ジンジャーエール

辛口エールで一杯ひっかける

なぜ相撲協会はちびっこ相撲で女子の参加を遠慮するように要請したのか

男子ならその後中学~高校あるいは大学と相撲部で腕を磨き、新弟子として相撲界に入ってくる可能性がある。つまり親方に取っては将来の大切な「米びつ」になる可能性があるわけだ。どういうことかというと、幕下以下の力士一人につき毎月7万円が相撲協会から支給されます。その他に場所ごとにいくら、とか決まっていて所属力士一人ごとに年間で約180万円ほどの収入が相撲部屋にはあるそうです。つまり力士が多ければ多いほど部屋は潤うわけですね。そしてその中から人気力士が育てば興行も盛り上がり相撲協会の収入も増えるのでしょう。これに対して女性力士は将来プロとして相撲協会に入れるわけではありません。相撲協会からすると女性力士なんて将来の協会や親方の収入には何の関係もない存在なのです。そりゃあ大事にしよう、育てようなんて気は起こらないよね。相撲協会にとって最も大事な「お金」にならない存在なんだから。なので今回ちびっこ相撲で女子に「参加を遠慮するように」要請したのも彼らの経済原則に従えばある意味当然のことなのでしょう。趣味で相撲を取る分には構わないが、それなら公園や河川敷で盛土でもして土俵もどきのものを作ってそこで遊んでおれ、ということなのでしょうかね。

 

相撲協会の言い分も分かります。

だって彼らにとって女性はもともと穢れた存在で土俵にあげられないし、将来プロとして自分たちにお金をもたらしてくれるわけでもない。女力士なんて相撲協会にとって百害あって一利なしなんです。もしも女横綱がいて男子がポコポコ転ばされでもしようものなら「最近の男子は情けない!けしからん!」と(主に張本氏あたりに)お叱りを受けることは必定。つまり利益はもたらさないのにリスクやデメリットが大きすぎる。

 

でも安心してください。相撲協会だってちゃんと女性を大切にするときはするんです。それが「スー女」です。なぜスー女が大切にされるかというと一つは相撲界のイメージアップにつながるから。時に古臭い体質を垣間見せる相撲協会ですが、若い女の子がファンにつくことで何となく賑わってる感や流行ってる感を演出することができます。そしてもう一つはやはり彼女らは貴重な財源の一つでもあるからです。ドラッカー先生は「企業の唯一の目的は顧客を創造すること」と仰っています。相撲ファンはたいがい高齢化してきています。結びの一番でたとえ横綱が敗れる波乱があってももはや年老いたファンは座布団を投げる気力・体力がないのです。僕が子どもの頃の大相撲中継ではしばしば派手に座布団が飛び交う光景を見ることができました。しかしいまはそういった光景を目にすることはほとんどありません。何しろ僕自身ここ最近大相撲中継を見ていないので確認しようがないじゃないですか?もちろん座布団が舞わなくなったのは、老人の腕力の問題ではなく、(一社)日本座布団産業振興会からの苦情が原因という可能性は確かにあります。日座部会(にちざぶかい)の「座布団は人に勧めるものであって、デブめがけて投げるものではない」という主張は至極まっとうな意見です。惜しむらくは彼らが全くの架空の団体であるというただその一点にあります。そうするとやはり熱心な相撲ファン(相撲部屋を10個以上言えることが基準。一般人の回答数は1~2個がせいぜい)が年を取り座布団を投げる体力を失ったという指摘もまた無碍にするわけにはいきません。そこで相撲協会がファンの世代交代をはかりスー女を育てようという気になったとしてもぜんぜん不思議ではありませんよね?

 

今回のちびっこ相撲辞退要請事件を通じて見えてくるのは相撲協会の男子は米びつ、女子は巾着という徹底した拝金主義で、ある意味清々しささえ感じます。もちろんこれらは僕が勝手に言っていることなので実際のところは分かりません。ただ、僕が参加辞退を要請された女の子なら「うるせーバカ。相撲なんて二度とやるか。キモイんだよ」と慎ましやかに心で念じることでしょう。相撲協会からすると競技者としての女性は興味がないでしょうから、ある意味win-winといえなくもありません。

 

そう言えば相撲にはこんな格言がありました。

「土俵にはカネが埋まっている」

なるほど。相撲は神事ではなく金事だったのか。 

 

しかし土俵を司る神様は女性だとかいわれてますが、女神さまからすると「私に興味がある振りして近づいておいて、本当はお金が目当てだったのね!人でなしのキモデブ!一門で行動しなきゃ何もできない三匹の子豚野郎!」などと怒らせたりはしないのだろうか、と少し心配にもなります。女性は大事にしましょうね。

 

おわり。