合によって決めたのでしょう。それがさも既成の事実のように神様は女で、嫉妬するから女人禁制というのは女性蔑視したいがための後付の設定以外の何物でもありません。本来であればそのような設定がいまだに残っていることを恥じ入るべきであって、女性蔑視の理由としていいはずがありません。

根底にあるのは女性蔑視の感情

21世紀の現代に、まだこのような風習が残っているのはいったいどういう意味があるのでしょうか。根底にあるのは女性蔑視と、現状に対して何ら問題を感じない感性の鈍さ、反知性的な思考停止状態ではないでしょうか。だいたい最近は「スー女」とか言って女性ファンを取り込もうとしているのに、その女性というのは穢れた存在だから土俵に上がることはできません、というのは随分人をバカにした話じゃないですか?本場所や巡業に来てお金を落とす分には構わないけど、大事なところでは「女性」に対して一線を引いているよ、というのはどうなんでしょう。たとえばアイドルが自分のファンを「CDさえ買ってくれればいい。でもキモい。」と考えていたらめちゃくちゃ叩かれるでしょう。同じような無神経さを堂々と公言してはばからないのが相撲協会というところだと言えるのではないでしょうか。

男女平等から男女共同へ

もう根本から解決するには、一回相撲を国技から外しましょう。

国技だなんだと持ち上げているからあんなに自浄能力のない緩んだ組織ができあがる。今回の問題だって、多くの親方衆はなんで叩かれなきゃいけないのか、とか思ってるんじゃないかな。暴行、賭博、反社会勢力との交際、隠蔽、いじめ…。なんか日本の暗部を体現しているような相撲協会ですが、まぁある意味では非常に日本的なので国技っちゃあ国技なんでしょうが、僕はそんなグダグダなものを国技とするのは非常に恥ずかしいのでやっぱり国技から外したほうがいいと思う。

 

少なくとも僕は、自分の子どもに「ねぇ、なんで女性は土俵に上がっちゃいけないの?」と聞かれた時に子どもを納得させられる合理的な回答ができない。

逆に子どもが「将来関取になりたい!」と言ってきたら「やめとけ」と答えるでしょう。

 これだけ短期間にこれだけ不祥事が起きているのに何も変わらない、世にも不思議な組織もあるもんだ。