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ニセモノ維新市議に学ぶ先細りにならない生き方

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先日行われた奈良市議選挙で国政政党・日本維新の会とは無関係な政治団体「日本維新の会」の“公認”“重点候補”を名乗って当選した市議がいると話題になっています。選挙ポスターには「小池塾1期生」とも書かれてるそうでもう何でもアリ(笑)きっと知り合いの近所の小池さんに何かを教えてもらってますとかの言い訳を用意してるんでしょう。この市議を取り上げた新聞記事でも法的には問題がないようだと言ってますが有権者や落選した人にとっては納得がいかないでしょう。

 

ただ、多くの人が感じてるようにこの「ニセモノ維新」の市議はバカです。

 

なぜか。

それは長続きしない“先細り人生”を選んでしまっているからです。先細り人生など何の意味もないです。むしろそう遠くない将来の負けが確定している生き方と言ってもいいでしょう。絶対に避けるべき生き方なんです。

人のふんどしで相撲をとる

とはいえこの市議はまんまと当選しています。なので結果だけを見れば十分成功しているじゃないか、そう思う人もいるかもしれません。あるいは成功するためには多少ズルい手段であってもそれも一つの戦法じゃないか、と主張する向きもあるでしょう。世の中キレイ事だけじゃないんだよと。しかし人のふんどしで相撲を取るというのは、どう考えてもあざけりの言葉でしょう。だいたい人のふんどしなんてバッチイ(笑)

そんなバッチイ思いをしてまで手に入れたいものってそんなに価値のあるものか、ということに疑問があります。

政治家になるのが目標

このニセモノ維新市議もそうですし、いま世間を騒がせている政治信条は炎上することなのかな?と錯覚させるような議員たちはまるで議員になることそのものが目標のように感じます。なるほど議員になるという目標を達成している彼ら彼女らは一見すると成功者です。でもちょっと考えて下さい。議員になることははたして目標となり得るのでしょうか?

例えば就職活動中の学生がいたとします。この学生に将来の目標は?と聞いて「はい!大企業に入ることです!」と答えたら皆さんはどう感じますか?

あるいはビジネススクールに通う社会人に「どうして社会人になってまで学校に通うのか」と質問したら「MBAを取りたいんです!」と返ってきたら。

学歴が必ずしも役に立つというわけではないことや、大企業に入っても全く使い物にならず数年で放り出され(あるいは定年まで閑職で飼い殺し)たり、MBAを持ってても全く実務に精通してなくて役に立たない人たちがいるということを僕らは自身の又は他者の経験を通じてよく知っています。

目標を持つこと自体はいいのですが、明らかに間違った目標の立て方をしているのです。

目標とは「何をするか」を決めること

要するに目標とは「何になるか」ではありません。「何をするか」です。

政治家になりたい。それは結構。立派です。では政治家になって何をしたいのか。社会福祉を充実させたいのか、労働者が働きやすい社会の実現を目指すのか。あるいは経済成長を追求する施策を行いたいのか。

大企業に入ってどうしたいのか。どんな仕事に関わりたいのか。製品やサービスを世に出したいのか、会社を裏方として支えたいのか。

何かの資格を取ったとしてそれをどう自分の仕事に活かすのか。

目標が「何をするか」をもとに定められたものならば、おのずと今後自分がするべきことがわかってきます。

ここが「何になるか」を目標としている人との大きな違いです。

悲惨な先細り人生

さて、このニセモノ維新市議。気が早い話ですが、次回の選挙で当選する見込みはどの程度あるのでしょうか。

おそらくほとんどないでしょう。そしてそれは本人も分かってると思います。ではどうするか。この手の人は「じゃあこれから先の任期中に政治家としてしっかりとした実績を残して人々に自分がいかに有用かを訴えかけよう」とは考えません。ちょうどいま炎上中のあの議員も言ってますね。「次は当選できそうな政党から出る」と。(ホントにそうするかはわかりません。そもそも出馬しない可能性すらありますね)

この奈良市議も次回はその時勢いのある政党に“似た何か”を名乗るんじゃないでしょうか。そうやって何か自分の力以外のものにすがっていくしか生きていく方法がない。しかし有権者もバカではないからそうそう何度も騙されないです。そもそも今回のタダ乗りで不信感を抱かれています。仕事をするうえで一番大事な信用を自ら放棄するようなことをしてしまってるのは致命的です。

 

「何かになる」という目標を掲げて首尾よくその“何か”になれたとしてもそこで終わってしまっては結果として後に何かを残すことはできません。

よく言われる中年の危機ってこういうことじゃないかと思います。「何かになる」ことを目標として生きてきた人がある時ふと振り返ってみると自分はこれだ、と語れるようなものを何も残してないことに気づく…。あれ?今までの人生なんだったのだろう?そしてこれから先の人生も同じことの繰り返しなのか…。そうして自分自身の存在理由がわからなくなってしまうのです。

目指すのは先太りの人生

対して「何をするか」を常に考えながら生きている人は概ね充実しています。もちろん途中でやりたいことが変わることもあるでしょう。悩んだりブレたりもします。それはそれで構いません。それでも充実していられるのは彼らの目的が地位や名誉やお金といった自分以外の人が築いたブランドに乗っかることではなく自分自身をブランド化するために動いているからです。地位や名誉やお金は時代や社会情勢によって価値が変動することがあります。でも一度築いた自分というブランドの価値は変動しません。なぜなら身に付けるものは他者との比較によって価値を推し量りますが、自分自身のブランドは他者と比べることで価値の有無を決めるものではないからです。

 

自分自身の存在理由を突き詰めることなく、目の前の小さな成功(しかもそれは他者に乗っかるカタチのもの)にとらわれ行動していてはいずれ限界が訪れます。その時に限界を突破する力はないでしょう。つまりある時点で人生が実質的に終わってしまうということになります。

ニセモノ維新市議は今回まんまと当選を果たしました。しかし“ニセモノ維新市議”という肩書き以上のものには決してなれないでしょう。先が見えた生き方を選択しています。

よりよく生きるという視点に立てば先に行けばいくほど太くなる先太り人生を目指すことが何より肝要なのだと感じます。

 

今回は先細りにならない生き方について考えてみました。

それではまたね!

 

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